説明看板を後にして そんなに歩くわけではないだろうが 後円部径 54m だからな
すこしひらけて来たな もう前方部のようだな
樹々の間から海かな・・・向うは伊豆半島だろうな 埋葬地をここに選んだ理由がこれかな
説明看板を後にして そんなに歩くわけではないだろうが 後円部径 54m だからな
すこしひらけて来たな もう前方部のようだな
樹々の間から海かな・・・向うは伊豆半島だろうな 埋葬地をここに選んだ理由がこれかな
標識を振り返って見ている 見る限り殆ど山道である
説明は読むことは出来るが図面はほとんど消滅している・・・その看板
もしかしたら長男はこの道を見て逡巡したかもしれんな・・・なにせ先が見えないという不安があるだろうからな
後円部を迂回した道は前方部へと延びている
記念標識から後円部墳頂へ向かう
墳頂付近 高みがお判りになるのではないだろうか
道は墳頂を避けて前方部へと続く 画面右が墳頂である
後円部南面にある説明看板とは異なるものだ 説明は同じだが図は確認出来ないほどである
後円部の真東に立てられている
この場所はそれだと判りやすい
この先は道がない 如何ともし難いところである
このなだらかな斜面は後円部である
後円部は少しいびつかな 後円部の高さは 7.3m を測り 径は 54m を測る
後円部に山道が造られているが その時は確認できなかったのだろうな 後円部墳頂に続くようだ
1号墳から(北東から)きて 説明看板のある後円部南面にいる
後円部であることが判ると思う
まさか2号墳はこのままではなかろう・・・うーむ 神奈川県下2番目の大きさの規模を持ち 埴輪 葺石の両方が検出されているというのも貴重だと言われているのだが・・・
逗子市ホームページより 長男は1号墳の所在する東方より歩いて来た 図には道がある
この図面を見る限りでは 南北の両脇には降りることが出来なさそうである 1号墳同様 後円部は三段築盛
前方部は二段築盛のようだ 1号墳は修復保存されるようだが この2号墳はどうなるのだろう・・・
当該地域を治めていた首長クラスのものであることは判るのだが・・・副葬品が見つかればな・・・
明けましておめでとうございます
本年も旧年中同様拙ブログ古墳をご愛顧いただきますようよろしくお願いいたします
現状では修復復元されていないようである 辿り着いた場所は後円部の様だ
これでは古墳だとは思えないだろうな
この緩斜面を見るとそれらしく見える 只 埴輪が発見され 葺石が施されていたから確認されたのだろう
古墳好きな読者諸氏へ 本年も拙ブログを訪問 閲覧して頂いたこと感謝の念に堪えません
来年も本年同様ご愛顧のほどよろしくお願いいたします
古墳に通ずる道は・・・うーむ これくらいならまだましか
長男には厳しかっただろうな こうして案内があるだけでも有難いと言わねばなるまい・・・
辿り着いたぞ 北が下を向いているので 本来は後円部が東を向く 主軸は東西に引かれている
1号墳への登り口である
眺望は良いようだが 立木が邪魔だな 富士山を望むことが出来るらしいのだが・・・
1号墳から案内があるので辿り着くのだが・・・なにせ山道だそうだからな