後円部に登っているのだが・・・うーむ、ごめんね。判らないだろうな。だんだん腹が立ってくるのだ。
後円部が道路と接している場所に標識が立てられている。しかし、見てもらいたいと言う気が無いのではないかなと言うほどの古墳の扱いである。もう少し気を入れて管理してもらいたいと言うのはここを訪れた方々総てが思うことであろう。
鹿児島県肝付町塚崎台地上に前方後円墳5基を含む約60基の古墳が所在し、塚崎古墳群と称する。4世紀から5世紀の間に営まれた古墳群である。
51号墳は本土最南端の前方後円墳であり、花牟礼古墳とも言われている。この前方後円墳は大和連合国であることの証であるのは以前から言っていることである。
資料整理していて思い出し見つけたのでアップしておくことにした。今回、鹿児島、宮崎両県の古墳探訪で日本最南端の前方後円墳を訪れた。しかし、それは大隅半島にあり、今回アップした当該古墳は薩摩半島指宿に所在するので探訪することはかなわなかった。
弥次ヶ湯古墳位置
6世紀後半から7世紀前半にかけての築造で、大和政権の影響を受けた隼人族の王墓とみられる若干20m未満、それでも周溝を巡らす円墳である。薩摩半島での発見は当該古墳が初めてである。これらのことから当該古墳がどれだけ貴重なものかが判ると言うものだ。最南端の円墳ということもそうではあるが。
資料を整理していたら新聞の切り抜きが出て来たのでアップしておこう。古墳と言う文字の付くものでは日本最南端の古墳であるということが書かれてある。そうだな、何処か頭の隅にあったのだが・・・うーむ。