街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

羽衣縷紅草

2010-09-06 12:03:08 | 朝顔 花

 亡父が朝鮮朝顔と言っていたものである。何故この花が好きだったのか聞くことは出来ないが、「小さくて可愛かろうが」と、たった一度聞いたことがある。
 それを聞いた時、殺しても死なないような父の口からこのような言葉が出るとは想像を絶したものがあったと言っても過言ではない。我輩が花の絵を描くということを知った者が「青天の霹靂」に会うようなものかもしれん。
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朝顔

2010-09-06 11:51:46 | 朝顔 花

 やっとそれらしい朝顔が咲いた。添付写真はこの花の昨日の時点での蕾である。
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長崎街道

2010-09-06 11:46:08 | 街道関連

 茶屋の裏から銀杏の樹を見上げるが、銀杏と言わねば判らない。やはり黄色にならねば判りづらいな。
 しかし、ここでは銀杏が茶屋の脇に立つのか、茶屋が銀杏の脇に建てられたのか、判らないくらいに両者とも主張が顕著である。
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豊後森機関庫

2010-09-06 11:07:48 | 史跡

 国鉄ファンには懐かしく思えるほどの写真を見ることが出来る。
 おそらく8620型が中心であろう。
 8620型は豊後森で昭和10年頃から昭和45年頃まで活躍していた。
 現在は人吉号、過去は阿蘇ボーイで有名を馳せたことは皆さんもご存知であろう。
 因みに九州門司鉄道管理局内での蒸気機関車最後の「さよなら運転」は室木線で、38634号が客車を牽引した。昭和49年1月20日のことである。
 また、本機は大正11年11月お召し列車をも牽いている。
 昭和44年10月長崎国体時、松浦線でお召し列車を牽いたのが二両の8620型で、48627号(本務)、28629号(補機)であった。(参考:門司鉄道管理局 昭和49年3月30日 発行 「九州の蒸気機関車」)
 ここで少し8620型式の栄光を紐解いてみた。

 そんな8620型の仲間がひしめき合っていたのであろうか。
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