ようやく咲いたぞ。母に買ったのだが花がつかないうちに亡くなってしまった。
香りが届くといいな。
鉢植えから露地に植替えてやらねばならんな。土を掘り起こし日ごろ出る生ごみを埋めて土作りに専念している。花が終わってから土を耕してから露地に植替えようかな。
「脊振山系の支峰、石峰山から延びる標高約55mの段丘上に立地する。弥生時代から古墳時代にかけての墳墓である。この遺跡からは、弥生中期から後期の甕棺墓約400基・土壙墓8基、後期から古墳時代初頭の箱式石棺墓32基、古墳時代初頭の古墳2基・方形周溝墓1基などが発見され、墓制変遷を知る上で重要な遺跡である。
このうち、雌塚・方形周溝墓・環状列石土壙墓の3カ所が保存されている。
雌塚は直径32m、高さ35m余りの円墳で、礫槨墓を内部主体とする。方形周溝墓は南北14m、東西15m。内部主体は不明である。環状列石土壙墓は、直径20~50cm程の礫を1メートル幅で環状に配したもので直径は2.9~3.5m、中央に土壙墓が設けられている。」出典(佐賀県文化財データベースより)
すぐそこに墳丘が見えるがこれは雌塚古墳である。別にアップするのでお楽しみに。
姫方遺跡
小倉 6:22発 鳥栖 8:51着 長崎本線乗り換え 鳥栖 9:21発 中原 9:31着
近くに姫方遺跡、雄塚(消滅)、雌塚、支石墓が三基 姫方古墳(前方後円墳)駅からは15分くらい歩く。ここから姫方前方後円墳までは15分である。またそこから次の目的である中津隈宝満神社境内古墳まで1時間歩く。またその次の東尾大塚まで40分である。足が痛くなったのでバスに乗って久留米駅まで移動。竹下にある那珂八幡古墳(前方後円墳)、東光寺剣塚古墳(前方後円墳)。13kmほど歩いたな。
「なかばる」と読む。九州では地名につく原(はら)を「ばる」とよむのが当たり前である。西南戦争の激戦地であった「田原坂」(たばるざか)と読むことはご存じであろう。少し東寄りに一つのアーチ橋が架かっている。中原駅は明治24年(1891)に九州鉄道の一駅として開業し、明治40年(1907)国有化された。その九州鉄道の名残である。