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破壊をまぬがれてきた町家等が連綿と続き残されてきたのは、歴史の怒涛なる流れの中で、今あるものを大事に大事に使っていこうという精神があったればこそであり、どう残してどう生きていくのかというしっかりとした指針を持ち合わせたからこそ、できたのである。是こそが日本人の心であろう。
昭和30年代前半、朝鮮半島の戦争による特需によって日本が栄え、何百年も変わらずに人通りの多かった街道筋の建物が次々と新しい建物へと建て替えられていった。
しかし、そのような流れの中にあっても、その時代に奔流されずに、受け継いできた。遺産を売らない、建て替えないという精神で、頑として守られてきた建物が、30年代の新築建物と混在して今に残され、見る者により一層のロマンを掻き立たさせるのである。[続く](写真:中津街道 中津城を望む)
昭和30年代前半、朝鮮半島の戦争による特需によって日本が栄え、何百年も変わらずに人通りの多かった街道筋の建物が次々と新しい建物へと建て替えられていった。
しかし、そのような流れの中にあっても、その時代に奔流されずに、受け継いできた。遺産を売らない、建て替えないという精神で、頑として守られてきた建物が、30年代の新築建物と混在して今に残され、見る者により一層のロマンを掻き立たさせるのである。[続く](写真:中津街道 中津城を望む)
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