
しかしながら、残念なことに城下町はといえば、近代において各地の拠点であったが為、歴史という時代の流れに飲み込まれてその殆どが破壊され、武家屋敷の通りや商家の街並み等は今となっては窺い知れないのが現実である。明治と言う近代文明が、いや、それ以前、維新の前夜、終末夜の空を焦がして城が、街が、その変化の喜びの証としての松明に代わるものになってしまったのであり、明治政府によって旧態の象徴であった城が悉く破壊されたのである。さらに近代文明の潮流が例外なく日本にも押し寄せ、その流れに乗る以上に無理をしたがため、それから数十年を経て日本を焦土と化したあの太平洋戦争による破壊が更に拍車をかけることになったこともそうである。そこにはその町名のみがかつての名残を留めているだけでは寂しい気がする。[続く](写真:吹屋の街並み)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます