石並古墳(稲童20号墳)(福岡県)
5世紀半ばに築造された帆立貝式前方後円墳である。海岸線ぎりぎりのところに築造したことには理由がある。大和連合国家の一つであることの象徴と、埋葬された首長の国がここだと海上からすぐ確認できると言うことである。ランドマークであることなのである。
当該ブログの記事は平成23年(2011)5月31日から6月9日までである。
石並古墳(稲童20号墳)(福岡県)
5世紀半ばに築造された帆立貝式前方後円墳である。海岸線ぎりぎりのところに築造したことには理由がある。大和連合国家の一つであることの象徴と、埋葬された首長の国がここだと海上からすぐ確認できると言うことである。ランドマークであることなのである。
当該ブログの記事は平成23年(2011)5月31日から6月9日までである。
延永ヤヨミ園遺跡(現地説明会)
東九州自動車道建設に先駆けて発掘された遺跡である。時期はと言うと弥生時代終末から古墳時代の初めと古墳時代後期の二期に分かれている。一番栄えた様子が検出できたのは古墳時代後期で120軒ほどの竪穴住居跡が検出されている。また、弥生時代の遺構として環濠が検出されている。総合的に判断すると大きな村が形成されていて古墳時代になって人口が増えたということである。ただ、周囲に奥津城を見ないのである。思うに魏志倭人伝に記されている一国かもしれないな。今では高速が走っておりその面影すら見ることが出来ない。
当該ブログの記事は平成21年(2009)11月8日から22日までである。
植松古墳群 植松一号墳(山口県)
菊川町にある小形の円墳である。目と鼻の先に植松古墳公園があるのでこの一帯は有力者の奥津城であったのだろう。横穴式石室を持つのも同じである。時代はと言えば6世紀後半位であろう。ここもよく遊びに来たな。大日寺も菊川町だ。街並みもなかなかいいぞ。ずっと北上すると安徳帝に関する参考陵墓もあるからな。
当該ブログの記事は平成24年(2012)6月13日から19日までである。
植松1号墳のすぐ西側に保存され公園化されている。形状が円錐の頭頂部を切り取った、所謂台形にしているが本来の形状ではあるまい。川崎町の戸山原古墳もこの様な形状ではあるが・・・1号墳と合わせて見学できるのだが駐車場が無いし、道はと言えば殆ど農道のようなので地元の方には気を付けて見学を。
当該ブログの記事は平成24年(2012)6月20日から27日までである。
仁馬山古墳(山口県)
綾羅木川流域に点在する古墳群中最大の前方後円墳である。(上の山は消滅している)この大きさからしてこの地方を治めていた豪族の、所謂首長墓である。4世紀末ごろに築造されたものである。ここも歩いての古墳探訪である。近接して二基の陪塚がある。すぐ近くに植松古墳(山口県下でも数少ない方墳である)「史跡の道」を歩いて頂きたいものだ。
当該ブログの記事は平成23年(2011)7月5日から16日までである。4月28,29日もある。