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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

シド・フィンチの奇妙な事件

2010-10-10 21:40:30 | 好きな本
ジョージ・プリンプトン 芝山幹郎訳 1990年 文藝春秋
野球つながり。
好きな野球小説。
ずいぶん前のことだから忘れちゃったけど、書店のカバー外して写真撮ってみたら、この表紙と帯に魅かれて、書店の店頭で手にとったんだったろうなって思い出した。
すごい話ですよ。
イギリス生まれだけど、チベットで仏教の修行を積んだ青年が、その成果として、コントロールした精神力を身体に作用させることをマスターし、こともあろうに、それを野球のボールを投げるということに振り向けた結果、時速270キロの球を投げるピッチャーとなった、っていうんだから。
野球が好きで、しかもチベット仏教が好きな私が、このプロットに魅せられたのは言うまでもない。
有体に言って、チベット仏教の力をもってすれば、そのくらいのことは出来ると、信じてる部分ありますから、私には。

んで、ストーリーのほうは、なんだかんだあって、ニューヨーク・メッツ(ジョンソンが監督で、前年にはグッデンがエースとなった時代のメッツだ)に主人公シド・フィンチが入団し、初登板でアメリカ中の度肝を抜くわけだ。
ちなみに、片足ははだしで、その左足を高々と上げるフォームは、ちょっと普通のベースボールの投げ方ぢゃないってのが、またいいね。
270キロの速球なんて、そんな球、キャッチャーに捕れるだろうかって疑問もあるだろうけど、そもそもがフィンチは仏教による心の力で、ただ速い球を投げるんぢゃなくて、それを的に当てるということもセットで会得しているわけで、キャッチャーの構えたミットに、より正確にいえばミットの捕球するポケットの位置に、ボールを投げ込むことができるんである。
このセンス・オブ・ワンダー、私としては、仏教により心が自分の身体を支配することが可能なことを疑わない私としては、大いにアリなんである。少なくとも、大リーグボール養成ギプスで鍛えて速球を投げるっていうより、仏教により自己をコントロールしてそれを為すというほうが、全然リアリティーを感じる。
でも、意外と繊細で、修行僧らしく悩んだりする一面もある主人公なんだけど、当然のことながら、心が揺れ動くと、コントロールを失って、殺人的な速球がどこ飛んでくか分かんないことになっちゃうわけで。そんなピンチをどう乗り切るかってのも大事なところ。

で、物語の語り部は、いろいろあって物を書けなくなってたライターなんだが、それがどうしてこんな奇妙な事件に巻き込まれたかっていうと、メッツの特訓にたまたま居合わせたって縁による。
つまり、それっていうのは、ストーリー紹介の順番前後するけど、270キロの球を捕れるかどうか、空高く飛んでいる飛行船からボールをグラウンドに投下して、キャッチャーに捕らせてみる、ってとこから物語は始まるってことです。

こんな書き方すると、いかにも荒唐無稽な感じするけど、ありがちな感動押し売りする安っぽい小説より、よっぽど面白い「野球モノ」だと私は思います、やっぱり。
(ただいま久しぶりに読み返し中。わりと読みやすいのは、あまりゴジゴジしてない訳文によるものぢゃないかと、ふと思っている。)
コメント
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