many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ぼくがしまうま語をしゃべった頃

2010-10-28 23:22:19 | 読んだ本
高橋源一郎 平成元年・新潮文庫版
きのう、ちょっと野球のこと書いたので、そのつながりで。
こないだっから探してた、野球に関するエッセイで、私が一番好きなのが載ってるのが、これ。
高橋源一郎のエッセイ集で、単行本は昭和60年の刊行らしいんだが。
『週刊就職情報』に34回連載された『芸能欄より愛をこめて』も全篇収録されてて、いま名前見ると面白かったりする。
で、問題のエッセイは、『ディナーの後のコーヒーとしての解説を書くための方法について』というタイトル。
これは本来エッセイぢゃなくて、鴻上尚史の『宇宙で眠るための方法について』の「解説」らしい。それは読んだことないけど。
このなかで、“BASEBALL I GAVE YOU ALL THE BEST YEARS OF MY LIFE.”(野球よ、ぼくはぼくの生涯最良の日々をおまえに捧げた)という、野球について書かれたあらゆる本の中でもっともエモーショナル(情趣的)あって、有名なアンソロジーを紹介していて、そのなかにあるジョン・アップダイクの「ボストンのファンたちはかれにさようならを言った」というエッセイを引いているんだが、この話が私が好きなやつなんである。

主人公はテッド・ウィリアムズ。
説明不要、史上最強の打者であって、最後の4割バッター(1941年)としても有名。
1960年、42歳で引退を決意するんだが、この年の打率は.316、ホームランは29本。
10月28日、レッドソックスの本拠地フェンウェイパークでの最後の試合。
その日のボストンの新聞の見出しは「テッド、君がいなくなってしまったら、ぼくたちはどうすればいいんだ?」
そして、8回の裏、テッド・ウィリアムズ最後の打席がまわってくる。
「それがほんとうにかれの最後の打席だと思った時、ぼくたち観客はひとり残らず立ちあがり、そして拍手をしはじめた。ぼくは野球場で、これほど純粋な拍手をきいたことがなかった。」
その異様な空気のなかで、観客のすべてが可能性が少ないことはわかっていても、ひとつの希望をもっていた。
ここに私の好きなフレーズ、『全ての野球ファンは奇跡を信じるのだ。』という言葉が使われている。
そして、3球目、テッド・ウィリアムズは、センターオーバーのホームランを打つ。奇跡は起こるのだ。
「ウィリアムスは、ぼくたち観客のあげる悲鳴にも似た絶叫の渦の中で、軽やかにベースを周っていた。いつものホームランを打った時と同じように、足早で、無愛想で、下を向いて。」
ここで重要なことは、テッド・ウィリアムズは、日頃からときに傲慢といわれる態度で有名で、どんなときでも「ファンにむかって帽子に手をかけてあいさつするような“やわ”なことはしなかった」男であったことで、この感動的な場面でも、全然それが変わんなかったにすぎない。
「かれがダッグアウトの中に消えた後も、全ての観客は足を激しく踏みならし、低い声で泣きながら『ぼくたちにはテッドが必要だ』と合唱しつづけた。だがかれは再び姿を見せようとはしなかった。」
この結末を、「神はぼくたちに返事をしないのだ」と結んでいる。

高橋源一郎のエッセイ(っていうか解説文?)には、この続きがあって。
ディナーのあとでコーヒーを呑みながら、好きな女の子にこの話をして、「この話には、驚くべき後日譚があるんだ」と言って、女の子が「きかせて、きかせて」と言ったら、「ぢゃあ、違うとこで聞かせてあげよう」って連れてっちゃえって話なんだが。(「きかせて」と言わないようなコとは別れちゃえ、とか。)
もちろん、後日譚なんか無いんで、自分でつくること。「全て真実の物語は『神はぼくたちに返事をしないのだ』で終わる」ってのがアップダイクの結論だっていうんだけど。
コメント
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