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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

江戸の気分

2010-11-10 21:39:51 | 好きな本
堀井憲一郎 2010年8月 講談社現代新書
私の好きなライター・ホリイ氏の新しい新書が出たんで、もちろん読んでみた。
まえがきに「落語を通して、江戸の気分をリアルに想像してみよう、という新書である。」とある。
すると、かの名著(と勝手に思ってるんだが)『落語の国からのぞいてみれば』の続編かと思うんだけど。
あとがきに、同じ雑誌連載の前半が『落語の国から~』だけど、「これは続編というわけでもない。もちろんとても近くのことを書いたものだけど、それぞれ別の新書です。」としてある。
ま、いいです、おもしろければ何でも。
江戸の暮らしを想像してみれば、現在を相対化することができて、いまの生活のヘンなとこあるのがわかるんぢゃない?ってことで。そういうこと学ぶのは当たり前で、だから歴史の教科書読め、っていうよりは、落語が題材のほうが、そりゃ楽しいでしょ。
たとえば、江戸時代に「薬食い」といえば、日頃手に入らない食材を食べること。タマゴとかイノシシとかウナギとか、栄養価が高くて、当時は高価なもの。
それは、病気を治すっていっても、なにか即効の治療をするってんぢゃなく、病に負けない体力をつけるほうが大事って感じだからで。病にかかるかどうかも治るかどうかも運次第、それが証拠に落語には、医者が患者を治したって噺はそんなになくて、医者ってのは診立てはするけど、治すことはしない存在、具合が悪くなった原因を指摘できれば名医ってことになる。
で、落語的劇中表現では、「病を引き受ける」って、よく言うもんだと。病は自分の内にあるもので、どうにもならないと悟ってる。
それに対して、近代人は病をすべて外部だと思ってると。>外のものがやってきて、自分のからだを侵食していくから、これをまた外に排除してくれ、医者だったら排除できるだろう、と考えているのは、近代人の異常性だとおもう。という結論になる。
それぞれそんな感じ、コンテンツを眺めただけで、すぐ読みたくなったし、すぐ読んぢゃった。
花見ってのは、冬が終わったこと確認、イコール飲んで眠っても凍死しない季節のゴーサインとか。江戸の商売は掛け売りが成り立っていて、それは顔の信用つまり人が動かないことと、年に二回か四回しか決済しないから世の中で金を回したりしてないってことを示してんだけど、それと今の躍起になってカネやモノを動かそうとする経済とどっちが幸せだろうかとか。
落語のなかにかくされてる、いろんな人とか世の中の仕組みを、見てくと気づかされること多くて、いいねぇ。
第一章 病いと戦う馬鹿はいない
第二章 神様はすぐそこにいる
第三章 キツネタヌキにだまされる
第四章 武士は戒厳令下の軍人だ
第五章 火事も娯楽の江戸の街
第六章 火消しは破壊する
第七章 江戸の花見は馬鹿の祭典だ
第八章 蚊帳に守られる夏
第九章 棺桶は急ぎ家へ運び込まれる
第十章 死と隣り合わせの貧乏
第十一章 無尽というお楽しみ会
第十二章 金がなくても生きていける
第十三章 米だけ食べて生きる
コメント
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