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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

涼しい脳味噌

2010-11-11 21:50:53 | 読んだ本
養老孟司 1995年 文春文庫
きのうのホリイ氏の江戸の話で思い出したように探したんだけど。
『落語の国からのぞいてみれば』のなかで、ホリイ氏は東海道を東京から京都まで歩いた経験について語ってた。
まあ歩くしかないから歩いたってのが、江戸の気分をリアルに想像する原点らしいんだけど。
ちなみに、一時間休憩なしですっと歩ける距離が「一里」だから、慣れてくると、次の目的地まで何キロと言わず何里と言っていたとか。
で、ある程度のペースで、長い距離を歩こうとすると、手は振らないというところにいきつくと。
現代人の歩き方は、手を振って歩くんだけど、右足と左手を同時に出すというのは、ねじってその反動で進むから、実は無理な歩き方だと、経験から喝破する。
んで、>人はカラダの延長線上で生きていた。移動もカラダを使っていた。どうすれば異常な距離を一気に移動できるか、さぐっていたわけだ。とか、>攻める歩きを昔の人がしていたのは確かで、それはカラダを使ってない現代人からは想像しにくくなってます。とか語ってます。
こういうフレーズが、どこか引っ掛かっていて、こないだ何気に本棚から見っけ出したのが養老孟司のエッセイ集。
『バカの壁』で一挙に有名になった著者だけど、私が最初に読んだのはこのあたりだと思う。
もとは解剖学者なので、カラダについてくわしいし、人間そういうのをリアルに感じなきゃダメだって主義。
生身の人体を陳列した「人体博物館」をつくって、誰でもじかに人体に触れて、人体に関する真の知識を得る必要があるといろんなとこで唱えてる。
現代の多くの問題、末期医療、臓器移植、脳死、これは身体が消えたために生じた。そう私は思う。とかね。アタマだけで考え過ぎ、っていうか考えたってわかんないでしょってことか。
ただ、あらためて読みなおしてみて、気づいたんだけど、そうやって身体というものがまじめに考えられなくなったのは、現代になってからぢゃなくて、江戸期からだっていう。
私がいまより身体を使ってそうだと思ってた、江戸時代でも既に身体の存在が失われてるって論である。
それ以前(戦国時代?)は「腹が減っては戦ができない」って身体にこだわってたけど、江戸に入ると「武士は食わねど高楊枝」とか精神第一主義に走ってるってのが、その証拠だそうで。
コメント
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