今、胡錦濤氏が来日している。10年振りの中国国家主席の来日ということらしいから、まずは、ポジティブに捉えたいが、棚上げになった懸案が、雪だるま式に膨らんできているような気がする。
タイミングを合わせたわけではないが、元共同通信社の伊藤正さんによるタオシャンピン秘録を読んだ(漢字で入力したら文字化けしたのでカタカナで記載)。日本人ジャーナリストによる秘録で、あまり期待していなかったのだが、ひじょうに面白い。流石、西側ジャーナリストとして、唯一二度の天安門事件に遭遇したベテラン記者による本だ。中国では、輸入禁止になっている。必ずしも反中国という立場で、書かれた本ではないのだが。
この本は、1989年6月4日の天安門のシーンから始まる。当時、表向きは、タオシャンピンは、第一線から退いており、この処理がタオシャンピンの指示によるものか判然としなかった。
しかしこの本では、当時タオシャンピンは、自ら打ち立てた四つの基本原則①社会主義の道②プロレタリア階級独裁③共産党の指導④マルクス・レーニン主義と毛沢東思想を堅持しており、4/25には、既に『これは、通常の学生運動ではなく動乱だ。旗幟を鮮明にし、強い措置をとって動乱を制止せよ。国際的な反応など恐れるな。中国が発展し、四つの現代化(工業、農業、国防、科学技術)を実現してころ、真の名誉を得られる』と講話していたという。そして6/4に突き進んでしまう。
天安門事件については、国体を維持するために必要だったという意見がある一方、やりすぎだったのではないかとの意見もあり、中国国内では、今もアンタッチャブルな事件になっているらしい。
それにしても、3回も完全失脚し、3回も完全復活したタオシャンピンはとんでもない奇跡の人だ。長寿だったことも奏効した。特に文革の時の失脚時の様子など生々しい。右から左、左から右と大きく揺れるイデオロギー論争の中で、最終勝者になったタオシャンピンは、とてつもない信念の持ち主でもある。一線から退いた後、保守派の台頭を見て、たった一人で南巡講話を敢行し、改革解放路線を不動のものとした様子は、感動的ですらある。その延長線上に、外資系企業の中国進出ラッシュと、それによる中国の台頭と、そして爆発寸前の歪の増大がある。タオシャンピンが生きていたら、改革解放の行き過ぎを修正するアクションを起こしていたかもしれない。
中国人ジャーナリストである石平氏と何氏がそれぞれの巻で、後書き?を書いているが、ひじょうに深い示唆に富んでいる。
現代中国に関わりのある人、現代中国史に興味のある人、波乱万丈の生き方に興味のある人にお勧めの本だ。
チベットを訪れた2004年夏、タオシャンピン生誕100周年の横断幕が、ポタラ宮の前面に掲げられていた。このような行為の積み重ねが、チベット民族の反感を買い、問題を大きくしている。今回の騒動鎮圧の方法は、タオシャンピンの考え方と変わらない。
共産党一党支配継続により、強力な主権を維持し、一方経済開放で、富の蓄積を図る。タオシャンピンの政策は、誠実に引き継がれているが、歪は、大きくなる一方で、爆発寸前だ。
民主主義が、絶対的正義という立場からのみで、物事を判断してはいけないとは思うのだが。