
大原には、お寺がたくさんあるが、その中の一つである来迎院に行ってみることにした。
宝泉院から、三千院に一度戻る途中に、立派な石垣があった。穴太(あのう)積みと呼ばれているらしい。近江の穴太衆により築かれたもの。頑強で、乱積みの一種なのだそうだ。この様々な形の石を、よくもまあ器用に積み上げたものだ。

途中に、実光院というお寺が公開されていた。中には、入らなかったが、勝林院の子院という。秋に咲く桜のある庭が有名だそうだ。

来迎院は、呂川に沿った坂を上った突き当りにある。平安時代に円仁が声明(しょうみょう)の道場として開いたいう。声明は、お経を音楽のように唱えるものだが、呂の音階と律の音階があり、その音階が変わるところが難しいらしい。呂律(ろれつ)が回らないという言葉は、ここから来ているということを初めて知った。
音律を統一したのが、本寺を再興した良忍で、来迎院は、魚山(ぎょざん)声明の総本山である。声明は、キリスト教でいう讃美歌のようなものかもしれない。

本堂は、室町時代のものだが、中の仏様は、平安時代のものとのこと。正直、保存がよくないなと思ったのだが、暗かったせいかもしれない。
本堂の中のボタンを押すと、声明がお堂に流れるようになっていた。