比叡山延暦寺には、前から行きたいと思っていたが、なかなか機会に恵まれなかった。
とにかく山奥である。京都から、滋賀県の県境に向かって行ったところにある。
観光バスに便乗していったのだが、くねくねした細い道を登って行く。
最澄が、ここに開山したのは、奈良時代だから、とんでもないところだっただろう。
高野山同様、山全体が祈りの場という感じだが、東塔、西塔、横河地区の三か所に大きく分けられる。そのうち、東塔地区のみにいった。
本堂に向かう道の両側には、延暦寺で修業した僧たちの紹介した看板が並んでいる。延暦寺の日本仏教に与えた影響がいかに大きかったが、わかる。
根本中堂へは、この坂を降りていくが、この下り参道は、京都では、ここと泉湧寺だけという。
この根本中堂は、延暦寺のメインのお堂だが、現在のお堂は、江戸時代初期に再建されたものだ。中は、薄暗くよく見えない。神秘的である。
根本中堂の向いの坂を登ったところに、文殊楼がある。これも江戸時代の再建だ。
文殊楼からは、根本中堂が見下ろせる。
大講堂は、昭和になって焼失。今の建物は、江戸初期の讃仏堂を移築したものだが、本尊の大日如来のほか、延暦寺で、修業した法然、親鸞、日蓮などの像も安置されている。
延暦寺は、信長の焼き打ちにあったため、古い建物は、あまり残っていないが、ここから巣立った僧たちの活躍を考えると、日本の仏教の源と呼んでも過言ではない聖地である。