今日は、バルラームプルから、カンプールまで、300 km弱の移動。
朝、インドに来て、初めて雨が降った。いよいよ、モンスーンシーズン到来か?
バルラームプルから、20分程の所にあるサへート(祇園精舎)・マへート(舎衛城)に行った。
祇園精舎は、当地のスダッタという豪商が、ブッダに傾倒して作った施設で、悟りを開いたブッダが、最も多くの時間を過ごした場所。ラージギルの竹林精舎とともに、伝道の中心地であった。
平家物語の、『祇園精舎の鐘の声』の始まりの部分でも、お馴染みだ。
江戸時代、アンコールワットを祇園精舎と勘違いをした人もいたぐらい、昔から、憧れの場所だった。
流石の規模を誇っていた。ブッダを慕い、多くの人がここを訪れ、帰依した。
その隣にある舎衛城は、スダッタの住んでいたお城跡だが、そのほとんどが、ジャングルや畑と化しており、発掘されている建物は、3つのみ。城壁跡が、当城の規模の大きさを、思い起こさせる。
サヘートと合わせて、八大仏跡巡礼地の一つになっている。
途中、ウッタル・プラデッシュ州の州都であるラックノウを通ったが、その発展振りにびっくり。
何でも、剛腕女性知事が、開発を急ピッチで、推し進めているそうだ。
インドの女性田中角栄といったところか。
今日は、5317歩。
車様々である。
しばらく、投稿できていない。夜は、暇だから、また書いている。
今日は、昨日行けなかった、ルンビ二に行った。昨日のしわ寄せで、朝5時半出発になった。街は、全く平和だが、重要な場所には、警備兵が、不審者がいないか、チェックしている。
ルンビ二の、マーヤ堂を中心とした一帯は、今でこそ整備されているが、長い間、忘れ去られていた。
丹下さんが、この公園のデザインをした。中は、かってのお堂の基礎がそのまま残されていて、中央にブッダが生まれた場所まで、特定されている。
ユニークなお堂だ。
ここで発見されたアショカ王の石柱の碑文が、実在の人としてのブッダ再発見の始まりとなった。
それにしても、ブッダは、2500年も前に、こんな広範囲を、本当に移動できたのだろうか?
流石、超人である。
ルンビ二は、もちろん八大巡礼地の一つであり、その中の四大巡礼地の一つ。これで、四大巡礼地は、全て回った。
そのまま、同じくネパール領の、カピラ城(ティラウラコット)に行った。
ブッダが、若い時に過ごしたカピラ城の所在地については、ここと、インド領のピプラハワの2説があり、まだ結論は出ていない。
午後には、ピプラハワの方にも行ったが、どちらが本当か、はたまた全く別の場所だったのか、知る由もない。
今は国境を隔てているが、ブッダが王子時代過ごした釈迦族の都であったカピラ城が、この近辺にあったことは、間違いないのだろう。
いずれもルンビ二から、30 kmほどの距離だ。
学問、武芸に優れるが、常に物思いに耽る青年だったという。
今日の歩数は、11498歩。
ルンビニで、マーヤ堂まで、ちょっと歩いたのが、効いたかな?
この旅、車で巡礼の旅とした方が、正確だ。車の移動距離を記録しておけば良かった。
明日から、長距離移動が、続く。
今日は、クシナガルから、ネパールに入り、ルンビ二とカピラ城に行くはずだった。
クシナガルから、ルンビ二までは、180 km、5時間の行程。
国境までは、順調だったが、国境のソナウリの様子がおかしい。
トラックがひしめきあっているのは、想定内だが、それにしても全く動かない。
何とゼネストで、午後5時まで、国境を閉めているという。これは、想定外だ。
ただよくよく聞いてみると、ツーリストは通しているという。
車が国境を通過するにはもう一悶着あったのだが。
ということで、どうにか、国境は通過できた。
それにしても、インド、ネパール両国の、イミグレの粗末さにはびっくり。どれだけワークしているのか?もちろんライフルを持った国境警備兵はたくさんいるが。
インド人は、ビザがいらないから、外国人がここから、入国するケースは少ないのだろう。
手続き自体は、あっけないほど、スムーズだった。
でも結局、国境からほど近いパエルワのホテルに着くまで、7時間を要した。
ゼネスト中ということで、何が行るかわからないので、今日はそのまま休息日にすることにした。
確かに、お店は、全てシャッターを閉めているし、あの騒がしい街は異様に静かだ。
おかげで、ガンバとセレッソの、アジアクラブチャンピオンシップゲームが、中継されていて(ちゃんと英語!)、満喫してしまった。
決勝シュートは立派だったが、全体的には、ピリッとしないゲームだった。インドで、プレミアリーグの放送を見過ぎたのかもしれない。
ということで、今日は、たった2185歩。
とほほ。
ヴァイシャリは、ブッダがたびたび逗留し、80歳の時の最後の逗留をしたところでもある。
旱魃を解消し、疫病を鎮めたりし、当時の王に感謝された。多くの伝説をここでも残した。
初めて、アショカ王の石柱の上に、獅子像が残っている姿を見た。アショカ王の時代、周りは、どんな様子だったのだろうか?
人々の生活は、そうは、変わってないかもしれない。ここに、王国があった面影は、全くない。
ジャイナ教の開祖マハヴィーラの出生地でもある。
次に訪れたのは、クシナガラ。言うまでもなく、ブッダ入滅の地。
涅槃堂には、5世紀の涅槃像が、安置されている。
少し離れたところに、荼毘に付された場所があり、そこにもストゥーパがある。
平和な公園になっている。
三蔵法師は、両地とも訪れてた。
そう言えば、ブッダガヤを出てから、日本人を一人も見ていないなぁ。かなり、奥地で、ガイドなしで来るのは、困難だろう。
今日は、6257歩。渋滞がひどく、距離もあり、計7時間近く移動に要した。
チャイが、おいしい。