今日は、さわやかな五月晴れ。すばらしい天気だった。
原発の方は、残念ながら、ますます先が見通せなくなってきているが。
私的には、珍しく落ち着いた一日で、今、日本プロゴルフを見ている。
挑戦する仏教という本が、昨年の秋出た。現在の亜細亜各国の仏教に、的を絞ったユニークな本だ。各国毎に、その分野の研究者が著わしている。
なんで、この本がユニークかというと、仏教の伝播や、仏教の教えや、仏教美術について説く本は多いが、現在の社会の中で、どういう位置づけにあるのか、どう変貌しているかを説く本は、たぶんない。しかも、我々自身もよくわかっていなかったりする。
例えば、シンガポール駐在時代、シンガポールの華人の若手に宗教の話を聞くと(もちろん凄く親しい人にしか聞けない)、仏教ではないという。でも、道教のお寺にお参りに行くと、そこで、観音様が祀られていたりする。
本書によれば、シンガポール人の43%が仏教、15%が、イスラム、15%がキリスト、9%が道教、4%がヒンドゥで、仏教徒の比率は上昇傾向だそうだ。
インドでは、一旦仏教は、ほとんど途絶えたが、今復活傾向にある。ただ、その動機は、(ヒンドゥ教では極端な)身分格差是正を目的とした政治的な色彩も強いという。本書の、戦う仏教という題名も、インドの仏教復活運動を意識したもの。
韓国では、仏教は、曹渓宗という禅宗1宗だけなのだという。日本とは、えらい違いだ。確かに、ソウルで訪れたお寺も曹渓宗のお寺だった。キリスト教と信者の比率は互角だ。キリスト教との対抗意識から、仏教も一つにまとまる必要があった?
ネパールにおける仏教とヒンドゥ教の共存は、昨年今頃実体験したところだが、カトマンドゥで訪れたクマリの館に住む生き神様であるクマリは、必ず仏教徒の僧侶カーストであるシャーキャから選出されるのだそうだ。仏教徒とヒンドゥ教徒が、仲良く暮らすための先人の知恵ではないかと著者は説く。
これも、昨年訪れたブータンでは、オグロヅルの生息地に電線を通すと障害になるということで、電線の設置を止め、電気のない生活を送っている村人がいるのだそうだ。唯一、チベット仏教を国教とする国らしい話だ。
インドネシアでは、ボロブドゥール以外仏教に触れる機会がなかったが、本書によれば、ジャカルタとボゴールで仏教教会が設立され、儒教、道教、仏教という中国の三教の教えを説く三教会も設立されたという。
またアシン師が唱導した仏教は、上座、大乗、金剛乗の垣根を越え、あらゆる仏教の流儀を等しく尊重するのだとういう。
あれだけ、イスラム教を前面に押し出している国だが、仏教もしっかり頑張っているらしい。
本書は、仏教が、今注目を浴びる亜細亜で、新たなムーブメントを起こしていることを教えてくれる。
亜細亜の社会構造に興味のある人にお勧め。
今、河井選手が初優勝した。今まで20位以内に入ったことがない39歳。苦労人という言葉がぴったりだ。おめでとう。