かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

京阪満願の旅 その8 大仙公園・履中天皇陵古墳

2011年05月30日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )
日常が、また今日から始まった。
それにしても、インドの12日間の旅はすごかった。期間でいえば、もっと長い旅も経験しているが、インドという過酷な環境での12日間は、なかなか得難い体験だった。
日本食は、てんぷら+おかゆらしきもの、12日間で、一食のみ。ブッダガヤから、アグラまでは、日本人に全く会わず。

ガイドさんも、最長と言っていたから、まんざら間違ってもいないだろう。
そちらの方の報告は、別途か、homepage でさせていただくこととして、今日は、京阪満願の旅の続き。



仁徳天皇陵の近くに、御歌の碑があった。
高き屋に のぼりて見れば 煙たつ 民のかまどは にぎはひにけり
本当に1500年も前も歌なのか?



大仙公園は、仁徳天皇陵の南西にある。大仙は、仁徳の別名である。
とても大きな公園で、図書館や、博物館や、日本庭園があるが、今回の目的ではないので、割愛。



七観音古墳。
このような小さな古墳もたくさんある。
これから訪れる、履中天皇陵の陪塚と考えられている。



その南西にあるのが履中天皇陵古墳。濠の周りの道は、しっかり整備されている。



古墳が見えてきた。これも巨大だ。
ミサンザイ古墳とも呼ばれている。仁徳天皇の第一皇子。



履中天皇陵の正面。
全長365m。後円部径205m、高さ27.6m。前方部幅235m、高さ25.3m。
日本で3番目に大きい。ちなみに、2番目は、大阪羽曳野にある応神天皇陵だ。



このあたりが一番よく見える。手前が前方部で、奥の方が、後円部になる。



前方部の角にあたる部分。これだけの濠を彫って、盛土をするのに、どれだけの人出がかかったか。
ピラミッドは凄いけど、日本の古墳だって、負けていない。
コメント
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