かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

書聖 王羲之

2013年02月01日 | Books



王羲之の名前を意識したのは、15年ぐらい前に台湾の故宮博物館に行った時だったろうか?その時、王羲之の書を見たと思っていたのだが、後に西安に行った時、王羲之の直筆の書は残っておらず、今残っているのは、すべて模写だと知った。

王羲之の名は、あまりにも有名なのだが(PCで、”おうぎし”と打つと、この難しい漢字が一発で出てくる)、昔は、王羲之の他にも書聖と呼ばれる人はいたそうだ。しかし、はるか昔にその書は失われ、書聖と呼ばれのは、王羲之のみになった。

本書は、その生涯、その書を巡る逸話、真贋論争、書の特徴、その後の日本・中国の書への影響など、テーマ毎に、私のような素人にも面白く読めるように書かれていて、よかった。
折しも、王羲之展が開催されており、どうにか時間を作って行きたいと思っている。

王羲之は、4世紀の人なのだが、驚くほど多くの情報が残されている。どれほどの脚色がなされているのかわからないのだが、硬骨漢であったことは間違いないようだ。役人だったが、途中で、隠居生活に入り、おびただしい数の手紙を残したという。
しかし、その書が神聖化されていく過程で、多くの偽書が出回り、本物と偽物の区別がつかなくなっていった。王羲之自身も神格化されていった。

中国には、多くの書の収集家がいたが、唐の太宗が有名。しかし、当時、すでに、王羲之の時代から、数百年経っており、直筆の書がどれだけ残されていたかはわからない。そして、その時代、二つの手法で、多くの模本が作成されたという。
その方法の一つは、臨書、一つ精巧な透かし彫りの手法だ。後者の手法は、今も謎とされているが、あまりにも精巧で、本物と見分けがつかず、清の乾隆帝も、真筆と誤解していた節があるそうだ。
今残されている模本の多くは、もっと後代のものの可能性が高いという。

正倉院のリストにも載っているが、残念ながら、散逸してしまった。摸本ということで、気軽に持ち出されていたらしい。
しかし、その影響は、日本の書家にも、中国の書家にも、多大なる影響を及ぼした。書家は、まず王羲之の書からスタートして、そこから発展したり、逆に復古したりして、芸術としての書を高める努力を続けた。
漢字の書体は、唐の時代までに確立し、そこからは、芸術としての書の時代に入ったそうだ。海を隔てた日本の書家への影響も、大きい。

いろんな展覧会で、書を見てきたが、本書を読んで、その奥深さを教えてもらったような気がする。
ただ、絵の場合、直観的に好き嫌いがあると思うが、書の場合、何が書いてあるかわからないことも多くて、素人には、やっぱり難易度は高いかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする