今日は、ブータン展を、見てから、星加ルミ子 トークイベント 第5回に行った。
1回、抜けたが。
ブータン展の話は、後日するとして、今日は、トークイベントの話。
1967年から。
フールオンザヒルの制作に、立ち会った後、EMIに行ったら、アップル立ち上げの準備とのこと。仮オフィスに偶然訪れ、ジョンとポールと、プライベートな話ができ、ジョージか、ドノバンを紹介してくれた話は、前回もたぶん聞いた。
ドノバンは、結局アップルとは契約せず、契約第一号は、ジェームステーラーになるのだが。
その後、オフィスは、ベーカーストリートに、移る。
次に星加さんが、The Beatlesに会ったのは、68年12月。
セビルローに移転直後のアップルでのクリスマスパーティに、急に呼ばれたとのこと。
50年近く前に、電話一本で、ロンドンに行ってしまうのだから、凄い。
まだ、引っ越し直後で、整理も終わっていないオフィスの2階で、スタッフ、家族を交えて、社内クリスマスパーティがおこなわれたのだという。
星加さんの印象に残っている出来事は、リンゴに、子供の世話を頼まれ、振り回されたことがまず。
中締めで、ジョンと、洋子が、サンタクロースの扮装で、子供たちに、プレゼントを配ったこと。
そして、配り終わった2人とのインタビューを行ったが、ほとんど、洋子が答えて、ジョンの、声が聞けなかったこと。
ポールとメアリーホプキンが、一緒で、インタビューしたが、ウェルズ訛りがひどくてコミュニケーションが、取れなかったことなどだろうか。
しかし、今から考えると、1年後には、アップルは、ほぼ崩壊しているのだから、最初で、最後の、アップル社内クリスマスパーティの場に、居合わせたことだけでも、奇跡だ。
そして、最後の出会いが、あの1969年1月30日、ルーフトップコンサートの日。
ウォーカーブラザーズのファンの集いを、日本でやろうということで、その交渉に、ロンドンにたまたま行っていたのだという。
突然、当時のアップル社の社長のキャスから、明日屋上で、演奏するという連絡を受けたが、キャス自身も、状況を把握していなかったという。
午前、先約があり、昼にいったら、屋上での演奏が、かすかに聞こえたそうだ。
建物には、入れてもらえたが、屋上には上がれず、建物内で、かすかに演奏を、聞いていたのだという。
そして、終わったら、4人が、次々、階段から、降りて来て、疾風の、如くそれぞれ車に乗り、オフィスを去ったのだといいう。とにかく、寒いを、連呼していたらしい。
だから、ほとんど、話せていない。
ポールからは、またいるのかと聞かれたという。
オフィスは、苦情の電話が鳴りっぱなし。
外は、警官と、野次馬と、渋滞で、大混乱だったという。
ちょっと、勿体無いエピソードだが、そのタイミングに、ロンドンにいたこと自体が、ラッキーだったと、考えるべきなのだろう。
この、演奏が、日の目を見る可能性は低いと、その時は、みな感じていたという。
また、驚くべき体験談が聞けた。
次回が最終だが、もう6ヶ月、話を広げて、トークイベントを行うことが、決まったという。
都合のつく限り、行きたいと思う。