本書は、実は、父の形見だ。
山ほどある本、ほとんど処分したのだが(しかもほとんど値がつかず)、本書は、たまたま今夏行ったばかりだったので、読んでみた。
面白かった。
1875年頃の書だが、今夏自ら見た絵を、当時の視点からディープに評論してくれている。
著者は、フランスの画家で、かなりの腕の持ち主だが、その源流であるフランドル(ベルギー)、オランダの絵を見て回った紀行文だ。ルーブルの絵も評論している。
とにかく凄い評論。絵の評論は今でも多くあるが、これだけ、主観的というか、本気で、評論しているものはあるのだろうか。
自分が画家だから、ここまで言えるのだろう。
特に、ルーベンスとレンブラントに対する評論は、ほとんど二人に乗り移ったように書きまくってある。
彼らの活躍した時代は、江戸初期、そしてこの評論が書かれたのは、明治維新ごろ。
今の評論とは、違うのはわかるが。もっと身近な感じだったかもしれない。
まだフランスで印象派が生まれる前のこと。バルビゾン派が出てきたころか。
そういった意味では、近過去の絵に対する評論になる。
本評論を読むと、フランス人からは、当時の絵は、イタリアからオランダ・ベルギーに発展し、フランスに至ったと考えられていたことがわかる。著者にとっては、自らの絵のルーツを探る旅だったのだろう。
その評論力は、感嘆するしかないし、現代にも通じるものなのだが、不思議と、静物画への評論は、ほとんどない。
もっと驚くのは、今人気のフェルメールの存在を認知しながらも、その評価を行っていないこと。
本書が翻訳されたのは、今から30年ほど前のようなのだが、翻訳者も疑問を呈している。
ルーベンス、レンブラント、そして、フェルメール同様当時再発見されたハンスに対する評論に比しても、あまりにも少ないフェルメールの作品に対するコメント。
その真意はわからない。
ただ、私のように、ベルギー、オランダの絵画を見て回った者にとっては、タイムトリップ感覚と、目の前で見た絵画の徹底的な評論を楽しめる良書。
白黒だが、写真も多く、助かる。
当時は、まだ美術館というコンセプトが確立していなかったのだという。
その中で、マウリッツハイス美術館は、既にあったことも、知った。