昨日は、ボブディランの79歳の誕生日の前日にちなんだ?トークショー。
今日は、ゲット・バック・ネイキッド発売記念のトークショーだった。
ボブディラン生誕祭の方は、和久井さんと、さえきさんが、メインで、ソニーミュージックのディラン担当だったお二人が、テレ参加。
まぁ、深い話ばかりだったが、ディランの変人ぶりが浮き彫りになった?
ディランは、近年、延々とコンサート活動を行っているが、スケジュールはすべて隠密。
共演者とも、ステージで会う以外は、別行動。
ソニーミュージックの担当者も一人は会えてなく、一人は、15秒だけ会えたという。
今度出る新アルバムの情報も、すべて寸前まで伏せられていて、担当者泣かせ。
曲名もコード名でしかわからない。
発売が決まっても、歌詞は公開されず、聞き取りでやるしかない。
曲がチャックベリーの曲とそっくりだとか、バングラデッシュのコンサートでジーンズ姿で出てきたのは、当時、白いスーツで出るのが流行りだったからあえてさからたっとか、ウッドストックに出る自信がなくて、ワイト島コンサートに出たとか、面白話満載。
楽しかった。
今日のは、前回ご紹介したゲット・バック・ネイキッドを著したお二人のトークイベント。
例のCD83枚組の音源の話題が中心になった。
この83枚組でも完全ではなく、他の音源、既存の解釈本等を参考に書き直したという。
藤本さんとのキャッチボールで、さらに内容が深まった。
まさにそうだと思う。
当時の4人が、結構政治的思考が強かったこと、ジョージがスルーされっぱなしだったが、一時離脱後発言力が増したこと、ジョンも、後半良くなったこと、ポールが校長先生みたいだったことなど、ずっと会話を聞いた人ならではの感想が聴けた。
最初のスタジオの環境が、悪かったのが、これらの原因だったか。
いろんなアイデアが出るのだが、解散後の4人の作品や、行動に反映されたことが多いのも発見。ソロでの作品もセッションで多く取り上げられていたのは、ご存じの通り。
マイケルリンセイホッグの言葉使いがお姉言葉に聞こえるのは、当時の業界人の風潮だったらしい。
ヨーコ、リンダ、マイケルは、ニューヨークの最新アートシーンを知っているアーティストとして、1枚上扱いだったらしい。
特に、マイケルは、ユニークで、舞台監督や、俳優もやっていたそうで、それが、4人に気に入られた理由なのだろう。
Two of Us の映画は、見たことがないが、普通に見ると、全然面白くないが、ゲット・バック・セッションを聴いた後見ると、パクリ満載だそうだ。
この辺も新発見。
Let It Be の字幕で、解散するのはつらいだろうが、という通行人のセリフが出てくるが、これは、Crackingという言葉を使っているそうで、これは、ひび割れたという意味ではなく、当時のイギリス英語で、すばらしいという意味だったそうだ。
これは、今日のイベントで、一番驚いた発見。
翻訳の理解度の重要性を、思い知った。
私も映画を見てて、おやっとは思っていた。
最後に驚いたのは、本の表紙。
カバー写真の後ろに隠れているのは、この当日のパノラマ写真。
このインパクトは大きい!
楽しい2つのトーク・イベントだった。