雨は、あまり降らないが、ムシムシ梅雨らしい天気が続いている。
今日も、夜、飲み会。
”日本の神様を知っていますか”と題する講演を視聴。
元々、リアル講演会に行く予定だったのだが、別件が入り、オンライン視聴に切り替えたが、全く問題ない。
国学院大学教授の平藤教授の話だったが、ひじょうにわかりやすく、頭の整理にもなった。
最初、三社祭りの話から入ったが、確かに、何でお寺発?
日本の神様は、身近なようで、知らないことがひじょうに多い。
日本に神社は、8万、お寺は、7万5千あるそうで、地域によって違うが、総数では、コンビニの数を上回る。
世界を見渡すと、いろんなパターンがあるが、日本で言うと大きく、神話に登場する神、民間信仰から生まれた神、元々人間だった神と大きく3つに分けられる。
ただ、事はそう単純ではない。
例えば、富士山の頂上は、浅間大社の所有となっているが、元はかぐや姫を祀っていたという。
ところが、いつのころか、記紀に出てくる木花咲夜姫(コノハナノサクヤビメ)を祀るようになった。
記紀に関係すると、社の格が上がることが原因らしい。
稲荷神社も然り。
そもそも稲荷神が何なのか、定かではない。
伏見稲荷大社が総本山だが、元々稲作や、穀物にかかわる信仰だったが、空海が、東寺の守護神とし、空海の信仰が全国展開するにつれ、稲荷信仰も広がり、商売の神になっていった。
そもそも伏見稲荷大社の土地は、渡来人の秦氏の本拠だったという。
狐も元は、鳥だったといい、狐になった原因は、しっぽが稲穂に似ているとか、色が稲に似ているからとか、いろんな説があるそうだ。
話は、世界の神話に展開。
そもそも神話学は、神話を様々な角度から比較・対照したり、分析したりすることで、個別の文化の特徴や、その社会に属する人たちの物事に対する考え方を検討する。また、人類の足跡や、人類に普遍的な思考・観念について考察することという。
ただ、キリスト教が広く長く信仰されていたため、神話学として始まったのは、19世紀になってからで、古くはない。
その中で、各国の伝承が掘り起こされれ、その相互の影響等が研究されるようになった。
グリム童話で有名なグリムはもともと言語学者だったが、その調査の中で、様々な伝承(寓話)をまとめていくに至ったという。
日本の神の中では、オオクニヌシ、スクナヒコ、オオモノヌシと、いずれも古事記に登場する神々が取り上げられたが、いずれも、医療に関連している。
それを海外の神々にと比較すると、ギリシャ神話のアスクレビオスが当てはまり、そのシンボルであった杖に巻き付いた蛇のデザインは、今も使われている。
中国でいえば、神農という、人の体に牛の首の形をした神が、医療の神とされ、日本神話のスクナヒコナは、神農さんとも呼ばれている。
つまり、医療の神という括りでいえば、異形と小人が共通項となる。
蛇も。
脱皮を繰り返すところが、ありがたいらしい。
小人は、どこの国でも、賢いものの象徴とされ、これも、神話学から導き出された傾向。
ということで、奥は深いのだが、神話学自体、まだまだこれからの部分が多く、特に、アジア、アフリカなど、文字の発展が遅れた地域の神話は、掘り起こしが難しく、後世に伝えられたものから推測するしかないものも多い。
ただ、人間の本質を探るという意味でも、興味深い学問という印象を持った。
今日も、夜、飲み会。
”日本の神様を知っていますか”と題する講演を視聴。
元々、リアル講演会に行く予定だったのだが、別件が入り、オンライン視聴に切り替えたが、全く問題ない。
国学院大学教授の平藤教授の話だったが、ひじょうにわかりやすく、頭の整理にもなった。
最初、三社祭りの話から入ったが、確かに、何でお寺発?
日本の神様は、身近なようで、知らないことがひじょうに多い。
日本に神社は、8万、お寺は、7万5千あるそうで、地域によって違うが、総数では、コンビニの数を上回る。
世界を見渡すと、いろんなパターンがあるが、日本で言うと大きく、神話に登場する神、民間信仰から生まれた神、元々人間だった神と大きく3つに分けられる。
ただ、事はそう単純ではない。
例えば、富士山の頂上は、浅間大社の所有となっているが、元はかぐや姫を祀っていたという。
ところが、いつのころか、記紀に出てくる木花咲夜姫(コノハナノサクヤビメ)を祀るようになった。
記紀に関係すると、社の格が上がることが原因らしい。
稲荷神社も然り。
そもそも稲荷神が何なのか、定かではない。
伏見稲荷大社が総本山だが、元々稲作や、穀物にかかわる信仰だったが、空海が、東寺の守護神とし、空海の信仰が全国展開するにつれ、稲荷信仰も広がり、商売の神になっていった。
そもそも伏見稲荷大社の土地は、渡来人の秦氏の本拠だったという。
狐も元は、鳥だったといい、狐になった原因は、しっぽが稲穂に似ているとか、色が稲に似ているからとか、いろんな説があるそうだ。
話は、世界の神話に展開。
そもそも神話学は、神話を様々な角度から比較・対照したり、分析したりすることで、個別の文化の特徴や、その社会に属する人たちの物事に対する考え方を検討する。また、人類の足跡や、人類に普遍的な思考・観念について考察することという。
ただ、キリスト教が広く長く信仰されていたため、神話学として始まったのは、19世紀になってからで、古くはない。
その中で、各国の伝承が掘り起こされれ、その相互の影響等が研究されるようになった。
グリム童話で有名なグリムはもともと言語学者だったが、その調査の中で、様々な伝承(寓話)をまとめていくに至ったという。
日本の神の中では、オオクニヌシ、スクナヒコ、オオモノヌシと、いずれも古事記に登場する神々が取り上げられたが、いずれも、医療に関連している。
それを海外の神々にと比較すると、ギリシャ神話のアスクレビオスが当てはまり、そのシンボルであった杖に巻き付いた蛇のデザインは、今も使われている。
中国でいえば、神農という、人の体に牛の首の形をした神が、医療の神とされ、日本神話のスクナヒコナは、神農さんとも呼ばれている。
つまり、医療の神という括りでいえば、異形と小人が共通項となる。
蛇も。
脱皮を繰り返すところが、ありがたいらしい。
小人は、どこの国でも、賢いものの象徴とされ、これも、神話学から導き出された傾向。
ということで、奥は深いのだが、神話学自体、まだまだこれからの部分が多く、特に、アジア、アフリカなど、文字の発展が遅れた地域の神話は、掘り起こしが難しく、後世に伝えられたものから推測するしかないものも多い。
ただ、人間の本質を探るという意味でも、興味深い学問という印象を持った。