三蔵法師は、インドのナーランダ寺院で修行をして、多くの経典を長安(今の西安)に持ち帰り、翻訳した経典は、韓国、日本まで伝わりました。
インドの仏教遺跡は、アジャンタ・エローラしか行ったことがないのですが、下の写真は、アジャンタの一番有名な菩薩像です。三蔵法師が訪れた記録はありませんが、当時からすでにあった石窟です。フラッシュ禁止なので、うまく写ってませんが、敦煌莫高窟57窟の菩薩像、燃えてしまった法隆寺金堂の菩薩像と、時空を超えた共通項があり、感動ものです。明治時代に、この菩薩像を見た岡倉天心は、すぐ法隆寺金堂の菩薩像との類似性を指摘したと言います。インド、中国というアジアの大国が、民族も、言葉も全く異なるのに、仏教(文化)という共通項でつながっているというのも興味深いです。しかも、その間には、パミール高原や、タクラマカン砂漠など、今でも通るのがたいへんな難所が、多く立ちはだかっていたのです。そんな、観点からも、鳩摩羅什、玄奘(三蔵法師の元の意味は、”経””律””論”に精通し、経典の漢訳を行った僧侶の尊称で、鳩摩羅什も三蔵法師なのだそうです)の功績は、限りなく大きいと思います。
たまたまアジャンタと敦煌の、両方の菩薩像を見る機会に恵まれた私は、いたく感動し、屋根裏の書斎に、燃えてしまった法隆寺金堂の菩薩像も合わせ、3つの菩薩像の写真(絵)を飾ってます。
三蔵法師は、敦煌に滞在し、そこからインドに向け、出国したと伝えられています。当時、唐の国を出ることは違法でしたので、脱国と言った方が適当かもしれません。
敦煌は、莫高窟が有名ですが、当時三蔵法師が訪れたかどうかは定かではありません(たぶん、絶対訪れたと思いますが)。当時の敦煌の町は、今の町の位置とは少しずれていて、現在は、貧しい家と畑が続く寒村になっています。沙州故城と呼ばれる遺跡が残っていますが(上の写真)、その他には、何も残っていません。大々的に発掘すれば、まだいろいろ出てきそうな気もしますが。
当時の町の中心部と思われる所には、白馬塔があります(下の写真)。これは、三蔵法師より前の時代に(4-5世紀)、仏典を翻訳した、クチャ出身の鳩摩羅什が、敦煌で亡くなった白馬を弔うために建てた塔だと言われていますが.....
鳩摩羅什と三蔵法師(玄奘)は、仏教東伝のキーマンだったことは、間違いありません。ちなみに鳩摩羅什の訳を”古訳”、玄奘以降の訳を”新訳”と言うそうです。
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三蔵法師は、真の経典を求めて、唐の時代に中国とインドの間を往復した実在の僧侶ですが、その途中、トルファンにあった高昌国で、当時の王であった麹氏に請われて滞在し、説法をしたそうです。写真は、今は廃墟となった高昌国跡(高昌故城)に残る、三蔵法師が説法したと伝えられる寺院近辺の写真です。
この話には、後日談があって、三蔵法師が、見事インドで経典を手に入れて、帰りに高昌国によった時には、高昌国は、唐に滅ぼされた後でした。当時、唐は、多くの諸国を従える巨大帝国でしたが(日本からは、遣唐使がはるばる教えを請いに派遣されていた時代ですね)、高昌国は、唐の力を見くびって唐との関係を軽視したため、唐の怒りを買い、滅ぼされてしまったのだそうです。唐の強大な力について、的確な情報がなかったことによる悲劇でした。
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昨日の続きですが、三蔵法師は、インド(天竺)から持ち帰った経典を唐に帰って、当時の首都の長安(西安)にある大雁塔に納めました。
三蔵法師の経典を求める旅は、想像を絶する旅でした。車も何もなかった時代に、中国-インドを往復したのです。私の場合、砂漠の山を、50m足らず歩いただけでGive Upでしたから。
写真は、三蔵法師が持ち帰った経典を納めた大雁塔です。三蔵法師の像も力強いものです。TVの西遊記の三蔵法師のイメージとは、かけ離れています。大雁塔前の公園は、今は庶民の憩の場になっています(凧揚げが盛んです)。
SMAPの香取さんが孫悟空に扮している西遊記の2回目の放送がこれからある。我々の世代は、どうしても、夏目雅子、堺正章、西田敏行、岸辺シローの配役で、ゴダイゴが音楽を担当した西遊記を思い出してしまう。強烈なキャラだった。それとは、ちょっと様子が違うのだが、高視聴率を記録している。今日発行の”読売ウィークリー”を読んでいたら、同じような感想の記事があった。世代間ギャップというのだろう。でも、娯楽と割り切ってみれば、面白い。昔のと見比べてみたいのだが、DVD未発売のようで、頭の中の記憶との比較しかできないが。
本当の西遊記を全部(岩波文庫)読んだことのある人は、少ないと思う。私は、2冊にまとめられた文庫本(光文社文庫)を読んだが、それでも冗長に感じられた。暴力表現もすさまじい(水滸伝といっしょ)。
西遊記は、三蔵法師のインド(天竺)へのお経を求めて旅をする、唐時代の旅がベースになっているのだが、その後伝説化し、西遊記が書かれたのは、ずっと後の明の時代であるから、実話とは相当かけ離れているはずだ
その中で、孫悟空が芭蕉扇で燃えさかる山の炎を消す話は、トルファンの火焔山がモデルになっていることは明らかだ。当時、高昌国がトルファンにあり、三蔵法師がそこで説法した話も、大唐西域記に記されている。
上の写真は、火焔山を奥に入ったところにあるベゼクリク千仏洞近くの、孫悟空一行の像です。孫悟空が、先頭で、周りの様子を伺っているポーズをとっています。三蔵法師、猪八戒、沙悟浄が続いています。
下の写真は、火焔山遠景です。燃え盛る山と呼ぶにふさわしい姿です。