今日は、絶好のゴルフ日和。生涯2回目の公式戦だった。前半は、適度な緊張感で、なかなかのスコア。後半やや崩れたものの、かろうじて踏ん張った。最終順位は、わからないけど、かなりいい線いったかも。
申し込んでいた吉田拓郎の昨年のライブのDVDが届いた。
4回しかなかったライブ。その前のツアーは、途中で、キャンセルになって、もう彼の歌う姿は見れないかもしれないと思っていた。
幸い、横浜でのチケットがGETできて、〇十年振りに、堪能した。
その時、ポスター特典付き?の申し込み機会があって、GETしたもの。
値段はともかく、内容は、期待にそぐわぬすばらしいものだった。
4回のライブの内の最後のNHKホールでの録画だが、演奏も充実しているし、その収録も最高レベルでできている。
特異のだらだらMCは、最後のバーでの一コマのみにカットされているが、その辺は、ライブに実際に行った人たちへの配慮というものかもしれない。
収録されているバーでの一コマのMCは、横浜でもやったが、実際横浜で起こったことだったと思う。だから、本DVDでの、渋谷での話の時は、虚構っぽさがいっぱいだった。横浜での方が、実話っぽかった。
横浜ではその他にも、いろんな話をしていたが、渋谷では録画があるので、こんなくだらん話はできないと言っていた。でも、渋谷でもたぶんいろんな話をして、全部カットされたのだろう?彼のライブは、歌ももちろんだが、その語りもポイント。
当時は、深夜放送のパーソナリティもやっていたので、語りはお手の物だった。歌とともに、若者の気持ちをつかんだ。
新旧織り交ぜての選曲だったが、どうしても我々世代は、若かりし頃の歌が感涙ものだ。
落陽とか、御伽草子とか、春だったねとか。
特に、御伽草子のLPが出たころ、一番聞いていたかな。もう何年前のことだろう。中学時代か?
すばらしいコンサートをしてくれた拓郎と、それを盛り立ててくれたバックバンド、映像編集者に感謝である。
おまけのブックレットは、今回のコンサートの写真集で、リハーサルと、4回のコンサート毎の写真が掲載されている。コンサートに来れた人たちへのプレゼントのようにも思えた。
追伸
帰宅後、ゴルフクラブから電話があって、何と優勝した!という。まだ賞品は、いただいていないが、出場2回目にして優勝とは、びっくり。
ハンディが次回からきつくなるけど、それは、しょうがないよね。
追伸その2
豆まきもちゃんとやったよ!
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天気予報が悪かったので、昼食もただになったし。
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また、古代史がらみで、面白い本が出た。
著者の村井さんは、経歴を見ると、この道の専門家であられるようだが、出雲と大和との関係について、足で集めた情報を元に、再構築されていて、ひじょうに面白い。
出雲というと大国主神だが、その痕跡が、巧みに日本各地に残されている。
盤座巡り、四隅突出墓巡り、国司(くにし)神社巡りなど、ユニークなアプローチだが、出雲の痕跡を探るという観点からは、的を得ている。
国司神社というのは、元は国主(くにしゅ)神社で、大国主神を祀っていたが、明治維新の際、国司神社に名を変え、今も残っているのだという。
大国主神は、大和に国譲りをしたことになっているが、そこに隠された抗争があったことを想像することは、そう難しいことではない。
著者は、そこに、邪馬台国の話を結び付け、邪馬台国は、全国各地の出雲勢力で(その製鉄能力により勢力を拡大した)、それに大和勢力が打ち勝った歴史が、日本古代史の背骨と考える。
邪馬台国の場所についても、推論を展開されているが、ご興味のある方は、本書でどうぞ。
出雲式狛犬というのがあるそうで、前脚を折りたたんで、後脚をすくっと伸ばしている狛犬のことをいうらしい。そのような狛犬がいたら、そこは出雲の神を祀った神社だそうだ。
去年は、古事記1300年だったが、今年は、20年振りの伊勢神宮の遷宮と、出雲大社の60年振りの遷宮が重なる。古代史ブームは、まだしばらく続きそうだ。
楽しみ楽しみ。
王羲之の名前を意識したのは、15年ぐらい前に台湾の故宮博物館に行った時だったろうか?その時、王羲之の書を見たと思っていたのだが、後に西安に行った時、王羲之の直筆の書は残っておらず、今残っているのは、すべて模写だと知った。
王羲之の名は、あまりにも有名なのだが(PCで、”おうぎし”と打つと、この難しい漢字が一発で出てくる)、昔は、王羲之の他にも書聖と呼ばれる人はいたそうだ。しかし、はるか昔にその書は失われ、書聖と呼ばれのは、王羲之のみになった。
本書は、その生涯、その書を巡る逸話、真贋論争、書の特徴、その後の日本・中国の書への影響など、テーマ毎に、私のような素人にも面白く読めるように書かれていて、よかった。
折しも、王羲之展が開催されており、どうにか時間を作って行きたいと思っている。
王羲之は、4世紀の人なのだが、驚くほど多くの情報が残されている。どれほどの脚色がなされているのかわからないのだが、硬骨漢であったことは間違いないようだ。役人だったが、途中で、隠居生活に入り、おびただしい数の手紙を残したという。
しかし、その書が神聖化されていく過程で、多くの偽書が出回り、本物と偽物の区別がつかなくなっていった。王羲之自身も神格化されていった。
中国には、多くの書の収集家がいたが、唐の太宗が有名。しかし、当時、すでに、王羲之の時代から、数百年経っており、直筆の書がどれだけ残されていたかはわからない。そして、その時代、二つの手法で、多くの模本が作成されたという。
その方法の一つは、臨書、一つ精巧な透かし彫りの手法だ。後者の手法は、今も謎とされているが、あまりにも精巧で、本物と見分けがつかず、清の乾隆帝も、真筆と誤解していた節があるそうだ。
今残されている模本の多くは、もっと後代のものの可能性が高いという。
正倉院のリストにも載っているが、残念ながら、散逸してしまった。摸本ということで、気軽に持ち出されていたらしい。
しかし、その影響は、日本の書家にも、中国の書家にも、多大なる影響を及ぼした。書家は、まず王羲之の書からスタートして、そこから発展したり、逆に復古したりして、芸術としての書を高める努力を続けた。
漢字の書体は、唐の時代までに確立し、そこからは、芸術としての書の時代に入ったそうだ。海を隔てた日本の書家への影響も、大きい。
いろんな展覧会で、書を見てきたが、本書を読んで、その奥深さを教えてもらったような気がする。
ただ、絵の場合、直観的に好き嫌いがあると思うが、書の場合、何が書いてあるかわからないことも多くて、素人には、やっぱり難易度は高いかな?