かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

True Colors Festival 2022

2022年11月20日 | Music


今日は、True Colors Festival 2022に行った。
この催し自体は、2019年からだが、その前身的な催しは、2000年代から、ラオス、ベトナム等で開催されていたそうだ。
身体障害者を中心としたマイノリティの方々が、凄いパフォーマンスを披露。
圧倒された。
会場は、初めての有明アリーナだったが、立派で、周りの、ショップやレストランなどの施設も充実している。
大井町乗り換えが必要なのが難。



全部で20組ぐらいだっただろうか。
それぞれ、印象的で、改めて勇気をもらったという感じ。
15か国から集合ということで、本当にビッグイベントだ。
このジャズバンド。
ドラムの方は、足で演奏。
ギターも足で演奏(両足!)。
ピアニストは、視覚障害者で、ボーカルは、車いす。
それでも、極めてレベルの高い演奏を聴かせてくれた。



このインドの方々も、車いすを自在に操り、ダンサーも小人症の方がいらっしゃるが、全く違和感なく、力技も入れた、パワフルなダンスを披露。
その他にも、目の見えないギタリスト+ボーカリスト+パーカッショニストとか、腕のないキーボード奏者とか、下半身を失ったダンサーとか、足を失ったブレイクダンサーとか、義足のシンガーとか、車いすのラッパーとか、右手を失ったバイオリニストが、信じられないパフォーマンスを披露してくれた。
しかも、それぞれのレベルが高すぎる。
手話の方も、音楽まで体で表現するパフォーマンス。
全世界に配信されたそうなので、世界中の障碍者の方に勇気を与えたのは、間違いない。



一通りのパフォーマンスが終了したところで、スペシャルゲストとして、まずきゃりーぱみゅぱみゅさん。
ネットで、絶大な人気を誇る。
Candy Candyなど、2曲を披露。
流石に、ベテラン?らしい、踊りと歌。



そしてスペシャルゲスト第二弾は、Katy Perry。
4年振りの来日が、このイベントというところが、Katyさんらしい。



4曲だったが、大熱演で、Roar、Fireworks、California Girlなどを披露。
バンドも、専属のようだったが、この2日間、4曲づつのためだけに来日したのだろうか?



最後の最後に、また出演者全員が登場し、ご挨拶。



出演者もKaty Perryに会えて、みな嬉しそうだった。
ということで、すばらしいイベントを満喫できた。
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Paul McCartey's WINGS Live 1972

2022年11月19日 | The Beatles


今日もゴルフ。
流石に、連荘は、しんどくなってきた。
秋晴れで、最高のコンディションだったが、スコアさっぱり。

とにかく、わざと、アップダウンを強調したような設計で、カートがなかったら、まさに、トレッキングコース。
よくぞ、作ったというコース。



今日は、紅葉を見に来たということで。



今年の紅葉は、綺麗だ。



本CDは、ネットでゲット。
正直、西新宿で売られているような代物だったが、この時期のWINGSのライブを聴いたのは初めてだったので、私にとってはまずまず?

Paul は、ソロアルバム2枚を作成後、WINGSを結成し、即席で、アルバムを1枚作って、WINGSの初ツアーを企図。
メンバーをさらに集めて、 5人体制で、1972年、小さなホールを中心にUK、ヨーロッパでのライブツアーを行った。
この音源は、1972年8月22日のベルギー、Antwerpでのライブ音源だが、ステージの最初の方と最後の方が欠けており、8/20のアムステルダム公演の重複しない音源を加えている(後半の5曲)。

演奏はラフだし、音も、切れたり飛んだりする部分があり、必ずしもよくないが、当時のコンサートの様子が分かって興味深い。
当然、当時は、ビートルズの曲は、演奏せず。
ソロアルバムからの曲もない。
WINGSになってから取り組んだ曲ばかりで、演奏もこなれていない訳だ(といっても、ツアー最終に近いタイミングなのだが)。
当時、地元TVで放送されたものを、音源化したもののようだが、音が飛ぶ部分があることから、一次音源ではないと思われる。

既発表曲もあるが、ほとんどが未発表で、最終的に、正式リリースされなかった曲も多い。
その中で、その後、正式にリリースされたMy Loveや、Hi Hi Hiは、演奏のレベルも比較的高く、客のノリもよい。
コンサートだけで披露する曲と、正式にリリース予定の曲と、気合の入り方が違うのか。
Soilyも、ライブ盤で、正式リリースされたが、本音源の方は、かなり、シンプルなアレンジで、かつ演奏がラフで、正式ライブ盤の迫力はない。
Henry McCulloghが、2曲、ブルースを演奏しているが、WINGSのコンセプトとは異質であり、客の反応も悪そう。
その分野は、クラプトンに任せておけばよかったのにと思う。
ポールが、グループの演奏に満足していたとは到底思えないが、ビートルズ時代できなくなっていたライブをまずは始めてみたということではなかろうか。

などなど、Wingsの創生期のライブ音源を聴いたことのない私のようなリスナーにはいいが、その辺に詳しいリスナーには、がっかりかもしれない。
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青葉繁れる

2022年11月18日 | Movie


今日は、ゴルフ。
すばらしい秋晴れで、寒くもなく、最高のコンディション。
出だしで、いきなり2連続OBを出すなど、荒れ模様だったが、楽しい1日だった。



相模湾もきらきら光っている。



このショートでは、ニアピン賞をいただいた。



富士山が、紅葉に映える。



これヨーグルト。
健康にいいかな?



DVD化されることはあるまい(=二度と見ることはあるまい)と諦めていた”青葉繁れる”が、何とDVD化された。
作品としての評価というよりも、岡本喜八監督作品ということで、DVD化されたようだ。
岡本喜八監督と言えば、芸術的というより、俗っぽい映画というイメージがあるが、本映画も、まさに、どたばた、俗っぽい。
50歳頃の作品と思うから、油の乗り切った時期の作品と言えるだろう。
当時、売り出し中だった、草刈正雄、秋吉久美子をフィーチャーした青春映画だが、私には、特別な思い入れがある。

作者が高校の大先輩の井上ひさし。
話の舞台が、母校の高校。
井上ひさしが在籍していた、1950年代前半の、半分実話で、1年先輩の菅原文太や、隣の女子高にいた若尾文子などがモデルになった登場人物が出てくる。
主役は、井上ひさし本人がモデルになっている。
舞台は映画が製作された1970年代前半に置き換えられている。

単行本になったのが、1973年で、映画化が1974年だから、まさに私の在籍時に重なる。
秋吉久美子、草刈正雄がロケに来ていると大騒ぎになったことは覚えているが、見た記憶はない。
調べると、入学直後の5月。
ロケ日は、一二高定期戦で(杜の都の早慶戦と呼ばれる)一高生はほとんどいなかったらしい。
女子高からは、草刈正雄を見に、ファンが押し寄せたというが。
ただ、友人には、エキストラで参加したやつもいたし、秋吉久美子にサインをもらったやつもいる。
いずれにしても、私の高校生活に大きくかかわっている映画だ。



それこそ、50年近く振りに見たが、青春というには、ちょっとお下品。
そこまで下品ではなかったと思うのだが、小説にはそういうシーンがあり、井上先生の頃は、もっとバンカラだったのかもしれない。
松島五大堂の逸話や、看板泥棒の逸話など、ノンフィクションに近いと聞いている。
井上ひさしがご存命の時に作られた映画だから、当然本人も見ていただろう。

それよりも、懐かしかったのは、仙台でのロケシーン。
今は失われてしまった昔の仙台の街並みがパックされている。
校内でのロケでは、在学中に取り壊されてしまった講道館のありし日の姿など(門だけ残された)、貴重な映像が満載。
新幹線ができる前で、東北本線をひばりが通るシーンや、国鉄脇の坂道など、本当に懐かしい。
当時の青葉城のシーンもある。
生徒が、秋吉久美子(若尾ひろ子)を見るために、駆け抜けるシーンがあり、そこに友人がいたのか。
それと、応援団が練習しているシーンにも出てたらしい。
悪ガキ4人組が、応援歌を次々と歌うシーンがあり、これらは本物の応援歌。
撮影のために覚えてくれたのだろう。

そして、草刈さん、秋吉さんの、デビュー後間もない、若かりし頃の姿。
ハナ肇が、不良生徒をかばう高校先生を演じているが、確かに、当時の先生は、おおらかだった。
結局、生徒を守るため、職を辞してしまう。
最後、切ないシーンで終わるが、それも青春の一コマ。

井上ひさしをモデルにした人物を、丹波哲郎の息子が演じており、丹波哲郎が撮影時に立ち会ったスチール写真もある。

私の高校生活とシンクロした映画で、本当に懐かしかった。
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ぴあ 50周年記念感謝イベント

2022年11月17日 | Music


今日は、ぴあ50周年記念感謝イベント。
たまたま当たった。
会場は、初めてのぴあアリーナMM。
横浜ど真ん中?

ぴあには、大学に入った1977年から、たいへんお世話になった。
できて5年目だったことになる。
当時は、情報も少なく、映画にしても、コンサートにしても、チケットは、情報がなくて、なかなかとれなかった。
今日のイベントで、ぴあが世界を変えてくれたことがよくわかった。
確かに、映画について言えば、当時ぴあが唯一の情報源だった思う。



凄い量の花。
いかに、ぴあがいろんな業界にとって重要な存在であるかがわかる。



表紙を飾った原画の数々。
山口百恵さんが、日本人初だったというから、洋物指向だった。
ジョンレノンの表紙は、なくなって10年後。

ぴあユーザー200人の抽選に当たって行ったのだが、凄い人。
8,000人いたそうだが、ほとんどが、株主と、社員だっという。
私のように関係ない人は、ごくわずかだったらしい。

冒頭、創業者の矢内さんから、有名人6人が立て続けにご挨拶。
まさに、圧巻。



ユーミンと林さんは、ビデオだったが。
ユーミンのデビューは、ぴあ発刊の5日前だったというから、笑える。
偶然とは言え、出来過ぎ。
秋元さん、三枝さん、川淵さんのご挨拶など、説得力があった。
ぴあがなかったら、チケット入手が容易になるのには、10年以上待たなければならなかったろう。
CATSが嚆矢というが、まさに、私も行った。
チケットシステムを立ち上げたのもぴあ。
上場後、システムトラブルで、たいへんな状況になったのも、ぴあらしい。

   

第二部は、布袋さんオンステージ。
前半は、本会の趣旨に合わせて、映画や、テレビドラマの主題歌も。
007、ミッションインポッシブル、ブレードランナー、太陽にほえろ、傷だらけの天子。
後半は、オンステージで、さすが凄かった。
会場を1つにしてしまう。

Still Dreemingや、Be My Babyなど、わかりやすくストレートな曲が多い。
3.11以降、ボランティア的なコンサートも多く開催しており、すばらしいギタリストと再認識。
今週末も釜石と。

たくさんお土産もいただいて、ラッキーな1日だった。
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1963 Northwich Carnival Program

2022年11月16日 | The Beatles
今日は、すばらしい青空。
また、しばらく秋晴れが続きそう。



最近入手したビートルズ関係のプログラムの3冊目は、1963年7月6日にNorthwichで開催されたCarnival Queenの戴冠式?のプログラム。
これは、ツアーの一環ではなく、Northwich市の催しにゲスト参加した時のプログラムで、この日のための特別なもの。
永年探して来て、やっと出会った。
その前後は、UKツアーで、まだトリを務めるほどではなかったが、ビートルズが出演したプログラムは結構出ている。
カーニバル当日の 4人のサインを持っていて、それをきっかけに、1963年7月6日(ジョンとポールが出会って、6周年?)には、こだわってきた。
ラッキーナンバー1808とあり、少なくとも2,000部以上は、発行されたものと思われるが、ここまで綺麗に保存している人はほとんどいないだろう。



ページをめくると、スポンサーの広告が多いが、街を挙げての行事だったことがわかる。
右の式次第?のページに、ビートルズが、クラウンをCarnival Queenに授けるとあり、ビートルズが看板ゲストであったことがわかる。
いつブックされたのかはわからないが、当時、ビートルズは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。
ビートルマニアが発生したのもこの頃で、全英で大騒ぎになっており、彼らが、この一都市のイベントのメインゲストとして来るということで、大混乱になったことが想像できる。
1時半開始で、3時半にミステリーマン?登場とある。
このミステリーマンが、豪華賞金?10ポンド?の当選者のようだ。
この式次第では、いつビートルズが登場したのかわからない。
私が持っているサインをゲットした人の回想によると、その日、2回公演があったそうなので、戴冠式?と、終了後のダンスパーティの時だったかもしれない。



翌ページに、会長の挨拶が掲載されているが、ビートルズの名前は、ない!
挨拶文を書いた時点では、会長は、ビートルズを知らなかったか、来ることを知らなかったか?

これは、当日のスケジュールだが、1時15分にセッティングして、1時45分から、パレード開始。
3時に、メイン会場のVerdin Parkで、戴冠式とあるので、そこにビートルズがいたことは確実だ。
マーク・ルイソンさんの本に、その時の写真も載っている。
その後、ドレスショーや、ダンス大会があったようだ。
7時半からラッキードローの授与式で、9時からダンス大会の表彰式とあるので、延々9時間の大イベントであった。



パレードの出場者のリスト。
48チーム!
最初は、会長で、47番目にCarnival QueenのCathryn Millingtonさん登場。
Tableauという表示がたくさんあるが、看板でも持って行進したのだろうか。



Carnival Queenに輝いたCathryn Millingtonさん。
下が、昨年のQueenで、お役御免ということらしい。
1年任期。



全28ページで13ページ目に、ビートルズがやっと出てくる。
Carnival Queenに、クラウンを授けることと、ヒット曲3曲が紹介されるシンプルなもの。



いろんなコンテスト部門があったようだ。
賞品は、ささやかなものだが。
ビートルズを招聘してくれたLewis Buckley Entertainments Ltd.と、ビートルズが戴冠してくれたことに対して、謝辞が述べられている。
その後、他の賞の紹介と、広告、1コマ漫画などが続く。
これらの広告主の協賛により、成立しているイベント。
ビートルズが、まだあまり知られていない時期に企画され、イベント当日には、大スターになっていたビートルズが登場したというタイミング。
極めて珍しい逸品が入手できた。



おまけで、50年後の2013年7月6日の50周年記念イベントのプログラムも。
同じような仕様で、カバーは、1963年のCarnival QueenのCathryn Evans Millingtonさん。
2013年時点では、Chesterにお住まいのようだ。
下に、1963年当時の写真も掲載されている。



2013年のCarnival Queen。
15歳とある。



2013年までの、Carnival Queenのリストだが、1939年が最初で、一時中断したが、1949年からは、毎年選出されている。
伝統行事だったことがわかる。
もちろん、1963年は、ビートルズの登場で、特別だった。



1963年のQueenと従者?たち。
当時15歳だったとすれば、この時点で、65歳ぐらいなのだろう。
みなお元気そうだ。

宝物。
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