かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

佐倉 & PYRAMID 市民会議

2022年11月25日 | Culture・Arts


今日は、二度目の国立民族歴史博物館。
佐倉にある。
素晴らしい博物館なのだが、横浜からだと遠いのが難。
ちょっと渋滞も入り、車で、2時間ぐらいかかる。
天気は、すばらしい秋晴れ。



先日の、高野山で見た多宝塔。
これは、根来寺の縮小模型。
室町時代のものという。



こちらが、今回の目的の伽耶展。
前に一度企画されたが、コロナで流れて、今回はリベンジ企画展。



大観民国国立中央博物館を中心とした韓国の博物館から、伽耶国に関するお宝が多数来日。
特に、鉄器がすばらしい。
伽耶国と言っても、残された文献は、少なく、発掘物の研究から、金宮伽耶、阿羅伽耶、小伽耶、大伽耶という4つの国についての展示。
日本と密接な関係が合った国々だが、百済、新羅に挟まれて、6世紀には、滅んでしまった。
その後、百済も滅亡し、唐・新羅連合軍が日本に攻めてくるのではないかということで、日本各地に山城が作られた。

これなど、七支刀を思い起こされるが、何かの儀式に使われたのだろう。



須恵器、陶器類も、独特のデザインで、国によって、微妙に、模様が異なるのだという。
土器は、韓国との交流が始まる前から、日本にあったもので、日本の物とは、雰囲気が異なる。



一方鉄器類は、韓国から伝えられたもので、その後、双方向の交流があったと考えられている。
この甲冑など、日本のものと区別がつかない。



この馬具(杏葉)も日本で見つかるものと変わらないが、細かいデザインを分析したら、どのような分布になるのだろうか。
銅鏡は、発掘数も多いため、そのような研究も進んできたが。



これは、王冠。
韓国の国宝になっている。
昔、釜山に行った時、もっと豪華なものをみたが、この時代からの発展形ということなのだろう。
5世紀のものと考えられている。



見事としか言いようがない、耳飾り。
沖ノ島で見つかったものや、日本の古墳で発掘されるものと、同じ系統のものだ。
これも、当時の日本と韓国との間に、濃密な交流があったことを示している。



この剣も、国宝に指定されている。
これも、日本で発掘されるものとそっくりの姿。
貴重な展覧会を見ることができた。
日本の発掘物と対比展示されるような展覧会があったら、もっと面白いかもしれない。
本展を企画された日韓の研究者のみなさんに拍手。



先日参拝できなかった麻賀多(まがた)神社に参拝。
延喜式にも載る古社で、この辺に18社あるという。
たぶん、私もそうだったように、知らない人がほとんどだろう。
古事記に出てくる和久産巣日神、日本初期に出てくる稚産霊命と祀ったという。
社殿は、178年前に、当時佐倉を治めていた堀田正睦公が建て替えた。
銀杏は、樹齢800年のご神木。



佐倉で他に寄るところがないかなと思って検索したら出て来たのが、このDIC川村記念美術館。
大日本インキの創業家である川村氏の収集品を展示する美術館だが敷地の公園、作品を展示する建物、そして、収蔵品、三拍子そろったすばらしい美術館だった。
DIC総合研究所が併設されていて、野球場、テニスコートなどもあり、すばらしい空間になっていた。



美術館というよりは、欧州風庭園。
紅葉も綺麗。



美術館の前に腹ごしらえ。
しゃれたイタリアンレストランがあったが、予約なしで、結局1時間待ちになってしまった。
特に急いでなかったからよかったけど、平日でこれだから、予約した方が、ベター。



カジュアルだが、立派なイタリアンが楽しめる。



美術館の方だが、広々としていて、天井も高く、何ともぜいたくな造り。
レンブラントは、目だまらしく、一部屋に1枚のみ。
ルノアール、モネ、ピカソなど、有名どころは一通りそろっている。
20世紀の欧米美術に特徴があり、その作品のために作った部屋と思われる展示室もあった。
マーク・ロスとか、ジョセフ・コーネルなど全然知らなかったのだが、ぜいたくに展示されている。
カルダーの作品は、確かシカゴ支庁舎の前に大きなのが展示されていたような気がする。
ということで、建物とセットで味わえるすばらしい展示だった。



企画展は、マン・レイ。
展示物は、このチラシにある通りで、よくわからない。
女性の写真をバイオリンに見立てたものは、知っていたが、その他は、みな初めて。
正直戸惑うばかりだが、面白くはあった。



夜には、家で、第6回PYRAMID市民会議のZOOM配信。



今回も鳥山スタジオからだが、カメラアングルが変わってずいぶん雰囲気が違う。
今回は、定時にスタート。
途中、ちょっと中断があったが、すぐ復旧し、システム対応の向上が見られる?



12/22のコンサートは、まだ券が余っているそうなので、お時間のある方は、どうぞ。
貴重な機会になるはず。
12/3には、新アルバムから数曲、生ライブ。
私は、ゴルフで見れないが、アーカイブがあるそう。
12/7にはさらに新曲披露で、Ohio PlayersのSweet Sticky Thingsのカバー。
サラサさんと、Mabanuaさんがボーカルで参加し、おしゃれでかっこよくできた。
一足早く聞けた。



アコギミニライブの前に、ビデオメッセージ。
和泉さんが急逝したのは、ちょっと前のような気がするが、それかれもいろんなことがあった。



残された二人。



新たな一歩を踏み出し、新アルバムが完成し、披露ライブも開催される。
来年も新たな活動が楽しみだ。



応援したい。



ミニアコースティックライブ。
絵になる。



既に、ネット配信されているMau LoaのMVで終了。
同世代だからそう感じるのかもしれないが、おしゃれなんだよね。
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和久井光司「私をつくったもの」展

2022年11月24日 | Culture・Arts


今日は、吉祥寺で開催中の和久井光司「私をつくったもの」展に行ってきた。
あまり、知られていないかもしれないが、和久井さんの書籍は、継続してゲットしており、その縁で、情報が入って来た。
ミュージシャンと著述業を、ほぼ互角で活動されている。
トークイベントもよく開催されており、本展覧会会場でも、多くトークイベント、コンサートを開催されている。
家から遠いので、夜のイベントは、ちょっと無理なので、昼の展覧会の方だけ、覗いてみた。



私と同学年なので、見聞してきたこともかなり重なるかなと思ったが、ジャンルと、ディープさのレベルが全然違う。
この辺は、知ってはいたが、レコードを購入するまでには至らなかった。



これは、流石に、古すぎるだろうと思ったが、お父様のコレクションだそうだ。
電電公社にお勤めだったという。
我が家は、クラシックばかりだったから、この辺から、違う。



GSもテレビで見る程度だったが、相当ディープに聞かれている。
その代わりと言っては、なんだが、特撮については、かなりディープに見ていたように思う。
そのシートもあったのだが、流石に、どこかに行ってしまった。
知らないレコード多数。



和久井さんの凄いのは、丁寧にとってあること。
大概、どこかに行ってしまうか、擦り切れて、読めなくなったりするものだ。



キャンディは、見ていないが、DVD出てるのかな?



名画座にもよく行かれたそうで、パンフも小豆に保管されている。
脱帽。



漫画本は、我が家は禁止?だったから、ほとんど読んでいない。
かなりディープな読み方をされている。



この音楽誌は記憶にない。
MLと音楽専科を立ち読みしながら、気に入ったものをちょっと買う程度だった。
当時、買った雑誌は、実家に残っているだろうか。
たぶん、捨てられてしまっただろう。



ジョンが亡くなる前は、こんな記事がしょっちゅうあった。
当時は、無理やり記事にしているなどと思っていたが、今は、4人の間でそこそこ交流があり、全く可能性がゼロではなかった様子もわかってきている。
といっても、時間は、かなりかかっただろうが。



サブカル本も多数あり、手に取って見ることができる。
たいへん保存状態がよく、大事に保管されていたことがわかる。
内容的には、いかにもサブカルという感じで、時代を感じさせるものだが。

財産的な価値がどれくらいなのか、わからないが、いい目の保養になった。
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万葉びとの奈良

2022年11月23日 | Books
今日は、一日冷たい雨だったが、お墓参り。
父が亡くなって、ちょうど11年目。



本書は、おなじみ?上野さんの本。
平易に、かつ、具体的に説明してくれるので、読みやすいし、理解も深まる。

本書は、8章からなり、みな奈良に関するトピックスだが、それぞれの章は、テーマ毎に独立しており、どこからでも読める。

”万葉びとの”という題名が示すように、奈良時代の庶民の実態を、万葉集や、出土木簡から、探る本になっている。

奈良の都というが、都という言葉は、元々は、”や”=家を丁寧に表現して”みや”になり、それに所を示す”こ”を加えたもの。
したがって、宮が平城宮で、都が平城京ということになる。
それは、中国の都に習ったもので、その中のお寺の構造も中国風。
ところが、平安京になると、和風文化が入ってきて、お寺にも畳が使われるようになり、様相が一変した。

この”みやこ”らしいことを”みやび”といい、都に対して田舎は”ひな”で、”ひなび”となる。
ひなびたという言葉は、今も使うが、都の対義語だったのだ。

当時の都人は、農民でもあり、田畑は、都から離れたところにあったため、農業を営む時は、”たぶせ”という農業のための小屋に寝泊まりした。
そのことも、万葉集に多く歌われている。
この辺の実態も、続日本紀などの歴史書からは、読み取れないところだ。

平城京には、東院御殿が再現されており、かつて訪れたことがあるが、まさに、この庭園が、邸宅の大きな要素になっていた。
そして、そこに植えられている花々も。
桜は、日本に元々あった花だが、梅は中国からの輸入品。
したがって、梅を愛でることは、中国風を意味することになるという。

この奈良の都作りに大きな貢献があったのが、鑑真の来日。
鑑真は、直接的には、仏法を広めるために、来日した訳だが、同時に、仏師や、大工など、仏法を広めるために必要な仕掛け作りの職人も来日。
彼らが、奈良の都作りに大きな貢献をした。

日本の創成期のリアルを感じさせてくれる本。
2010年に出た本だが、すでに5刷で、読み継がれている。
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すべてのことはメッセージ

2022年11月22日 | Music


本書は、本屋で並んでいたので、ゲット。
ユーミンデビュー50周年を記念してというわけでもないだろうが、ユーミンの誕生からデビューアルバム完成までの軌跡を描く。
著者は、1980年生まれというから、もうユーミンが大スターになってからの生まれ。
私は、フォークやロック中心に聴いていたので、よく覚えてはいないのだが、ユーミンを聴き始めたのは、主に苗字が変わってからのように記憶する。
1980年頃に出たリインカネーションや、ボイジャーなどは、カセットテープに落として、ドライブ中によく聴いていた。
学生時代にも聴いてはいたので、45年は付き合ってきた?
コンサートに行くようになってからでも、40年近くになる。
もう20回ぐらいは行ったか?
いや、もっとか?
これだけ、長い期間、第一線で活躍しているミュージシャンはそう多くない。

本書は、フィクションというが、私の知っているユーミンの歴史とほとんど一致する。
ユーミン自身が、本小説を読んでいるのだから、全く事実と異なることは、描かれていないと思われる。
そうすると、本当に凄い少女だったことがわかる。
才気煥発というのは、ユーミンのこと?

とにかく勉強にも、遊びにも一直線。
とことん突っ込み、夢中になったら、わき目もふらず猪突猛進。
それでいて、人の懐に入り込む柔軟性を合わせ持つ。

そして、その経過の中で、見聞きしたことが、初期の曲の着想にストレートにつながっている。
ひこうき雲のサウンドは、立教女学院にあったパイプオルガンと、プロコルハルムの青い影があったからこそできた。
しかし、それは、今までどこにもなかったユーミン独自のサウンドだった。
だから、私も、ユーミンに興味を持つのに時間がかかったということか。
それだけ、新しかった。

本書のさらに面白いところは、ユーミンの幼少期の社会や、成長過程で、出会った人、場所、お店などが、実名でぽんぽん飛び出すところだ。
これは、40代前半と思われる著者には再現不可能なところで、多くの取材と、高い構成力の賜物だろう。

登場する関係者に、既に他界された方も多い。
ユーミンは、先駆者を追っかけながら、自分が先駆者になった。
まさに、日本のポップ史そのもの。
日本のポップに興味のある方に広くお勧めできる。
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Mersey Beat Vol.3 No.66

2022年11月21日 | The Beatles
今朝は、冷たい雨だったが、午後には、見事に上がった。



久し振りにMersey Beat誌をゲット。
これまで、5号ぐらいゲットしただろうか。
今回、久しぶりに、ビートルズが表紙の出物があったので。
1964年1月30日~1964年2月13日号とあるので、隔週発刊だったのだろう。
リバプールの音楽誌で、25万部とあるので、相当売れていたことがわかる。
ビートルズを追っかけたグループが溢れていた。
一つ一つの記事が、今となっては重要な情報を含んでいる。
全号分析したら、立派なマージー・ビート史ができるだろう。

この表紙のビートルズの写真は相当古い写真と思うのだが。



ページを開けると、ローリーストームの写真が目についた。
病院を退院したという記事だが、バルコニーから30フィート落っこって、入院したという。
パビリオンの屋根に登って落ちたというから、命に別状がなくてよかった。
結局彼が早逝してしまったことを、今の我々は知っているが。



このページの左側には、投稿欄で、カリフォルニア州在住の女性から、西海岸でも、大人気とレポートしている。
その右には、Pop Nylon Chartというのが載っていて、1,ポール、2, ジョージ、3,クリフ、4,デイブ、5,エルビス、6,ビリー、7,リンゴ、8,ジョン、9,ジェリー、10,フランキーと、9位までだれかすぐわかるのが凄い。
フランキーは、フランキー・ヴァリか。
その下には、ビートルズのポスターの広告が載っている。

ページの右に目を移すとMersey Beatleというコーナーがあって、ビートルズの初期の写真の送付を呼びかけている。
初期の写真を集めた冊子を作ろうという企画があったようだ。
この冊子があれば、かなり貴重なものになるだろうが、実現したのかは定かではない。

その下には、当紙での、BeatComberのコラムがジョン・レノンによるものだったと明かされている。
そのコラムがどのようなものだったか、わからないのだが、かなりユニークなものだったらしい。
近々本になるとあるので、In His Own Writeの元になったコラムなのかもしれない。
その右には、ポールとジェーン・アッシャーの婚約の噂についての記事。
噂はフェイクと言い切っている。
今の世もあまり変わらない?
その下の広告は、ビートルズの宣伝のようで、それに便乗したケーキの宣伝。



この見開きにも、左にビートルズの写真。
ただ、ビートルズと直接の関係はなくて、キャバーンクラブで開催されるコンテストの宣伝。



その次ページにも、ビートルズの写真と思ったら、そっくりさん。
ビリー・ジェイ・クレイマーや、MOJOsの記事。
ビートルズに続けと、続々とグループが誕生していた。



右1ページは、キャバーンクラブの宣伝。
この時期になると、あまり知った名前はないが、リバプールで最有力のクラブであったことがわかる。

最終頁を見ると、マージーサイドでのベスト20が載っているが、1位は、The Swinging Blue Jeans、2位は、The Dave Clark Five になっている。
3位は、The Serchersで、4位がI want to hold your hand。
5位にGerry & The Pacemakers、6位に、The Mersey Beatsが続く。
ビートルズの曲は、他にShe Loves Youがランクイン。
ストーンズは、I Want Be Your Manと、E.P.がランクインしている。

ビートルズは、世界に羽ばたいたとはいえ、まだまだ熱気満々のリバプールの雰囲気を伝える逸品。

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