かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

奈良 & 京都・大原

2022年11月05日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今朝は、初めての奈良ホテルで、デラックスな、和定食。
窓からは、興福寺の五重塔が見える。
窓枠は、当初の木製の枠を残し、その外に、サッシを嵌め込む贅沢な作り。



食後、近隣を散策。
猿沢池からのおなじみの構図。



今日は、近鉄特急で、京都に移動し、大原散策。
前回は、京都駅から、バスで行ったと思うが、今回は、国際会館まで、地下鉄で行って、バスに乗り換え。
この方が早いし、渋滞リスクもない。
まずは、寂光院へ。
途中の、コスモス畑。
この辺は、野生の赤紫蘇が取れるそうで、その保護を訴える看板が、そこここに立っている。



紅葉は、まだ色づき始めという感じだが、綺麗。



寂光院は、聖徳太子が建立したと伝えられるが、なんと言っても、安徳天皇の母である建礼門院が、平家が滅んだ後、亡くなるまで過ごした場所として有名。
所縁の井戸や、住まい跡が残る。



このお堂や、中の、本尊の地蔵菩薩は、2000年の放火後、再建されたもの。
放火された地蔵菩薩は、まだ重文指定され、残されている。
胎内の無数の小仏像も、合わせて展示されている。
本当に残念な出来事だったが、地蔵菩薩が焼け焦げた後も立ったままであったことも、奇跡的。



お庭も綺麗に手入れされていた。

お寺の入り口近くに、高倉天皇の皇后の徳子様の陵があったので、お参りして来た。



ランチは、とろろ蕎麦と、梅ご飯。
梅ご飯に使われている紫蘇は、もちろんここで採れたもの。



次は、メインの三千院に向かう。
参道を歩きながら、前回来た時に、呂律の言葉の由来を知ったことや、冷やしキウリを売っていたことを、思い出した。



人出は、戻って来たが、まだ、ピークほどではない。



石段の紅葉も綺麗。



庭を見るために?お抹茶をいただいた。
京都は、寺社の入場料金などが、何でも高く、カードも使えないので、キャッシュの減りが早い。



小さなお庭だが、苔が素晴らしい。
紅葉の見頃は、まだ、これから。



目玉の本堂。
ここの阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩は、本当に凄い。
かつてのトーハクの国宝展でも、公開されたが、平安の仏像として、最高峰。
来迎図のリアル版とでも言おうか。
まだご覧になっていない方は、是非、足を運んでみて欲しい。



寺域は、さらに広がっており、小道には、かわいいお地蔵さんが、並んでいる。



鎌倉時代の石仏という。
姿は、美しいが、傷みは、激しい。



すぐ近くにある鎌倉殿の13人にも出ている後白河天皇の陵。
平安時代から鎌倉時代にかけて、重要な地域であったことがわかる。



大原のメインは、過ぎたが、さらに奥の勝林院へ。
ここからは、初めて訪れる場所。
1013年、天台声明の根本道場として建立された。
堂内では、声明の音が流れる。
法然上人を招き、極楽浄土について、議論したとのこと。
大原問答というそうだ。
そう言えば、途中、法然上人の腰掛け岩があった。
仏像は、江戸時代のもので、立派だが、風格には欠けるか。



最後に訪れたお寺ほ、さらに登ったところにある来迎院。
ここまで来ると訪れる人も少ないが、重文の三尊像がある。
小ぶりだが、藤原時代の優品だ。



ここまで来たらということで、さらに上の、音無の滝まで、足を伸ばした。
声明の音が、滝の音と調和して、滝の音が、消えたことから、この名があると言う。



ということで、高野山、奈良、京都◦大原を、満喫できた。
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