日本国憲法第20条。
憲法20条は、信教の自由と、政教分離を規定しています。
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日本国憲法
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
自民案
(信教の自由)
第二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。
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政教分離において大事なことは、「個人の信教の自由を厚く保障するとともに、国家と宗教の分離を明確化」することです。
それは、明治憲法の下、国粋主義の台頭とともに、神社に与えられた国教的地位とその教義は、国家主義や軍国主義の精神的な支柱となった」苦い歴史に基づいてのことです。
(「 」は、憲法学者故芦部先生『憲法 第5版』150-151ページ)
最高裁もその経過を、「わが国では、過去において、大日本帝国憲法(以下「旧憲法」という。)に信教の自由を保障する規定(二八条)を設けていたものの、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という同条自体の制限を伴つていたばかりでなく、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、ときとして、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対しきびしい迫害が加えられた等のこともあつて、旧憲法のもとにおける信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかつた。」と述べています(津地鎮祭事件最高裁判例S52.7.13)。
自民案を見るに当たり、大事なことは、1)信教の自由が果たして保障されるのか、という視点と、2)政教分離が約束されるのかという視点です。
以下、自民案と現行憲法の比較ですが、両者1)2)が自民案では、保障されません。
1)自民案で、信教の自由が果たして保障されるのか
信教の自由で大事な20条1項後段において、自民案は、宗教団体の「政治上の権力を行使してはならない。」との文言が削除されています。
宗教団体が、「政治上の権力」を行使できるようにするためではないでしょうか。
結果、明治憲法下で、そうであったように、政治上の権力を行使しうる宗教団体が出る一方で、弾圧される宗教も同時に生じることになります。
2)自民案で、政教分離が果たして約束されるのか
政教分離で大事な20条3項において、
現行憲法:宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない
自民案:特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない
自民案では、二つの意味で国家が宗教活動をすることを可能にしています。
ひとつは、「特定の宗教のための教育」とわざわざ現行憲法では「宗教教育」だったものを、「特定の」という文言を付し限定的に書いています。特定された以外のある種の国による宗教教育は、許されることにならないだろうか?
もうひとつは、「ただし書」を付け加え、堂々と国家が宗教活動できる場合を導入したことです。現行憲法下でも、習俗的行為が行えているにも関わらずです。今後は、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないもの」という漠然不明確な文言を利用して、国の解釈を広げることで、国が行える宗教活動が拡げられていく可能性があるのではないでしょうか?
以上、自民案20条にすることは、たいへん危険なことだと思います。
宗教団体の皆さん、国民の皆さん、本当に自民案でよいですか?
自民案になれば、「政治的権力を行使」してくる結果、宗教弾圧が生じることが目に見えています。
冒頭にも趣旨を述べましたが、宗教とよからぬものが結び付くと、戦争への歴史の繰り返しです。