「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

マクロとミクロ

2007-09-01 03:28:10 | メディア・リテラシー
政治をする場合、私の一生悩むであろうテーマを、
本日8/31、日経の夕刊のコラムが取り上げていたので、
転載したい。

東京大学教授 吉川洋氏の文章。

題して『マクロとミクロ』

***コラムより***
 象は大きい。蟻は小さい。幼い子供でも知っている素朴な体験から始まるマクロ(大きい)、ミクロ(小さい)という区別は、様々な学問で重要な役割を果たしている。
 「マクロ」は単に大きいだけではなく、多数の構成要素(ミクロ)から成る。むしろ大きさそのものはマクロにとって相対的で二義的ともいえる。バクテリアは肉眼では見えない小さなモノだが、多数の分子から構成されているので、分子をミクロとすればマクロというわけだ。
 私たちはマクロをどのような方法で理解すればよいのだろうか。ミクロの動きを正確に捉えて足し合わせれば良さそうなものだが、それではうまくいかない。マクロを構成するミクロの要素の数があまりに大きいからだ。しかもミクロの動きはいるでも「揺らぎ」を持っている。給料も価格も変わらなくても、わたしたち一人一人が昼食に何を食べているか、ミクロの選択は日々揺らいでいる。
 ミクロの動きを正確に追うことは止めて、マクロを統計的に把握する。こうした方法は物理学で始まったが、明確な意思を持って行動する人間の社会を、あたかも分子の集まりと同じように扱うことは果たして有効なのか。当然の疑問に対して、寺田寅彦は「物質群として見た動物群」(1933年)というエッセーで「イエス」と答えた。
 残念ながら経済学の世界ではこうしたマクロ特有の方法論が未だ受け入れられていない。同じ論文で寅彦は書いている。「科学の進歩を妨げるものは素人の無理解ではなくて、いつでも科学者自身の科学その物のの使命と本質とに対する認識の不足である。」深く味わうべき言葉だと思う。

***コラム終わり***

 例えば、“健康になろうとする行動”について考える。
 区民のひとりひとりの健康になろうとするための行動は、「ミクロ」である。
 それを、行政では、中央区民の健康行動として「マクロ」にとらえて表現しなくてはならない。それは、区民代表者の声を聞いたり、アンケートや健診データ、検査データを集計し、統計処理して(平均化するなどして)、中央区民の“一般的な”健康行動を「マクロ」に出す。
 「マクロ」に出した健康行動が、ひとりひとりの「ミクロ」な健康行動にどれだけ当てはまったものになるのかが、行政の腕の見せ所。
 ただ、出したから終わりというのではなく、出したものと各個人との差を検証し、実態にあわしたものに変えていく努力をしなければならない。区議もまた、一人ひとりの声を聞き、マクロとの差を明らかにし、差を縮める努力をしなければならない。
 中央区行政がこれから、区民のひとりひとりの健康行動を分析してだしたマクロな健康行動を参考にして、健康プラン、食育プランを立てていく。是非、マクロのこの部分が当てはまらないとかいう声を、届けていただきたい。


 なんでもそうなのである。
 中央区の子ども達の勉強は?
 中央区の親御さんの子どもの勉強への考えは?
 中央区民の病気療養での希望は?
 中央区民の食の安全への関心は?
 中央区民の日本の食の台所「築地市場移転問題」への考えは?
 中央区民の環状二号線地表化への考えは?
 中央区民のボランティア活動は?
 中央区民の病児保育事業への希望は?
 
 
 多数決が、マクロでもないと思う。
 組織の代表者が言ったからといって、その組織のマクロを正確に捉えているとも限らない。
 安易にマクロを設定していないか、常に反省したい。

「ミクロひとつひとつの丁寧な分析の上に立って、マクロを出す」ことは、
「何事も現状維持の力が働いている、その現状維持の力に勝つ」ことと、
「これからの社会を変えるのは、人の輪である」ということともに、
 政治における私の課題である。

 
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