北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

オリンピックで国のスピリットとは何かを思う

2006-02-14 23:21:57 | Weblog
 今日も朝から暖気が入って昨日よりも更に暖かい一日。夜には小雨もちらつく天気。明日の朝は寒気が入りそうで怖いよう。
 
 今日は
■国のスピリットなるもの です。

【国のスピリットなるもの】
 トリノオリンピックも4日目を過ぎましたが、今回日本勢はどうも振るわないようです。

 事前に楽観的な見方で盛り上げすぎたという声もそろそろ聴かれ始めましたが、実際蓋を開けてみると外国勢の好調さというよりも高いレベルの技術や実力がいかんなく発揮されているという印象です。

 男女のスノーボード・ハーフパイプでは若さに期待したのですが、逆にプレッシャーからか実力を発揮しきれなかったようです。

 スピードスケート500メートル男子でも、考えられる最強の布陣で挑んだにもかかわらず、及川選手の4位が最高とは期待が高かっただけに残念でした。

 ジャンプの原田選手の体重不足による失格劇は、プロたる者にしては余りにもお粗末な顛末で、これがジャンプ陣だけでなくチーム全体に悪い影響を与えていないように祈るのみです。

 残りの種目での奮起をお願いしたいところです。

    ※    ※    ※    ※

 読み続けて面白さが止まらない塩野七生さんの「ローマ人の物語」はただいま11巻の中盤を過ぎて、紀元1~2世紀のローマ帝国がもっとも幸せだった五賢帝時代最後のマルクス・アウレリウス・アントニヌスが最後を迎えるシーンになりました。

 ここからさきはいよいよローマ帝国にとって滅亡への道をトレースすることになります。読むのが辛くなりそうです。

 ローマ人の物語を通読していて著者の塩野さんが手放しで評価するのはローマ人という人達の民族受け入れに対する心の広さです。

 ローマ帝国の歴史は、食と安全の確保の歴史であって、そのための必然から防衛ラインの拡大があって、帝国の拡大と共にパクス・ロマーナと呼ばれる「ローマ帝国による平和」が実現したというわけです。

 ローマが防衛ラインを拡大するにあたって取った政策は、多神教のローマ人らしい現実的なもので、それはローマ的なものを受け入れる限り、宗教、風習、自治などをほぼ無条件に認めるというものであったのです。

 それまで数多くの部族が乱立しては抗争を繰り返す状態であった西ヨーロッパを征服したローマは、被征服者が固まって住む集落とその周辺を「地方自治体(ムニチピア)」と認め、その内部ならば自治権を与えました。

 部族長とその親族には、世襲権でもあるローマ市民権を与え帝国内に組み入れました。そのため、歴史の最初の頃こそ指導者層はローマ周辺の名門の家柄のみが輩出していたのに対し、ユリウス・カエサルが帝政の礎を築き、後の初代皇帝アウグストゥスが緩やかに帝政への移行を既定路線にした後は、実力さえあれば併合された属州からであってもいくらでも指導者層になりえたのです。

 あまつさえ、皇帝ですらかつてのローマの名門からではなく、属州に先祖を持つことが珍しくなくなり、逆に彼らこそがローマン・スピリットを胸に秘めて「共同体(レス・プブリカ)」を支えたとも言えるのです。

 この多様性こそがローマ人ではなく、ローマ帝国を支え続けたと言えるでしょう。

    ※    ※    ※    ※

 オリンピックを見ていると、アメリカ代表の名前などはいかにも先祖がドイツ系だったりギリシャ系移民だったりすること伺わせます。そしてその多様性が強さを生み出しているのかもしれないとも思うのです。

 国技相撲を朝青龍や琴欧州が支えてくれている今日、日本的なるものすなわちジャパニーズスピリットを支えている多様性こそが明日の日本の力強さにも繋がるように思います。

 ジャパニーズスピリットって一体何なのでしょうかね。オリンピックを見ていてそんなことを感じました。

 
コメント (4)
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