北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ガーデンアイランド北海道トークセッション開かれる

2006-02-17 23:34:39 | Weblog
 昨日とはうってかわって冷え込んでいます。夕べは風が強くて吹きだまるように10センチほどの雪が降りました。
 まだまだ春は遠いです。
 
 今日は
■ガーデンアイランド北海道トークセッション です。

【ガーデンアイランド北海道トークセッション】
 今日は午後に、ガーデンアイランド北海道(GIH)のトークセッションを市内のホテルで開催しました。

 今回の特別講演は昨日からお越しいただいている川勝平太先生です。

 実は昨夜からのハプニングで、本来出演をお願いしていた釧路市の女性が急遽ご都合が悪くなってしまいました。そこで代役としてGIH運動の賛同者であり、月形町でコテージガーデンという会社で園芸店と園芸デザインを行っている梅木あゆみさんにパネリストとしての出演をお願いしました。

 ご本人は、お願いが突然であることと外国から帰ってきたばかりという体調を理由に最初は消極的だったのですが、前夜の会合の席からまだ会ってもいない川勝先生からも電話で「お願いします」という要請をしていただいて、出演を快諾していただいたのでした。

    *   *   *   * 

 さて午後2時からセッション開始です。事前の申し込みは約300名もあって用意した席は満席に近い状態でした。これは川勝先生のお名前と関係者の声掛けの努力もあってのことでしょう。

 基調講演での川勝先生は語り口も上品なうえに、悠久の昔から現代という時間軸、そして洋の東西から南北に長い日本まで地理学上の幅も広いお話をしていただきました。

「私たちの国際日本文化研究センターは1987年に設立されました。『一体何をしているのか』ということがあまり知られていなくて、『日本文化センターならよく知っている、通信販売でしょ』と言われるのですが…」で会場は笑いに包まれてつかみはOK。

「しかしこの1987年に意味があるのです。実はその2年前の1985年という年がシンボリックな年だったのです。この年にプラザ合意という円の切り上げ合意が行われました。そしてこれが、先の敗戦でどん底に落ちてそこから経済で国を立て直すんだ、と決めた日本という国がまさにその経済で世界にキャッチアップしたということだったのです」

「それまで日本は、世界の中に日本という国を学びたいという人たちがいるということや『学ばれる日本』ということに気付いていなかったのです。今や日本は年間10万人もの留学生を受け入れる国になり、世界に対して国の有り様を示さなくてはならない立場になったということなのです」

 日本は人口1億2千万人、経済ではアメリカに次いで第2位という世界の中での立場の大きさや重要性、発言力を自覚しようと言うことなのでしょう。

 そう言えば川勝先生は故小渕首相主宰「21世紀日本の構想」懇談会の中心メンバーで、そのときに日本を美しい庭園の島々と捉えよう、という「ガーデンアイランズ構想」を提唱されたのだった。

「1992年6月にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで『環境と開発に関する国際連合会議』いわゆる地球サミットが開かれました。このときには当時の確か178ヶ国中172の国が参加をしましたが時の宮沢総理はあまり関心を示さずに、出席をしませんでした。このときに示されたのが『アジェンダ21』つまり地球サミットで採択された『持続可能な発展のための人類の行動計画』でした。このときから温暖化防止ための気候変動枠組条約、生物多様性条約への署名が始まったのです。日本はあまりその事を重要視していませんでした」

「しかし日本もその反省に立って、世界遺産条約が出来たときにはいち早く加盟をして、はじめに白神山地、屋久島、法隆寺、姫路城を登録しました。世界遺産にはじつは三つの種類があるんです。自然遺産、文化遺産、そしてその両方の価値をあわせ持つ複合遺産の三つです」

「その後さらに白川郷合掌造りや広島原爆ドームなどを追加して、2000年には沖縄の城(ぐすく)群と紀伊山地が世界遺産登録されました。皆さんが案外ご存じないのは紀伊山地が自然遺産ではなく、文化遺産だという事です。なぜでしょう?」

「実は日本には自然遺産を申請する二大団体があります。環境省と文科省です。つまり紀伊山地は環境省が文科省に負けたというようなことなのです。日本にはまだ複合遺産がありません。屋久島などは小さな島に実に多様な生物が垂直分布しているということがありますが、それを自然遺産として捉えて良いのかと思います。あの島に住んでいる人たちは生物には暮らしやすい、裏返せば人間には暮らしづらいところで生活をしているのですが、それはあの島の中で多くの生き物と共生している生き方があるということなのに」

「だから私は北海道も、知床の小さなエリアで自然遺産を貴重とだけ思うのではなく、北海道という島全体が自然環境ももちそこに開拓の歴史をもちながらそこに暮らす人たちの生き方として世界複合遺産にしようというくらいの意気込みがあって良いのです。私はこのGIHにはそれくらいのキックオフになって欲しいと思います」

「なぜ北海道なのか?歴史は中心から辺境へ外へと向かって発展してきています。日本も西から始まって東へ東へという歴史です。逆に西洋はローマ時代から西へ西へと進んできました。西への圧力はアメリカ大陸の発見となり、アメリカでもゴールドラッシュで西へ西へと向かいました。そういう文化は明治期に北海道開拓に多くの外国人を受け入れたことにたどりついています。これは本当に遠い未来の事かも知れませんが、西洋と東洋の出会いの場だったと言われるような北海道をめざしてください」

 本当はもっと多くの事をユーモアあふれる口調で縦横に語ってくださったのですが、まとめるとこんな具合でした。

 会場もなんだか先生に応援されて気持ちが高揚してきたようです。これからも川勝先生には理論的指導者をお願いしました。各方面でのご紹介も会わせてよろしくお願いします。

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 さて、後半は林美香子さんの司会による、さきほどの梅木さん、恵庭の中島市長、そして私という3人によるパネルディスカッションでした。タイトルは「ガーデンアイランド北海道をどう実現するか」です。

 国の立場である私としては国が直接このような民間運動を支援する事は出来ないけれど、自治体とも連携し、さらにはその自治体同士が連携をする事で国のさまざまな支援制度を活用して欲しいというお願いをしました。

 また最後の個人的な印象としては、ガーデンアイランドと言いますが、参加していただく対象は決して庭だとか花だとか植物にこだわるべきではないということをお話ししました。

 それらにこだわる事は、関心の対象を特定の分野の人たちに限定してしまう事になり、道民運動としての広がりに欠けることになるでしょう。ですから、「え?それも花なの?それもガーデンアイランドに関係して良いの?」と思われるようなことも認められるようなフトコロの広い運動にするべきだと思うのです。
 
 広い対象としては、例えば「食」、「ファッション」、「旅」、「文学」、「文化、芸術」などもあるでしょう。目を閉じてもそこに花の世界が広がるような大きな活動にして行きたいものです。

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 パネルディスカッション後の懇親会では、この関係でまた多くの人たちにお会い出来ました。これがまた良かった。

 華道の先生たちともお話が出来て「最後におっしゃった『文化も一緒で良いのです』というお話でこの運動が理解出来ました。来て良かった」と言っていただけました。

 こういう繋がりで運動が広がればよいですね。自治体では鹿追町と清里町さんが参加の意志を示してくださっています。自治体の運動に火がつくよう頑張りましょう。

 裏方を勤めてくださった関係者の皆さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。
 
コメント (1)
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