北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

木鶏に及ばず

2011-03-04 23:23:59 | Weblog
 「致知」という月刊誌があります。

 「人間学を学ぶ月刊誌」というのがキャッチフレーズで、毎号で各界の著名人からの文章や対談が載っていて、読んでいると元気が心の中から湧き出してくるような感じがします。

 「人間学」とか「人間力」というのは人生を生き抜くなかで培われる「誠実さ」とか「忍耐」とかいった徳目のようなもの。

 そうした徳に触れる記事をたくさん読んでいるうちに、次第に背筋が伸びるように魂に火がついてくるような気がします。


 この雑誌、書店では売っておらず年間購読で自宅まで送ってもらうのですが、毎月新しい視点の記事ばかり。

 そしてこの雑誌の愛読者が集まって互いに刺激し合おうという勉強会が「木鶏(もっけい)クラブ」と呼ばれる会合です。




 
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 この木鶏とは、中国古典の「荘子」という書物に出てくると言います。

 それによると、紀渻子(きせいし)という人が闘鶏の好きな王のためにシャモを飼って調教をしていました。十日経って王が「もうよいか」と問うと、紀渻子は「まだです。空威張りして気を出し過ぎます」と答えました。

 また十日経って王が「もう良いか」と訊ねると「まだ駄目です。相手の姿を見たり声を聞くと興奮するところがあります」と答えました。

 また十日経つと「まだです。相手を見るとにらみ付けて圧倒しようとするところがあります」

 そしてさらに十日経ったところでまた王が訊ねると、紀渻子はようやく「まあなんとかよろしいでしょう」と答えました。曰く「もう他の鶏の声がしても平常心を保ち、見ていてまるで木彫りの鶏(木鶏)のようです。徳が充実をいたしました。この鶏に向かって行くものはなく、見ただけで逃げて行くことでしょう」と答えました。

 この故事によって、「木彫りの鶏のように全く動じない様子」を木鶏と言うようになったものです。

 この言葉を大横綱双葉山に教えた陽明学者安岡正篤さんがこんなエピソードを紹介してくれていました。

 それは、安岡先生がヨーロッパへ旅行中に日本の双葉山から電報が届いたとのこと。取り次いでくれた人が中を見ても良くわからないとのことでしたが、電文は「イマダモクケイニオヨバズ」とあったとのこと。

 それが70連勝を阻まれたときに双葉山が安岡先生に送った電報だったのだそうです。


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 さて、この「木鶏」という言葉を人間修養の高みととらえて、致知の愛読者が集まって「木鶏クラブ」という会を全国に作っています。
  
 会社の社内だったり、都市の中でできたり、そのでき方は様々ですが、皆致知を読んでいる人たちばかりなのですぐに打ち解けることができるのだとか。

 北海道にも各地にありますが、残念ながらまだ釧路市内にはありません。

 そんな話を知人にしたところ、「自分も取っているんだけど、やろうと思いながらなかなかできずにいたんだ」とのこと。

「じゃあいい機会だから会を作りましょうか」ということで、準備会を来週の19日に行うことにしました。

 いよいよ釧路に木鶏クラブができそうで嬉しいですね。

 「我未だ木鶏たり得ず」ではありますが、うちの職場でも勉強会をしたいものです。


【木鶏(もっけい)】 (過去のブログより)
 http://bit.ly/e0Qtfb 
コメント (1)
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