大きな社会問題になりつつあるエゾシカの被害問題。
道東は早い時代からエゾシカ被害の舞台だったために、対策と活用の最前線として全国から注目されています。
そんなエゾシカ問題をエゾシカの様々な活用を通じて考えようというシンポジウムが釧路で開かれました。題して「第一回くしろエゾシカシンポジウム ~みんなでエゾシ会議inくしろ」で、主催は釧路短期大学と釧路市です。
エゾシカ会議じゃなくて、「エゾシ会議」というところがちょいとしゃれてます。
記念すべき第一回目のテーマは「食べる」ということで、エゾシカの肉を食べることの可能性を探ろうというもの。
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【会場には180人もの市民が集まりました】
会議の冒頭に、釧路短期大学の西塔(さいとう)学長さんからご挨拶があって、エゾシカ肉を取り巻く歴史が少しだけ披瀝されました。
西塔学長さんによると、日本人は結構シカの肉を食べてきた歴史があるのだそう。
たとえば秀吉の刀狩のときでも農民が害獣を追い払うための鉄砲は没収されなかったし、家畜はだめでも猟師が狩りで獲った害獣は食べても良いのでした。
それが明治になってからの北海道開拓の初期にエゾシカの乱獲が行われました。調べてみると、開拓使が設置されて以来エゾシカ肉の缶詰や燻製を作る工場も設置されたほどだそうです。
エゾシカで外貨を獲得しようという時の明治政府の方針もあって、乱獲が進み一時は絶滅寸前まで行きました。そのため大正9(1920)年になって政府は完全禁猟を決め、これが昭和31(1956)年まで続き、この三十数年間のために北海道からもエゾシカ猟やエゾシカ食文化といった関係が断絶をされてしまうこととなりました。
実は『エゾシカ肉を食べる』という文化は決して新しい食文化を作るということではなくて『ちょっと忘れていた食文化に戻る【静かな取り組み】』なのだ、というのが西塔学長先生のご挨拶。
そうか、忘れていた食文化に戻ればよい。そう思うとなんだか気が楽になりますね。
エゾシ会議では私も冒頭でご挨拶しましたが、挨拶後は所用があってその後のシンポジウムを聞くことができなかったのはちょっと残念。次回以降は詳しいお話を聞きたいところです。
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【イオマンテでの試食会。どれも美味しくて幸せ】
さて、今日の会議のテーマは「食べる」。そこで会議終了後に会場近くのレストランIomante(イオマンテ)でエゾシカ料理の試食会が開かれました。
ここではオーナーシェフの舟崎さんが腕を振ったエゾシカ肉の料理が並んでいます。シンポジウム参加者の多くがこちらへもやってきて長蛇の列ができる大賑わいです。
舟崎シェフともお話ができました。
「シカの肉も部位で使い分けたりするんですか?」
「もちろんです。例えばミネストローネスープには首の部位を使います。ここが一番ダシが出るんですよ」
「なるほど~」
「肩ロースなどはローストで美味しくなりますが、煮込むとパサパサでだめです。それにこのローストビーフは強火ではなくて70℃でじっくり焼き上げたものでぜひ召し上がってください」
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【これがシェフ自慢のローストディアです!】
「『70℃で焼いた』とおっしゃいますが、どうやって温度を管理するのですか?」
「普通はオーブンを使って180℃で焼いたりしますが、このローストディアは70℃の温度になるオーブンで何時間もかけて、肉の芯までが70℃になるように温度管理をして焼くんです」
ハーブに山わさびを添えたローストディアはとっても美味で、間違いなくお奨めの一品でした。これは良い!さすがはイオマンテです。
さて、増えすぎたエゾシカと人間との関係をかつてとはまた違った形で結びなおすことができるでしょうか。
エゾシカを考えるシンポジウム、次回もお楽しみに。