埼玉大学で開催された「全国まちづくり会議inさいたま」に参加してきました。
これはNPO法人日本都市計画家協会が主催して、草の根まちづくりにかかわる人たちの連携と交流を目的として毎年開催されるイベントです。
今回は特にテーマを『東日本大震災復興支援そして、地域が担うまちづくりの実践に向けて』として、まちづくりのなかでも防災に関する意見交換が多く持たれました。
私には、いくつもある分科会のうち『港町のマネジメントを考える』というコマの中で、津波で被災した港町としての防災まちづくりについて語ってほしい、という依頼があったのでした。
※ ※ ※ ※ ※
釧路を改めて港町ゆえの発展と言う切り口で見ると、金塊の漁業に始まって、鉄道敷設とともに発展した石炭積み出し港、そして地元資源を生かした紙パルプの積み出し基地という、いずれにしても産業を基盤とした港のおかげで成長と発展の歴史を刻むことができました。
しかしながら釧路の三大産業がやがて減少してゆくに従って、経済が低迷しそれとともに人口減少の波が襲ってきたのです。
この経済低迷と人口減少はそれぞれが互いを助長するために、この負の連鎖からなかなか逃れられないのは地方都市共通の悩みですが、港のおかげで景気が良かった釧路にとってはことさらにそれが効いてくるのだと思います。
そんなところを襲ったのが3.11の津波でした。
津波に対してどのような備えをするのが正しいのかについては街の様相によって答えも様々でしょうけれど、議論に加わっていただいた東北工業大学の稲村先生によると、「やはり主力は高い津波防潮堤を作ろう」という方向になるのだそう。
私は「しかしあのクラスの地震は千年に一度級と言われていて、あと数百年は来ないのではないかと思いますし、それに対して50年しか持たない作工物で防ごうというのは、もう少し冷静な議論が必要ではないでしょうか」と訊いてみました。
すると、稲村先生は「それはあの波を見た者と見ていない人との差でしょうな。波を見たものはとてもその冷静ともいえる意見にはうなづけません」と言う答えでした。
「逆にまた津波が来て壊れてもいい、という覚悟で家を建て直している人もいます」
釧路では津波防災に関しては避難の質を高めることを目標として防災計画の改定を行いつつありますが、東北ではそもそも復興の基盤ができていないと稲村先生はおっしゃいます。
「やっぱり生業、仕事なんですよ。人々が働くことで経済を手に入れるという循環環境をとにかく早急に再生させなければ、今どんどん会社がつぶれている。被害はまとまったのではなく、今まさに進行形で増えていると感じてもらわなくてなりません」
避難して生き延びることはまず大事だとして、そうやって助かった命を長らえるためには産業と仕事を復活させる手立てが必要です。そうしなくてはせっかく助かった命をみすみす見放しているようなものです。
復興のためには国や社会の補助率を思い切ってあげるような政策が安定的に整備されている方がよいですね。これからの議論に期待したいところです。
※ ※ ※ ※ ※
またついでに東北の実相として地盤沈下について稲村先生に伺ってみました。
「先生、私も気仙沼のあたりを見てきましたが、地盤沈下による浸水が思いのほかひどくて、災害の想定をはるかに超えて対応に苦慮されているのではないかと思うのですが…」
稲村先生の答えは、「おっしゃる通りです。是への対処の方針が分かれてしまって収拾がついていません。数十センチも土地が下がってしまって、満ち潮の時は地面が海になっているようなものです」という驚くべき現実。
「地盤低下に対しても、ある工場では盛土をして元に戻してから工場を立て直したところもあれば、オランダのように強制排水をしてしのぐか、という両方の考え方があって事業者によっては対応がバラバラです。ただ今は強制排水でやろうというのが主流になりつつあるように思いますね」
想定外をなくそう、というスローガンは良いけれど、地盤がどれくらい下がるかまでは到底想像できなかったことでしょう。
私としては、組織が良く作るBCP(業務継続計画)を個人レベルに落とし込んで、自分自身が災害に会った時にどう生き延びるかを一人一人が作成できると良いのに、と思いましたがいかがでしょう?
※ ※ ※ ※ ※
なお今回の大会では、「くしろ橋南西ゆめこい倶楽部」が第九回日本都市計画家協会賞の優秀まちづくり賞を受賞しました。
普段のまちづくりの一コマをすごろくに落とし込んだ力作も展示されていました。
行政だけではない、地域力こそ防災には本当に力になるのですから、なお一生頑張ってほしいものです。
【ゆめこいすごろく、なかなかの力作】
これはNPO法人日本都市計画家協会が主催して、草の根まちづくりにかかわる人たちの連携と交流を目的として毎年開催されるイベントです。
今回は特にテーマを『東日本大震災復興支援そして、地域が担うまちづくりの実践に向けて』として、まちづくりのなかでも防災に関する意見交換が多く持たれました。
私には、いくつもある分科会のうち『港町のマネジメントを考える』というコマの中で、津波で被災した港町としての防災まちづくりについて語ってほしい、という依頼があったのでした。
※ ※ ※ ※ ※
釧路を改めて港町ゆえの発展と言う切り口で見ると、金塊の漁業に始まって、鉄道敷設とともに発展した石炭積み出し港、そして地元資源を生かした紙パルプの積み出し基地という、いずれにしても産業を基盤とした港のおかげで成長と発展の歴史を刻むことができました。
しかしながら釧路の三大産業がやがて減少してゆくに従って、経済が低迷しそれとともに人口減少の波が襲ってきたのです。
この経済低迷と人口減少はそれぞれが互いを助長するために、この負の連鎖からなかなか逃れられないのは地方都市共通の悩みですが、港のおかげで景気が良かった釧路にとってはことさらにそれが効いてくるのだと思います。
そんなところを襲ったのが3.11の津波でした。
津波に対してどのような備えをするのが正しいのかについては街の様相によって答えも様々でしょうけれど、議論に加わっていただいた東北工業大学の稲村先生によると、「やはり主力は高い津波防潮堤を作ろう」という方向になるのだそう。
私は「しかしあのクラスの地震は千年に一度級と言われていて、あと数百年は来ないのではないかと思いますし、それに対して50年しか持たない作工物で防ごうというのは、もう少し冷静な議論が必要ではないでしょうか」と訊いてみました。
すると、稲村先生は「それはあの波を見た者と見ていない人との差でしょうな。波を見たものはとてもその冷静ともいえる意見にはうなづけません」と言う答えでした。
「逆にまた津波が来て壊れてもいい、という覚悟で家を建て直している人もいます」
釧路では津波防災に関しては避難の質を高めることを目標として防災計画の改定を行いつつありますが、東北ではそもそも復興の基盤ができていないと稲村先生はおっしゃいます。
「やっぱり生業、仕事なんですよ。人々が働くことで経済を手に入れるという循環環境をとにかく早急に再生させなければ、今どんどん会社がつぶれている。被害はまとまったのではなく、今まさに進行形で増えていると感じてもらわなくてなりません」
避難して生き延びることはまず大事だとして、そうやって助かった命を長らえるためには産業と仕事を復活させる手立てが必要です。そうしなくてはせっかく助かった命をみすみす見放しているようなものです。
復興のためには国や社会の補助率を思い切ってあげるような政策が安定的に整備されている方がよいですね。これからの議論に期待したいところです。
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またついでに東北の実相として地盤沈下について稲村先生に伺ってみました。
「先生、私も気仙沼のあたりを見てきましたが、地盤沈下による浸水が思いのほかひどくて、災害の想定をはるかに超えて対応に苦慮されているのではないかと思うのですが…」
稲村先生の答えは、「おっしゃる通りです。是への対処の方針が分かれてしまって収拾がついていません。数十センチも土地が下がってしまって、満ち潮の時は地面が海になっているようなものです」という驚くべき現実。
「地盤低下に対しても、ある工場では盛土をして元に戻してから工場を立て直したところもあれば、オランダのように強制排水をしてしのぐか、という両方の考え方があって事業者によっては対応がバラバラです。ただ今は強制排水でやろうというのが主流になりつつあるように思いますね」
想定外をなくそう、というスローガンは良いけれど、地盤がどれくらい下がるかまでは到底想像できなかったことでしょう。
私としては、組織が良く作るBCP(業務継続計画)を個人レベルに落とし込んで、自分自身が災害に会った時にどう生き延びるかを一人一人が作成できると良いのに、と思いましたがいかがでしょう?
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なお今回の大会では、「くしろ橋南西ゆめこい倶楽部」が第九回日本都市計画家協会賞の優秀まちづくり賞を受賞しました。
普段のまちづくりの一コマをすごろくに落とし込んだ力作も展示されていました。
行政だけではない、地域力こそ防災には本当に力になるのですから、なお一生頑張ってほしいものです。
【ゆめこいすごろく、なかなかの力作】