地元紙への原稿を書こうとして昔のブログの記事を漁っていて、ホームシェアをしている女子大生の話題を見つけました。
ホームシェアとはお年寄りが自分の広い家の部屋を貸して、食事も提供するという形の共同生活なのですが、要は形を変えた「賄い付き下宿」のようなもの。
私も親の転勤で高校二年、三年と旭川で下宿生活を送ったのですが、食事も弁当も作ってくれました。今思えば本当にお世話になりました。
当時の部屋は八畳ほどの部屋で二段ベッドが備え付けてあって、流し台やガス台はなく、冬期の暖房はオガ炭ストーブ。そんな部屋で勉強をする生活を送っていたのです。
火が使えないので、温かいものを飲むときは電気ポットを使い、唯一の楽しみはラジカセで音楽を聴くことくらい。
狭い部屋に一人で暮らして、ときどき暖かいものを飲みながら音楽を聴いて勉強をする。
…で気づいたのは、これって単身赴任の今とほとんど同じ生活だということ。
部屋の様子で違うのはガス台と流し、さらにはお風呂とトイレが部屋についていることと机の上にはパソコンがあることくらい。
当時ラジカセで聴いていたのは当時流行っていたカーペンターズなんかの洋楽でしたが、結局今聞いているのも懐メロになったカーペンターズだったりするのですから、三十数年前の記憶と重なって、なんだか笑ってしまいました。
立って半畳、寝て一畳、死んでしまえば一握り
結局人間なんてそのくらいのスペースがあればいいものなんですね。
【確かこんな感じの電気ポットだったなあ】
※ ※ ※ ※ ※
ホームシェアのブログ記事を探し当てたのは、シェアする生活の良さを見直そう、という趣旨の文章を書きたかったから。
所有したいという欲をちょっと抑制して、使いたい時に借りればいいじゃないか、と考え方を変えられば随分気持ちが楽になるのにね。
何年か前に旭川を訪ねて、当時の下宿の前を通りかかったら、家はリフォームされていて私の当時の部屋はなくなっていましたし、お世話になったおじさん、おばさんも十年ほど前に亡くなったと風の便りに聞きました。
でも私の思い出の中だけにはあの部屋がちゃんと残っています。
ホームシェアとはお年寄りが自分の広い家の部屋を貸して、食事も提供するという形の共同生活なのですが、要は形を変えた「賄い付き下宿」のようなもの。
私も親の転勤で高校二年、三年と旭川で下宿生活を送ったのですが、食事も弁当も作ってくれました。今思えば本当にお世話になりました。
当時の部屋は八畳ほどの部屋で二段ベッドが備え付けてあって、流し台やガス台はなく、冬期の暖房はオガ炭ストーブ。そんな部屋で勉強をする生活を送っていたのです。
火が使えないので、温かいものを飲むときは電気ポットを使い、唯一の楽しみはラジカセで音楽を聴くことくらい。
狭い部屋に一人で暮らして、ときどき暖かいものを飲みながら音楽を聴いて勉強をする。
…で気づいたのは、これって単身赴任の今とほとんど同じ生活だということ。
部屋の様子で違うのはガス台と流し、さらにはお風呂とトイレが部屋についていることと机の上にはパソコンがあることくらい。
当時ラジカセで聴いていたのは当時流行っていたカーペンターズなんかの洋楽でしたが、結局今聞いているのも懐メロになったカーペンターズだったりするのですから、三十数年前の記憶と重なって、なんだか笑ってしまいました。
立って半畳、寝て一畳、死んでしまえば一握り
結局人間なんてそのくらいのスペースがあればいいものなんですね。
【確かこんな感じの電気ポットだったなあ】
※ ※ ※ ※ ※
ホームシェアのブログ記事を探し当てたのは、シェアする生活の良さを見直そう、という趣旨の文章を書きたかったから。
所有したいという欲をちょっと抑制して、使いたい時に借りればいいじゃないか、と考え方を変えられば随分気持ちが楽になるのにね。
何年か前に旭川を訪ねて、当時の下宿の前を通りかかったら、家はリフォームされていて私の当時の部屋はなくなっていましたし、お世話になったおじさん、おばさんも十年ほど前に亡くなったと風の便りに聞きました。
でも私の思い出の中だけにはあの部屋がちゃんと残っています。