北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

師匠と呼ばれるからには

2012-06-30 23:45:14 | Weblog
 午前のHACで釧路へと戻ってきました。

 今日も札幌は30℃前後の暑さが襲ってきましたが、釧路空港へ降り立つと風の性質が全く違う涼しさに包まれて幸せな気分に。

 夏は涼しく過ごしたいものです。


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 今日から明日にかけて、フライフィッシングの大師匠のMさんが来釧中。

 何もなければ有料レッスンに参加したいところでしたが、生憎と今日と明日にかけては公務が入っていて参加ができません。

 それでも夜は時間が空いたので、レッスン参加者たちと共に歓迎の宴会に参加することができました。

 釣りの中でもフライフィッシングは、闘争本能を満たすような側面もあれば、魚の生態を知る生物生態学の側面もあり、さらには魚の目をごまかすような疑似餌という創作的な面など多様な側面があります。

 しかし中でも、釣竿とラインと呼ばれる重みのある釣り糸を操って、魚のいそうなところにセンチ単位で釣り糸の先端につけられた軽いフライ(=疑似餌)を投げ込むこと(=キャスト)は、体術としてのスポーツの側面が強く感じられます。

 キャストはとにかく練習によって身につけなくてはならないスキルなので、考えながらも単純な繰り返し練習を積むことが必要。

 しかもそこには道具としての釣竿という要素も影響してきます。

 大師匠Mさんのすごいところは、まず自分がお手本を見せておいて、レッスン参加者がやってみるところでその参加者の竿を借りて同じように手本を示せるところ。

「そんなに良い道具だったら誰でもできますよ」とも、「こんな道具だからそんなお手本のようにはできません」とも決して言わせない、どんな竿でもそれなりにあやつれるという自信があるのです。

 決して力任せでも道具の性能でもなく、理論として説明をしながら見せてくれるキャスト技術を追究するとここまでできるのか、という姿は素直な驚きです。

 しかもレッスン中は、体の動きのどこが悪いかを的確に指示し、上手になるようにと懇切丁寧に改善の方向を教えてくれます。

 レッスン参加者からは「一皮むけました」とか、「やっとこの動きが自分の物になりました」などという話を聞くと、参加できなかったことが本当に残念に思います。


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 それでも夜の歓迎会の会話の中にも、そうしたちょっとした動作のヒントは盛りだくさんで、聞いているだけでも考え違いに気づいたり目からウロコが落ちたりと、刺激と実りのある勉強ができました。


 師匠というのは、見ている世界が圧倒的に広く力量の差があってこそ師匠なのだ、とただただ圧倒されるのでした。

 一日一日が違った状況を示す夏の釣り。

 この上は早くそれを川で実地に試してみたいものです。

 

 

コメント
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