北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

こんな「冷やし」はいかが

2012-06-01 23:31:20 | Weblog
 昨日、熊谷市のホームページにバナーを貼った件はいくつかの新聞に書いて頂けたほか、テレビでも涼しい釧路での避暑生活がニュースの話題として取り上げられました。

 頑張ったなりの成果が得られてまずはよし。この釧路の涼しさをもっと表現するにはどうしたらいいかを、また若手の職員達と議論しようと思います。

 昨日の記者レクを巡ってある新聞社の方と意見交換ができました。

 その方は「このままではちょっと弱い」という意見をお持ちで、「日本一暑い熊谷市にバナーを貼るのなら、『日本一涼しい釧路市が…』と言えるようなセリフはありませんか」と言います。

 「測候所のある都市の中では、とか人口○○万人以上の都市の中で…とか、条件付けはいろいろ考えるとして、『一番涼しい』という称号が欲しいところですね」とも

 やっぱり二番じゃダメ、一番でなくちゃダメなんです。多少苦しくたって、しゃにむに一番の称号を取りに行くがむしゃらさがまだまだ釧路には不足しているようです。がんばらなくては。


    ※    ※    ※    ※


 その記者の方はかつて山形市に勤務した経験があるのだそう。

 私も覚えていますが、山形市はかつては日本で一番高い気温を記録した土地でした。フェーン現象という、山に上った空気が下ってくる時には気温が上がるという現象で、1933年に40.8℃という最高気温を記録したのです。

 その記録は埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市に2007年に0.1℃抜かれてしまったのですが、最高気温を抜いて一番になったことで熊谷市と多治見市では「日本一暑い町」という称号をまちづくりに大々的に使うようになりました。

 実は山形市では、この間一番暑い町ということを東北の人たちの謙譲の心からか自慢することが恥ずかしいと思っていたようで、事実暑い日が多いにもかかわらずそうしたまちづくりをしてきませんでした。

 熊谷市に抜かれてみて初めて、日本一暑いということが他の町と差別化出来る要素だと気づいて多少悔しがっているのだとか。

 失って初めて分かる価値というのがあるものですね。


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 【うーん、クールかも】


 ところで、山形市は実際に暑いところなのでそれをどうやって過ごすかという工夫として「冷やし文化」の面で結構見るべきものがあるのだとか。

 例えば「冷やし中華発祥の地」でもあるなんて案外知られていません。

 少し前には床屋さん達が、「自分たちも何か出来ないか」と考えて、シャンプーをキンキンに冷やしてシャンプーするという「冷やしシャンプー」を開発して、これが大受け。

 ラーメン屋さんが季節になると「冷やし中華始めました」と書いた紙を貼るように、床屋さんに「冷やしシャンプー始めました」という紙が張り出されるのだそう。

 しかも山形~仙台間には一日数十本の高速バスが運行していて、山形市民が仙台に買い物に行ったりする反面、仙台から高速バスで山形へ行って冷やしシャンプーをして帰ってくるという楽しみも人気なのだそう。

 また名物の玉こんにゃくを冷やして食べるなんてことも始まったそう。

 暑いが故にこれを過ごしやすくしようと言う生活の知恵が「冷やし文化」としてこれまた他市との差別化の要素となるなんて面白いではありませんか。

 食べ物がグルメとして地域を特徴づけるということは良くありますが、日常の生活もまたこだわれば文化の趣を持ち始めます。

 さて、釧路の涼しさ故のライフスタイルが日常の生活文化になっていることなどあるでしょうか。そしてそれをまたどう表現したらよいでしょう。

 まちづくりは無理のない日常の生活から始まっていると言えそうです。

 視点を変えて発信する。そのちょっとした追加の手間が町を活気づけますね。
コメント
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