北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

あなたはそれでも観ますか?

2012-07-18 22:37:57 | Weblog
 市長と出かけるために市長車に乗り込んでいたら、後から市長がやってきて、「ねえねえ、結果の分かっているサッカーの試合なんて見る?」と訊いてきました。

 一瞬なんのことかわからず、「え?なんのこと?」と訊くと、「いや僕の知人が、サッカーの試合を録画して観るというんだけど、そんなのは結果がネットにも出ていて勝ったのか負けたのかも分かっているわけよ」
「はいはい」

「僕は結果が分かっているサッカーの試合なんて、ゴールシーンくらいは見るかもしれないけれど、90分もずっと観戦しようなどとは思わないから副市長はどうなのかな、と思ったのさ」
「なるほど」




 どうやら市長は結果の分かっているサッカーの試合を見るのか見ないのかをあちらこちらで訊いて回っているよう。

「あ~、考えてみたら私は…観ますね。先日のサッカーも録画してみましたよ」
「ええ?見るの?なぜ?」

「いや、試合運びや、これはと思う選手の動きなんかを見て、相手チームを幻惑したら(ああ、今のプレーは上手だな)とか、攻め方が上手いか下手かなどを面白く観ますよ」

 すると市長は、「信じられないなあ!そんなの時間の無駄じゃないか。勝った負けたにそれ以上のことはないでしょう」と驚くので、「いや、試合運びなんかは目が肥えていた方がいいのじゃないですか」と意見は異なります。

 次の市長の一言は、「勝負は勝つか負けるかで、そこに美しい負けも、惜しい試合もないものだと僕は思うんだよなあ」 

 そこではっと行き着いたのは、「それって選挙を戦う政治家だからじゃないですか?一票差でも勝ちは勝ち。そこに惜しい戦いも美しい負けなどはない、ということじゃないですか」という言葉。

「ははは、それは分かりませんね。でもとにかく僕はそういうのは見ないってことだな。時間の無駄じゃない~?」


 試合を勝ち負けに関わらず楽しむ見方をする人もいれば、結果が分かっていればもう中身はどうでもいいという人もいます。

 あなたはどちらですか?


コメント (3)
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