先週に続いて、家の近くの会館「アクア・ベール」で蕎麦打ち。ランチバイキングでの手打ち蕎麦の振舞いです。
今回は弟子屈町の摩周蕎麦粉のうち、「キタワセ」と「キタノマシュウ」の二種類の蕎麦粉を打ってみましたが、どうやら「キタワセ」の方が美味しいようです。
蕎麦粉をこねて玉にする過程でも、コシの強さはキタワセの方が強いし、水を入れた際の蕎麦の香りもキタワセの方が強く出ました。
こういう違いって、同じときかできるだけ近いタイミングで比べてみないと良くわかりません。
こうした微細な差異を感じる訓練を積むことが、眼力を養うには最適。私のキーワードは、「人生でどれだけ眼力を養うことができるか」ということです。

【これは眼力でも「メヂカラ」と読むのかな】
※ ※ ※ ※ ※
たとえば、蕎麦を打つのでも「週に一度、一玉ずつ打つ」のと、「二週間に一度、二玉ずつ打つ」のではどちらが上達すると思いますか。
正解は、後者の「二週間に一度、二玉ずつ打つ」のほう。その理由は、一度打ってみた失敗やふと気づいたインスピレーションを、二玉目ですぐに修正したり形にできたりするからです。
一玉しか打たないというのでは、短時間のうちに気づきを形にするという訓練ができません。
スキルというのは、考えるのは頭ですが動かすのは肉体ですから、肉体が覚えないと身に付きません。反復練習も効果的なのは頭も体も同じです。
※ ※ ※ ※ ※
もう一つ蕎麦打ちで言うと、「もうこの程度で良いよ」という程度の見極めが大切です。
蕎麦はもたもたして生地が乾燥するのを嫌いますから「可能な限り早く打て」と言われます。
ところが早さばかりを意識して、コネる段階が不十分だと茹でた際にボロボロになってしまう蕎麦が出来上がります。
それでいて、あまりに入念にやれば時間がかかってしまうので、「このあたりでよし」という判断を適切に下さなくてはなりません。
蕎麦打ちを始めた頃はこの判断ができずにボロボロの蕎麦を何玉も家族に食べてもらったものですが、この判断もまた眼力です。
どうせならいろいろなことを知っている方が人生は豊かになります。
「これなら分かる」という、自分自身の眼力を一生をかけて磨き上げましょう。
今回は弟子屈町の摩周蕎麦粉のうち、「キタワセ」と「キタノマシュウ」の二種類の蕎麦粉を打ってみましたが、どうやら「キタワセ」の方が美味しいようです。
蕎麦粉をこねて玉にする過程でも、コシの強さはキタワセの方が強いし、水を入れた際の蕎麦の香りもキタワセの方が強く出ました。
こういう違いって、同じときかできるだけ近いタイミングで比べてみないと良くわかりません。
こうした微細な差異を感じる訓練を積むことが、眼力を養うには最適。私のキーワードは、「人生でどれだけ眼力を養うことができるか」ということです。

【これは眼力でも「メヂカラ」と読むのかな】
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たとえば、蕎麦を打つのでも「週に一度、一玉ずつ打つ」のと、「二週間に一度、二玉ずつ打つ」のではどちらが上達すると思いますか。
正解は、後者の「二週間に一度、二玉ずつ打つ」のほう。その理由は、一度打ってみた失敗やふと気づいたインスピレーションを、二玉目ですぐに修正したり形にできたりするからです。
一玉しか打たないというのでは、短時間のうちに気づきを形にするという訓練ができません。
スキルというのは、考えるのは頭ですが動かすのは肉体ですから、肉体が覚えないと身に付きません。反復練習も効果的なのは頭も体も同じです。
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もう一つ蕎麦打ちで言うと、「もうこの程度で良いよ」という程度の見極めが大切です。
蕎麦はもたもたして生地が乾燥するのを嫌いますから「可能な限り早く打て」と言われます。
ところが早さばかりを意識して、コネる段階が不十分だと茹でた際にボロボロになってしまう蕎麦が出来上がります。
それでいて、あまりに入念にやれば時間がかかってしまうので、「このあたりでよし」という判断を適切に下さなくてはなりません。
蕎麦打ちを始めた頃はこの判断ができずにボロボロの蕎麦を何玉も家族に食べてもらったものですが、この判断もまた眼力です。
どうせならいろいろなことを知っている方が人生は豊かになります。
「これなら分かる」という、自分自身の眼力を一生をかけて磨き上げましょう。