北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

シーニックバイウェイ大雪~富良野ルートを走る

2005-10-11 23:36:16 | Weblog
 今日も快晴。視察対応をするには最高の日となりました。
 
 今日は、
■シーニックバイウェイ大雪~富良野 の1本です。

【シーニックバイウェイ大雪~富良野】
 本省からシーニックバイウェイを視察したいという知人がくることになった。

 日程としては明日翌日には札幌で別な用事があるために先乗りで来道されるということなのだが、朝東京を出て夜に札幌入りするということであれば、あまり時間もないので、今回は飛行機で旭川に降り立ってもらってそのまま南下する「大雪~富良野ルート」を視察してもらうことにした。

 視察と言ってもシーニックバイウェイで新しい施設ができているわけではないので、なにしろ「人に会っていただこう」ということで、現地で枢要な活動をされている方をお招きして昼食を食べながらの会談をメインにした。

 旭川空港で出迎えをしたが、空港内には台湾からとおぼしきたくさんの観光客が帰りの便を待っている。

 チャーター便で外国人観光客が直接地方空港に乗り入れをすると、そこで入国審査をしなくてはならないのだが、地方空港にはC.I.Q.と呼ばれる税関や入国審査の機能が弱いので、入国のために長時間待たせてしまう結果となる。

 そのために入国機能に強いハブ空港を用意して、そこで着陸・入国してもらい、国内移動は国内便で対応してもらうというのが良いのだが、日本はまだその体制が弱いのだ。
 観光立国宣言をした割には、受け入れ体制が整っていないと言うこと。むやみやたらな公共事業批判はそれとして、我々が次の世代のために良い社会を作り続けるという努力は止めるべきではない。

 後世をどういう社会にして残してあげるべきか、という精神が必要だ。

    *   *   *   * 

飛行旭川の開発建設部にも地域内の紹介をしてもらったのだが、まずは西神楽グランドワーク協会と協力しながら進めている、道路情報館を見せてもらう。

 ここはかつてコンビニだったのが、店主の都合で止めることにしたものを地域で安く借り上げて、道路情報館に仕立てたもの。

 建物構えと言い、看板と言い、コンビニそのもので、シーニックバイウェイのマークの下には「たばこ」と書いてあるのが笑える。

 地域の農産物直売所にして、同時に道路情報の提供をしているのだが、この辺りを走る国道237号線は旭川~南富良野間に道の駅もないし、休憩所もないのだ。

「地域でそういう道路サービスを何とかしたいと思って」とはグランドワーク西神楽の谷川さん。

 地域が気持ちを一つにして何事かをやろうと思えば、いくらでもできるものだ。良い例を教えていただきました。地域に愛される施設になるようにお祈りしています。

    *   *   *   * 

 続いては車を国道237号線沿いに走らせて、深山峠の頂上でシーニックバイウェイの大雪富良野ルートで活躍してくれている枢要な皆さんとの昼食会で、いろいろとご苦労話を聞かせてもらう。

 昼食会場となった場所は全国を転勤しまくったあげくに職場を離れてここに移住したというHさんの喫茶店である。

 ここのブラックカレーをいただいて舌鼓。これはいつかうちの奥さんにも食べさせなくてはなるまい。相当に美味しいぞ、これは!

 このルートの代表者である菅野さんからは「シーニックバイウェイを視察したいという申し込みが結構あるのですが、何を見せて良いのか分からないして、第一先方も何があるのかを分からずに来るんです。ある自治体の議会視察では説明をしようとしたら皆議員がお土産を買いに行ってしまったので、あきれて帰ってきましたよ。皆何か施設を見たがっているんです」と嘆く。

 私からは「世の中の事は物事(モノゴト)と言いますが、シーニックバイウェイではいわゆるモノである施設を見てもらうのではなく、そこで皆さんが起こしている事、起きている事を見てもらうのだ、ということを伝えるのがよいでしょう。シーニックバイウェイとはモノではなくコトなのだという事の感覚が伝わればよいのではないでしょうか」とお話をした。

 すると菅野さんも谷川さんも膝を叩いて「それはわかりやすいですね、良い話を聞きました。それは説明の時にいただきますよ」と喜んでおられた。

 それにしても、この地区で地域活動をしている人たちには外から来たかつてのよそ者が多いのは面白い。
 
 結局、外から来た人ほど、地域の魅力に敏感なのだろう。そういう人の感性は大事にしたいものだ。

    *   *   *   * 

 グランドワーク西神楽では、写真コンテストとして「残したい風景」はあたりまえとして、「残したくない風景」という、悪い景観の写真コンテストもしたのだそうだ。

 そうしたところ、頂上付近のラーメン屋さんの看板や店構えが悪いという写真の応募があって、それまでは頑として「自分の土地をどう使おうがおれの勝手だ」と言っていたご主人が、心機一転して店回りを美しくし始めたのだそうだ。

「活動をして行くと、いろいろなことがありますねえ」というHさんの笑い顔が印象的だった。

 
 そこを離れてからは、丘の風景の地形なりに直線道路が続く、通称「ジェットコースターの道」を走る。

 こういう道は地元の人でなくては分からない風景だ。

 観光雑誌には書ききれない地域の魅力がある。それをどう伝えるか、伝えないかが面白い。 

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おやじの会の野球対決

2005-10-10 22:27:25 | Weblog
 三連休の三日目はおやじの会の会合です。スポーツの秋を楽しみましょう。
 
 今日は、
■おやじの会の野球対決 の1本です。

【おやじの会の野球対決】
 今日は琴似中学校おやじの会のスポーツ対決シリーズのうち、野球対決です。

 このおやじの会では、子供たちとのふれ合いのためにスポーツ系のクラブと、昔そのスポーツが得意だった親父との対決を恒例にしています。

 今日はいよいよ野球対決です。我々が子供の時にはスポーツと言えば野球だったわけで、得意な親父も多いのです。

 それでも過去5年にわたる対決では、かつて親父チームが野球部に勝った試しはありません。塁に出られて走られて、おろおろしているうちに点が入れられるという悪いパターンで負け続けなのです。今日こそ雪辱を果たしたいもの。

    *   *   *   * 

 今日は呼びかけの効果もあって、おやじの会に入っていない父親も多く参加してくれて、全部で20名が集まりました。

 そこで野球交流担当のKさんは、親父チームを二つにわけることにして、子供たちの野球部も1・2年生チームと、3年生チームにわけ、2試合をすることにしました。私は2試合目の登場で1試合目はお休みです。

 初戦は野球部の2年生の子のカーブと直球のコンビネーションに苦しめられて親父チームはなかなかヒットが出ず苦労。

 逆に子供たちの方は、フォアボールなどを足がかりにして足を絡めて盗塁や走塁で親父をじわじわと苦しめます。
 
 初回、2回と2点ずつを取られて、親父チーム苦戦。

 4回にやっとヒットでノーヒット・ノーランは逃れたものの、あと一発が出ずずるずると劣勢のまま最終回へ。そしてここでも打線が不発で、0-5での負け。

 普段練習している子供たちはなかなか強いものです。

    *   *   *   * 
 
 そしていよいよ第2試合は私も登場する3年生との対決です。

 今年はピッチャーにかつて野球で国体経験者のKさんを擁して必勝態勢。Kさんも50才を過ぎたというのに投げる玉の威力はまだまだ現役です。

 私はキャッチャーをやらせてもらいましたが、セカンドまでの投球はやや辛くなってきましたぞ。

 初回は相手チームを三者凡退に抑えて、その裏の攻撃では先頭バッターのヒットを足がかりにして、先取点をもぎ取りました。これは幸先がよい。

 次もK投手の好投で相手を翻弄。センター軸がきっちりしていると試合にはなりますぞ。

 6番バッターの私から始まる2回の裏の攻撃では、なんとかヒットを打てて出塁。相手の暴投の間にセカンドへ進塁してノーアウト2塁のチャンス。

 しかしここで凡プレー、ショートがセカンドベースにぴったりついているので離塁出来なかったところへ三遊間のヒット。

 打球が早すぎて三塁への進塁を果たせず、ノーアウト1塁、2塁になってしまいました。

 名誉挽回とばかりに気が焦って、三塁盗塁を虎視眈々とねらう私。

 ショートがベースから離れた瞬間にリードを大きく取り、三塁への盗塁を敢行、同時に一塁ランナーもセカンドへつられて盗塁。

 そこへバッターが打って、痛烈なライナーが二遊間を抜け…ずに、セカンドの子がこの打球にダイビングキャッチを試みて見事にキャッチ!

 盗塁で飛び出していた私と一塁ランナーはともに塁に戻れず憤死。なんとトリプルプレーの完成です!いやあ、こういうこともあるのですねえ。

     *   *   *   * 

 しかしその次の会の表の守備では、ヒットで出た子を一塁に置いてサードライナーでダブルプレーのお返し。
 「我々の年齢でのダブルプレーは子供たちのトリプルプレーに匹敵するぞ!」の声でベンチは盛り上がりました。

 試合の方は、その後1点を追加した親父チームが粘る子供たちを振り切って、2-0での完封勝利。

 苦節6年、過去に一度も勝てなかった親父チームの初勝利でありました。

 子供たちでは2年生になかなか有望な投手がいたのと、1、2年生もまだ小柄ながら全体に守備が良く締まっていて、見ていて気持ちが良かったです。

 親父の方も、奇策に頼らずに力で押し勝った堂々の勝利。けがもなく素晴らしい試合となりました。

 試合後には新旧のキャプテンが先生に促されて挨拶に来てくれて、挨拶も立派なものでした。先生の普段の指導の徹底も良く分かりました。

    *   *   *   * 

 「子供の教育に親も関心を!」とか「学校も社会に開かれた体制で!」とスローガンは多いけれど、こうして親たちが集まって子供や先生とふれあうという実践を通じて初めてそれらは果たされるのでしょう。

 子供たちと父親のふれ合い、子供たちの父親とOBの親とのふれ合い、親と学校のふれ合い、父親同士のふれ合いなど、知らない同士がとにかく同じ時間を共有して何かをすることは素晴らしいことだ。

 この少しずつのふれ合いの先にこそ、社会のネットワークが形成されて行くに違いない。

 PTAに参加する親たちは、子供が卒業してしまうとほっとして、そこからさらに学校に関わるということが少ないのだ。

 おやじの会の良いところはOB会員の存在を認めていることで、今でもかつてでも『子供がお世話になった中学校』をキーワードにして親たちが集うというところである。

 これを繰り返して行くことで、町内会とはまた違った親たちの友達ネットワークが地域の中に強化されて行くに違いないのだ。

 町内を歩いていて、すれ違う知人に「あ、○○さん」と名前で呼ばれることは嬉しいことだ。

 道行く人が皆見知らぬ人ばかりという土地は寂しいものだ。地域を暖かくするのも一人一人の実践からである。

  
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平取町でアイヌ文化に触れる

2005-10-09 23:32:34 | Weblog
 三連休の二日目は嫁さんとドライブ。紅葉が見えたらよいと思いつつ、先日行きそびれた平取の施設を訪ねようとドライブ。快晴の朝を一路平取に向かってデリカを走らせました。
 
 今日は、
■義経神社を訪ねる
■二風谷アイヌ資料館を訪ねる の2本です。


【義経神社を訪ねる】
 まずは平取町にある義経神社をお訪ねする。義経神社は石の階段が何段もあって一段ずつ登ると息が切れる。

 優れた武将の義経だけあって、牧場関係者が馬の成長や勝利を祈る幟が何本も立てられていて、地元の信心の深さが伺える。

 源九郎判官義経は兄頼朝と仲違いをしてごく少数の配下と共に逃避行をする羽目となり、奥州平泉に逗留しているところを襲われ、衣川の戦いで敗れ自決した、と歴史は教えてくれる。

 しかし東北から北海道にかけては多くの義経伝説が伝わっていて、実は衣川の戦いで首を取られた武将は替え玉で本物はさらに逃避行を続けたと信じている人やそう望んでいる人が多いのである。

 北海道に「弁慶」という地名が多く登場することを上げる人もいるが、それはアイヌ語にペンケ(上流の)という地名でよく使われる単語があるからだ、というのがもっぱらの説明になっている。

 しかしここ平取の義経伝説は、それらとはまた一風変わっている。それは18世紀末に幕吏近藤重蔵守重がこの地を訪れた際に、地元のアイヌ達が伝説の神オキクルミカムイの化身として義経を慕っているということを知って、寛政十(1798)年に御尊像を寄進したことでこの神社が創立されたという由来である。

 義経はこの地で数年を過ごし、地元のアイヌの人達を愛し、衣食住なかでも食では栗・粟・ヒエの耕作教化を広めたとされている。

 伝説の義経はこの地をたった後は西海から大陸へ渡ったということになって義経ジンギスカン説につながるので、話はさらに大きくなる。

 ロマンのかけらもない歴史家によると、幕府がアイヌ達の信頼を得るためにオキクルミカムイと義経を結びつけて人心の掌握に努めたため、と説明をするようだ。

 その真偽の程を確かめる術はないが、道内の他の義経伝説と共に歴史のロマンを感じさせる話である。

 義経神社の参道には山栗がたくさん落ちていて、ご神木も栗の大木である。いかに栗がこの地の食生活を潤したかも推し量れることだろう。

 ちなみに栗はアイヌ語でもクリという。栗という植物がアイヌ世界の外から入ってきたことを推測されるお話しでもある。
 一度お訪ねすることをお勧めします。


【二風谷アイヌ資料館を訪ねる】
 義経神社を後にすると、次は二風谷で国道を右に入って萱野茂さんの二風谷アイヌ資料館を訪ねる。

 ここはアイヌ民族文化研究家の萱野茂さんが収集し続けてきたアイヌ民具を展示し、同時にアイヌ語やアイヌ文化を知らしめる拠点としての役割を保ち続けているところである。

 入り口で「国道の反対側にある、町立二風谷アイヌ文化博物館とのセット券もありますが」と言われ、セット券を購入する。セット券ならば400円の入園料二カ所が700円になるのである。

 さて館内は、萱野さんが集められた民具がまさに所狭しと並べられていて、なんだかもったいない感じ。

 道内の地域ごとに異なる衣服の刺繍文様のコレクションなどは必見である。

 ところどころに萱野さんの文章によるアイヌの人達の宗教観や歴史、文化などの紹介があって、私などはこれにも目を奪われて思わず読みふけってしまう。アイヌの人達の自然観には考えさせられることが多い。

    ※    ※    ※    ※

 館内にはビデオもあって、受付のお嬢さんにお願いをすると見せて下さるというので、熊送りの儀式であるイヨマンテを見せてもらおうとお願いをした。すると、イヨマンテのビデオはⅠとⅡの二巻があるということだったが、熊送りの儀式そのものが写っているのはⅡ巻の方だというのでそれを見せてもらうことにした。

 映像では準備段階を終えて、いよいよ熊送りをする直前からフィルムがスタートした。

 質問をするアナウンサーに若かりし萱野さんが答えるという形の掛け合いで場面が展開して行く。

 熊は生後1年から2年くらいの小熊を捕まえて1年ほど大事に可愛がって育てるのだそうだ。そうして儀式の一週間くらい前からは人間界の餌は与えずに絶食状態に置くのだが、これは熊の神様の国に帰ってからすぐに神の国の食物に慣れるように、信じているからなのだそうだ。

 いつの間にか、我々夫婦の後ろには3人連れのご家族も椅子を寄せて画面に見入っている。

 やがて丸太でこしらえられた檻の中にいる小熊に対して、上から首輪をつけて3本の縄で引っ張れるような用意がされる。準備が出来ると、檻の底を抜いて熊が落ちてくる。小熊と言っても体長は1.2mほどはあるし力もある。暴れると画面からでも怖さが伝わってくる。

 この3本の縄で動けなくなっている小熊に向かって、最初は子供から弓矢を打ち込むのである。その距離は1mくらいの至近距離で、絶対にはずすことのない距離だ。

 やがて大人も矢を打ち込んで最後には小熊は絶命するのだった。我々の後ろからは「あらま、残酷なことをするねえ」という声が聞こえ始める。

 今度は絶命した熊の皮を剥ぐ。ビデオは記録映像としての側面が強いので皮を切り開いて血が出るシーンも平気で見せる。

 皮を剥ぐのだが、頭だけはそのままにして頭部と頭から下の皮の姿になってしまった。後ろのお三方はげんなりしている。

 やがて頭部も耳と鼻を残して皮を剥がし、舌や脳髄を取り出す段になるともう後ろの方達はそそくさといなくなってしまった。

    ※    ※    ※    ※

 ここまで見ていながら、この段階で席を立ってしまうと「アイヌ人は残酷なことをする」というイメージだけが伝わってしまうことだろう。実に残念なことだ。

    ※    ※    ※    ※

 舌も脳髄も目も取り出された熊にはイナウという木を削ってお払いの御幣のようにしたものが詰め込まれる。イナウで飾り付けられた熊には、ほかにも短刀が添えられたり、団子や鮭などの食べ物がどっさりとお土産として持たされたりする。

 そして木のへらでなんどもお酒を飲ませてもらって、まさに村人を上げてお別れのおもてなしをしているのである。

 その翌日の朝には頭部や解体された手や足を木にぶらさげられた祭壇でお祈りと共に、東の方向に花矢が放たれるのとともに熊の魂は神の国へまっすぐに帰って行くのだという。氷点下23℃という厳寒の中の荘厳な儀式であった。

    ※    ※    ※    ※

 熊の神の国に帰った小熊の神は、「おや、長く見なかったがどうした?」と訊かれることだろう。そのときに小熊は「人間の世界にいたけれど、毎日可愛がってもらえて、おまけにこうして帰ってくるときにはこんなにお土産を持たせてくれたよ。とっても良いところだったよ」と報告してくれるに違いない。

 それを聞いて熊の神達が「そうかぁ、そんなに良いところなのか。よーし、俺も行ってみよう」と思ってくれればこちらのもの。

 熊は、最高の食物である肉が暖か衣服になる毛皮を着て、おまけに熊の胃という薬まで人間界にもたらせてくれる大変ありがたい神なのである。

 アイヌの神は、人間の役に立つためにこの世に現れるのであって、ありがたくいただくのがこの世にいる者の務めである。そうしてまた同時に、せっかく現れてくれた神を粗末にして利用せずにいたりすると、怒って現れてくれなくなってしまうと信じられているのである。

 「全てのものには魂がある」と信じる、単なるアニミズムとは一線を画すカミ観と言えよう。

 だから、ビデオを途中で離れてはいけなかったのだ、と思う。あの一件残酷なシーンから続く、熊の神に対する真剣な信仰の姿を見なくては行けないのだ。実に残念なことだったと言えよう。

 もっとも、この巻だけで55分のビデオは私にとっては興味深かったけれど、一般のお客さんにとっては長いと感じてしまうかも知れない。見せ方に工夫がなければ誤解だけを広めかねないという意味で、短時間編などもあった方がよいかも知れない。

 真実と大衆を結びつけるには、良き通訳者が必要なのだ。送り手側が真剣であればあるほど、受け手との間にギャップが生じるものだ。
 それを上手に取り持つ通訳者の存在は大きなものがあると言えよう。

    ※    ※    ※    ※

 続いて国道の反対側にある町立二風谷アイヌ文化博物館の方を訪ねてみたが、こちらはさすがに後からできただけのことはあって、「くらし」「神」「大地のめぐみ」といった分類で上手に展示構成がなされている。

 萱野さんの所蔵品をプロの展示屋さんが見せたというところだろう。

 しかし、綺麗すぎてなにか伝わらない悔しさみたいなものが返って私には感じられなかった。文化を淡々と展示しているだけでは、歴史の重みや深さや情念が伝わらないように思えたのだった。

 まさにアイヌ文化は北海道遺産だ。磨かず光らない財産だ。そのことを知ることから始めよう。

 イヤイライケレー(ありがとう)

 
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知人の還暦パーティに参加する

2005-10-08 23:03:09 | Weblog
 今日から三連休。天気も何とか持ちそうだし、秋の日の行楽で楽しみましょう。
 
 さて今日は、
■あるオヤジの還暦祝い の1本です。

【あるオヤジの還暦祝い】
 三連休初日のきょうの予定は、知人である某オヤジの還暦祝いパーティに出席することである。会場は豊平川を一望にするルネッサンスホテル。

 私より年が一回り以上違ううえに、その特異なキャラクター故に周囲から恐れられまた愛されているそのおじさんを、回りは敬愛の念をこめてオヤジと呼んでいる。

 彼はマスコミ界に身を置いて、若い頃は政治部記者として東京を始め海外でも活躍し、その信条は「誰にでも会うこと」とし、とにかく犯罪者だろうが海外の要人であろうが、会える人にはとにかく会うことで自分自身を高めてきた男である。

 彼の半生は、反体制、反権力、反官僚にあって、私などはその憎まれ役側に属するのだが、小粒は相手にしないのも彼の信条である。

 しかし彼に噛みつかれる役人・官僚を見ていると、どうも近づかなくてはならないのに怖くて距離を置きがちな態度を取るものだから、ちょうど叩かれるのに良い距離になっていると思われる。

 こういううるさいオヤジの場合、それでもそのハートに共感出来て、こちら側も近づきたいと思う場合は、杖を振り下ろす一瞬の隙をついて、その懐に飛び込んでしまうのがよい。そうすると「杖の下を回る犬は撃てぬ」というやつで、案外仲間に入れてくれるものである。

 そこから先はなりゆき。誘われて面白そうなら付き合えばよいし、面白くなさそうなら放っておけばよい。

    *   *   *   * 

 このオヤジの回りに人が集まるのは、一見大言壮語な理想をかかげつつ、それに向かってとにかくがんばる姿が回りに見えること。そして自分の仲間には本当に親身で情が厚くて、なんやかやと面倒を見てくれることだ。

 本人は中に入ってみると極めてシャイで恥ずかしがり屋なのだが、そういう気持ちを振り切るかのように敢えて声を荒げたり、論戦を挑んだりするところがある。

 皆自分の性格そのままではなく、どこか虚勢を張りながら生きているものだ。

 彼の生き方を皆は「ミラクル」と呼び、彼が言うと大きな事でもいつかやれそうな気になってしまうのだ。

 彼の歳まで私も後13年。どこまでできるか分からないけれど、せいぜいお手本にさせてもらおうと思う。

 目先に人生の師匠や兄弟子がいるのは嬉しいものだ。いつかそれを超える目標が具体に見えるからだ。

 パーティ参加者から送られた赤いベストと赤いテンガロンハットには終始緊張していた。こういう場面はいたたまれないのだそうだ。

 還暦を120人参加のパーティで祝ってくれる人生というのも良いものだ。目指すべき目標は大きいな。

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原料供給基地・北海道

2005-10-07 23:34:02 | Weblog
 平取から朝一番でそのまま出勤。三日開かないと、職場のメールは約100通も届いていて、もう処理し切れません。

 こうなると、もうどれが【大事なメール】で、どれが【とりあえず送っておくメール】なのかが分かりません。こういう状態の時に限って電話が来て、「メールを送っておいたんだけど…」という、送ったメールは読まれているはずと思われていたりするのでした。

 「す、すみません、まだ読めてません…」 メール社会の弊害かも知れないなあ。
 
 さて今日は、
■北海道は原料供給基地 の1本です。

【北海道は原料供給基地】
 夜に道経連(北海道経済連合会)とわが開発局の有志の間で意見交換会と懇親会を行った。

 今までこの手の会議は道経連と開発局との間であまり行われていなかったようなのだが、開発行政と経済は余り関係がないとお互いに思いこんでいたし、また互いに別に会わなくても仕事が出来たということなのだろう。

 しかし、現在平成19年までの北海道総合開発計画の見直し作業を行うにつけても、一つの組織が自分の役割と思っていることだけを行っているようでは、連携による力が発揮できず、これからの北海道の発展性がないように思えるのである。

 そんななか、同僚の一人が道経連との意見交換会をしませんか、という話を持ちかけてきてくれたので、これは幸いとばかりにお願いをしたのである。こちらからは、いわゆる課のナンバー2である官クラスを6名ほど取りそろえて会談に臨みましたよ。

 冒頭、道経連さんの側からは、道経連内の組織としてこれまで8つあった内部委員会を5つに集約して時代の変化に弾力的に対応することとしているという説明があった。

 それによって、これまでの「食料関連産業委員会」と「国際交流委員会」と「観光産業委員会」を「北海道ブランド向上委員会」とすることにしたのだそうだ。「食」や「観光」を中心として北海道ブランドの維持・向上によって経済活性化をめざす役割を担っており、我々とも大いに関係を深めたいものである。

    *   *   *   * 

 会議の中で、北海道の原材料を使った全国各地の人気食品を集めたパンフレット「え!これって北海道なの?」が二種類紹介された。

 北海道の農産物は、原産地表示のいらない加工食品分野で日本中の特産物を支えているというお話である。

 一番有名なところでは伊勢神宮の定番お土産の赤福だろう。単品では日本で一番売れている御菓子の赤福だが、これには十勝の小豆と名寄のもち米が使われているのだ。

 十勝の小豆は別格として、もち米がなぜ名寄なのか?

 実は冷涼な気候の関係で、北海道北部で作られるもち米はついてから固まるまでに暖かい地方のものよりも余分に時間がかかるのだそうだ。内地のもち米と比べると固まるまでに一日余計にかかるのだそうで、そのことはもち米であられをつくる業者からは不評だったのだ。

 ところが固まりにくい、という特徴は裏返せば柔らかさが長持ちするということでもあって、名寄のもち米を使い始めてからはお客さんから「長く柔らかい」と評判なのだそうだ。

 しかしその事には苦労もあって、もち米にうるち米が一粒でも入ると食感が変わって不評なので、うるちを一粒も混じらせないという大変な努力があるのである。

 米には「もち米」と普通に食べる「うるち米」があるが、遺伝的にはうるち米が優先するので、もち米のめしべにうるち米の花粉がつくとたちまち出来るお米はうるち米になってしまうのだ。

 そのためもち米を栽培する田んぼでは、全てもち米を植えてうるち米の花粉が飛ばないようにしてあるのだが、遺伝という奴はやっかいで突然変異で先祖返りで穂の中にうるち米が出ることがまれにあるのだ。

 これはもう機械では除去出来ない作業で、同じような穂をにらみながらうるちになった穂を手作業で抜き穂作業をしているのだとか。

 こうして作られた100%もち米が伊勢の赤福を支えているのである。

    *   *   *   * 

 このほかにも、富山の鱒寿司のサクラマスや岩手名物盛岡冷麺の原料のじゃがいもでんぷんなども北海道産なのだ。

 北海道という島の中での食糧自給率はカロリーベースで192%は我が国ではダントツで、食糧基地の面目躍如なのだが、それにしても原材料供給基地というレッテルは、誇りのようなそうでないような複雑な心境だ。

 それは、それだけの原料があるのに、自分たちで加工食品として付加価値をつけた名物として売り出すだけの才覚がないということを同時に意味しているからだ。

 もちろん名物というのは一朝一夕にできあがるものではないし、最終消費地の地域の歴史などと密接に結びつくことで価値を高めているものだというのは承知の上である。

 品質も味も良いのだから、あとは地域の財産を掘り出してそれと上手に結びつけることで喜ばれる食品になって行くという工夫がもう少し出来ないものかと、つくづく思う。

 私の得意分野では蕎麦だって、国内消費のうちの約8割は中国など海外からの輸入で、2割ほどの国内産のうちの約4割は北海道産なのである。

 それが信州へ行って安曇野で都会人が食べて「おいしー!」と叫ぶ信州蕎麦になっているかと思うと悔しい限りである。

 「北海道ブランドを作ろう!」がスローガンではなく、実践として果たされなければ意味はないのだ。

 自らの手で北海道ブランドづくりに参加しようではありませんか。私の蕎麦打ち2段もそこへ続く長い道のりの一里塚なのですがね。

 
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沙流川とオートリゾート会議

2005-10-06 23:18:22 | Weblog
 東京から最終便で帰った翌日の今日は、オートリゾートの担当者会議で日高の平取(びらとり)へ出張。

 平取方面へはあまり行ったことがなかったので、周辺の見学もすることにした。日高地方も広いね~。

 今日は、
■沙流川総合開発を見学する
■オートリゾート担当者会議in平取 の2本です。

【沙流川総合開発を見学する】
 苫小牧から襟裳岬方面へ車を走らせ、鵡川町に入ると見える大きな川が鵡川、平取町を流れるのが沙流川である。

 ここで行われているのが沙流川総合開発事業で、洪水調節、灌漑、水道、工業用水供給などの多目的ダムの建設が進められた。

 この地域では先に下流川に二風谷ダムを建設して、さらにその上流部に流水調節のために平取ダムを建設することとされ、昭和61年に二風谷ダムの堤体建設工事が着手された。

 二風谷ダムについては、平成元年に、北海道収用委員会から用地交渉が締結されない5名の地権者に対して権利取得並びに明け渡し採決が出された。

 これに対して地権者から平成5年に、土地収用採決の違法性を訴えて北海道収用委員会を被告とする、収容裁決取り消し訴訟が起こされたのだった。
 世間では公共事業の負の側面を強調する論調が展開され注目されたのはご存じの方も多いだろう。

 二風谷ダムは平成8年には完成し試験湛水が行われていたが、裁判の判決が平成9年3月に出された。その内容は、「収用採決は『アイヌ民族の文化享有権等への価値に関する調査を怠ったままの事業認定であり』違法だが、『これを取り消すことによって公の利益に著しい障害が生じる場合には…』という行政事件訴訟法第31条の適用によって、原告の請求は棄却される」というものであった。

 そういう意味ではアイヌ文化への思いを致さないままの事業であったという点で我々も反省すべきだろう。しかし、洪水調節などの公的な意義は揺らぐものではない。

 現に平成15年8月の台風10号による大洪水の際には、二風谷ダムがその機能を立派に果たし、観測史上最大の記録的降雨量による大洪水に耐えて、下流部を被害から守ることが出来たのである。
 安全で安心出来る社会づくりという我々の使命には重いものがある。

    *   *   *   * 

 さて、そのような判決がでたこともあり、現在建設を目指している平取ダムの方では「地域文化調査業務」も行いながら、土地の記憶や歴史を大事にした事業を行おうとしている。

 ダムの予定地には祈りの対象になるような崖もあるそうだ。それらをどのような形で後世に伝えて行くのか取り組みが注目されるところである。

    *   *   *   * 

 ちなみに、沙流川の沙流(サル)は、アイヌ語のシヤル(sar)で大きな湿沢ということだとか。北海道で有名なsarは、北見の斜里とここの沙流でどちらも語源は同じ。北海道に似たような地名が多いのはアイヌ語が語源だからである。



【オートリゾート担当者会議in平取】
 わが家はオートキャンプを好んでする方で、家族も楽しんでくれているので仕事と趣味が一致した楽しい分野である。 

 私の所属する課はとにかく業務の幅が広く、オートキャンプ場による交流拡大、地域振興も担当しているのである。今日は北海道オートリゾート・ネットワーク協会というオートキャンプ場の集まりが平取温泉を会場に行われたので、今日はその道南ブロック会議に出席をした。
 
 今日参加してくれたのは、オートリゾート協会のメンバーの他に、函館オートキャンプ場、岩内リゾートパークオートキャンプ場、歌才ルピックオートキャンプ場(黒松内町)、アルテン苫小牧、オートリゾート滝野、平取町ファミリーランド、道民の森一番川オートキャンプ場の皆さんである。

 始めにオートリゾート協会の方から最近のオートキャンプ場を取り巻く動向の紹介があった。それによると日本オートキャンプ協会の発行しているオートキャンプ参加人口は、1996年の1,580万人をピークに減少の一途をたどり、昨年04年では770万人にまで下がったのだという。

 まあこれもあまり厳格な根拠に基づいて推計しているわけではないのであくまでも参考数字と言うことだが、まあ伸びてはいないということくらいは妥当のような気がする。

 それはこれまで利用を引っ張ってきた団塊の親世代がもうリタイアしてオートキャンプを一番する年代の人口は減りつつあるのだから、ある意味当然なのかも知れない。団塊世代はすごかった、という話である。

 最近の動きとしては、インターネットでの予約受付を今年から北海道でもモデル的に2カ所で行っており、すでにソフトはできあがっているので来年以降参加したいオートキャンプ場は準備をしておいてほしいということがあった。

 また「親孝行キャンプ」と呼んでいる、3世代がキャンプをする姿も増えてきたということで、家族の繋がりの一助となっているかもしれない。

    *   *   *   * 

 その後は各キャンプ場での様子や悩みを皆で意見交換するという時間にしたのだが、これを聞いていると本当に大変で、同情したくなる。

 かつて石ノ森章太郎原作の漫画を原作で、高嶋政伸が出演していた「ホテル」というドラマがあったけれど、あのホテルマンと同じようなトラブルや危機管理の連続なのである。

 まず謝る!「も~しわけございません」という姿勢が大事とはいえ、クレームに来るお客の質も実にいただけないのだそうだ。

 オートキャンプ場の場合、ホテルと違う最大の点はサイトが均一のサービスにならないという点である。「隣のサイトの方が良かった」ということがあり得るのだ。

 夏の盛りの予約で一杯の時にフロントへ来て「木の間からの景色が気に入らないから場所を変えろ」というクレームや、ペット禁止のキャンプ場ではフロントで「ここはペットは禁止ですから」と言うと「分かってる、分かってる」と言いながら車に隠して連れ込んでくる家族などなど…。

 いつかオートキャンプ場の管理人を主人公にしたドラマの脚本を書きたいくらいである。そうしたらロケ現場にも違った人気が出るかも知れない。

 主人公の恋人は不治の病で死ぬ設定にして、タイトルは「キャンプ場の中心で愛を叫ぶ」にしようかとか、いろいろと構想は練りつつあるのである。

 早くしないとネタを誰かに取られそうではあるが…。

    *   *   *   * 

 さて、実はオートキャンプ場の利用促進に関しては私なりの秘策があるのだが、それを紹介するにしては、今日はもう書きすぎたようだ。またいつか別の機会にご紹介することといたしましょう。

  
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観光マインド

2005-10-05 23:56:01 | Weblog
 東京出張の二日目。札幌にいないために、これを書くのが8日になっています。
 溜めると辛いわ~

 さて今日は、
■本省会議~国土交通省と観光 の1本です。

【本省会議~国土交通省と観光】
 本省で、我々の上部機関に当たる課から招集があり、全国の企画担当課の職員が一堂に集まっての情報伝達会議が行われた。

 我々が扱っている業務は幅が広く、当課の職員も一人一人が役割を分担しているので、参加する職員も多くなるのである。


 さて、そんな多くの課題の中でも一番時間を割いたのが観光関係の情報伝達と意見交換であった。

 実は政府として観光に関して力を入れ始めたのは、平成13年くらいからで、あまり早くからの取り組みとはとても言えない状態である。

 その後平成14年の経済財政諮問会議や政府の基本方針などを受けて、現在のビジット・ジャパン・キャンペーンなどに結実しているのだが、国土交通省の旧建設省系部隊としては、地域の発意を公共事業で応援するというようなモデル事業を細々と行ってはいるものの、国土交通省としての方針や方向性を打ち出したものはまだないのである。

 今日も、会議の最初はそのような施策の説明と、募集をかけた制度への応募状況などが説明されたが、まあそれはそれだけのことだろう。

 最後の方には9月末に記者発表を行った「観光社会資本」についての説明と今後も数が増えるようなお願いをするのでよろしく、といった説明を受けた。

 そこで私からは意見として「本省として、観光振興という社会からの要請に対してどのように臨むのか、という方針がないために、現場ではまだまだ自分たちの作っているインフラ施設に観光という魅力が加わりうるのだという気持ちが浸透していない」という問題提起をした。

「旧建設省の観光政策が、地方公共団体への関連公共事業の実施にとどまっていて良いのだろうか。我々が直轄で作り上げている施設も、本来目的ではないにせよ、観光という側面での地域振興に寄与しているのではないか。とすれば、施設のデザインやちょっとした配慮をするだけでさらにその効果を上げることも可能だと思うのです」

 実は、施設のデザインを良質なものにしようという取り組みについては、10年ほど前にシビックデザインという動きがあった。しかしこのときは、その価値や意味を真剣に考えることが出来た職員はほとんどいなかった。

 そのために現場では、困ったあげくに擁壁やトンネルの入り口に地域の特産物の絵を描いて事足れりとした事例が多く、結果として批判の声が多くなって一気にその運動がしぼんでしまったという、苦い経験があるのである。

 しかし今日、コスト縮減などという社会要請と同時に、観光振興ということも同じくらいの重みのある要請と受け止める時代になったのではなかろうか、と思うのである。

 「観光振興に貢献する施設を作る」ということはコスト縮減と何ら矛盾する概念ではない。それはデザイン一つに、ごてごてと余計なものを付け加えるのではなく、例えば橋であれば施設の構造そのものが持つ構造美を百年の歴史に堪えるものとして後世に残す仕事である。

 橋の美しさで良く引き合いに出されるのは、旭川で石狩川にかかる旭橋だが、あの旭岳連峰を背景にする、ブレストリブ・キャンチレバー・タイドアーチ橋の美しさこそが百年の歴史に堪える構造美の典型だろう。

 こういうものを作り上げた先人たちの気概を我々はどう受け止めるべきなのだろうか。観光という目的ではないにせよ、見て真に美しい、歴史のフィルターに排除されないような施設とは一体何なのかということを真剣に考えるべきなのだと思う。

 敢えて言えば、環境をその内部目的化した河川行政と同様に、観光振興を公共事業の内部目的化することは出来ないか、とさえ思うのである。

    *   *   *   * 

 そこまで伝えたけれど、本省としてはそこまでは全く考えていないようで、うーんとうなるばかり。まあ我々がモデル的に先行してみても良いかも知れないな。
 
 会議の中で、参加者から「『観光社会資本』という言葉が一般には分かりづらいのではないか」という意見が出た。

 私はすかさず反対意見として、「逆にこのことで、我々職員の側に作っている社会資本には観光という要素が含まれているのだ、という意識を新たにする意味で、大変良い単語を作ってくれたものだと思っています」と反論を述べておいた。

 無駄遣いをしようと言うのではないし、これを機会に公共事業を増やそうだとか、単価を上げようなどと言う姑息なことも考えてはいない。

 ただ、我々の仕事には地域の実に多様で多くの期待が込められているのだ、ということに気づくことが重要だ。

 私も自分で「職員の観光マインド」という単語を作り上げてよく使っているが、そのような意識が育つだろうか。

 それが北海道が観光を柱にしようということの一助になることは間違いないと思うのだけれど。

    *   *   *   * 

 昼くらいに一緒に行った職員から「小松さん、エアドゥはきょうも欠航が相次いでますよ」と脅かされて、びくびくしながら最終便の羽田へと向かう。

 なんとか今回は無事に到着しました。こういう信頼性というのはどの飛行機に乗ろうかという時の選択基準としては重要だ。

 だからといって変える気もない。がんばれエア・ドゥ!
  

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エア・ドゥと国防

2005-10-04 23:25:25 | Weblog
 今日から一泊二日で東京出張。たくさん人に会えると良いのですが。

 さて今日は、
■エアドゥのトラブル
■防衛庁のお友達 の2本です。

【エアドゥのトラブル】
 少しでも長く東京にいようと思って、朝8時発のエアドゥ12便に乗り込んだまでは良かったが、飛び立って10分ほどしたところで機長からアナウンス。

「え~、ギアの関係で車輪が格納されない状態になっております。やむを得ず新千歳空港に引き返しますので、ご了承ください」とのこと。

 ひー、少し前にアメリカで、前輪が横向きのまま着陸を試みて前輪が燃え尽きるという飛行機トラブルの映像をテレビで見たのを思い出しました。

 不安をよそに飛行機の方は無事に空港に着陸成功。とりあえずはほっと一安心。

 一安心は良いのだが、それならどうやって東京へ行くのだ?空港ビル内へ戻った時点で9時ちょうどである。とりあえずはエアドゥの登場窓口へとお客たちが並んでいる。

「お客様にはJALの振り替え便をご用意致しますのでしばらくお待ちください」というアナウンスがあって、とりあえずは安心するが、続いては「約100名のお客様は10時発のJAL便にて、またそれ以降のお客様は10時半発の便をご用意しております…」とのこと。

 なんとか列の前の方に並べたので10時の便には間に合ったのだが、午前中に人に会う約束はキャンセルになってしまった。

 並んだ列の自分の番が来て半券を渡すと、振り替え便の搭乗券とお詫び料として千円の空港ビル内で本日限り有効のお買い物券が配られた。なるほど、たちまち夜会う人へのお土産に早変わりである。

 「犬も歩けば棒に当たる」で、人生いろいろなことがあるものだ。東京へ行くときは意地でエア・ドゥを使うこととしている我が身としては、次回の整備をしっかりとお願いする限りです。

 お買い物券をいただけるようなことはないようにお願いします。

【防衛に関わるお友達】
 夜に知人を介して国防に関わるお友達を紹介してくれた。紹介してくれる知人の彼に対する評は「純粋なやんちゃぼうず」というもので、お会いするのを楽しみにしていたのである。

 お会いして二言三言言葉を交わすと、どれくらい芯のある方かということが分かるものだが、「たしかに知人の評にも一理ある」と可笑しくなった。

 お仕事は防衛関係の広報や宣伝に関わっておられるとのことだったが、今の国防の現状なども聞けて非常に興味深かった。

 今の防衛体制は北海道にしてみれば、ソ連も北朝鮮も、直接的脅威は可能性が低くなり、軍艦で戦車が攻めて来るということはまず考えられない。しかし、テロやミサイル等などは可能性があって、その備えは必要。

 しかしそれら以上に最近は、災害に対する出動が多くなり、「国を守る」対象が外国からの武力攻撃よりも自然災害のほうがウェイトが高くなっているという実態がある、という。

「確かにそれらもやりますし、阪神淡路大震災などを契機として、自然災害による非常時に対する出動がかなりやりやすくなりはしましたが、まだまだ市町村レベルの防災対策において、自衛隊との連携を図っているところは少ないですね。しかし、最後の最後で肝心なことは外国からの脅威への対処ということを忘れてはなりません」
 
 私も掛川にいたときに、地震災害などの時に自衛隊はどちらの道路から救援に駆けつけてくれることを想定するのかな、などと思ったことはあるのだが、具体的に自衛隊との深いコンタクトは取れなかった。
 まだまだ防災への意識が低かったと言うことかもしれず、反省している。

    *   *   *   * 

「しかし、装備の改善は進みつつありこれまで戦車一台に4人乗っていたものを3人にするとかいったかたちでの合理化はどんどん進めています。その結果、人員の削減に対応出来るような体制整備が進んでいます」
「あまり進められて、北海道などでも自衛隊の縮減も進められるのですか」

「師団が旅団になるといった形での再編は進められていますよ。実は真駒内もそういう形の再編があるので、雪祭りへの支援も難しくなっているのです」とのこと。

 最近では国民保護法も成立して、いざというときに自衛隊が一定の活動を保証される体制が整いつつあるが、本当のところはそれらは成文法主義の弊害とも言えると思うのである。

 全ての事柄を想定して法律化すればよいと言うものではなく、想定外の事態が起きたときには行政の範疇ではなく、政治として決断をして実施することがあるものだ、といういざというときの現実感覚を養うことの方が、我が国には大事なようにも思える。

 行政が幅をきかせすぎると阪神淡路大震災寺に救援に駆けつけた自衛隊のトラックが「駐車違反のおそれがあります」などと言われるような笑えないエピソードにつながるのだ。

    *   *   *   * 

 事柄の是非を常識に照らして判断するという常識力が低下して、なんでも法律や条令で取り締まるという社会現象が蔓延している。

 試されているのは一人一人の常識であり、世間の常識力なのに。人と人との常識が会わないときは意見を交換して納得するという関係を構築する能力が最近の日本社会ではとみに落ちているような気がする。

 常識の力をとりもどさなくては。
 
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開運の会

2005-10-03 23:51:19 | Weblog
 仲介した案件で、話がうまく進まずストレスが溜まる。うーむ。

 さて今日は、
■運輸局との懇談会 の1本です。

【運輸局との懇談会】
 夕方に運輸局の観光担当部局と意見交換会を行った。

 観光と言えば旧運輸省であり、国土交通省となった今では運輸局が担当だと考えている人は多いに違いない。

 しかしよくよく話を聞けば、組織も小さく、権限も少ない。また最近でこそヴィジットジャパン・キャンペーンで少し予算が付いたのでやりたいことがやれるようになったが、開発局に比べるととても及ばない、という感覚でいるようだ。

 また、運輸局の行う観光施策というのも、海外から観光客を招き入れるキャンペーンのための予算という側面が強く、それ以外のハード整備などに使える予算はないのである。

 ハード整備と来れば、やはり北海道開発局の独壇場である。その独壇場である来たいが高く、組織もあり予算もある開発局に、観光に対するマインドがまだまだ低いというのは実に残念なことだ。

 担当同士がこうして意見交換を頻繁にして親しくお話が出来るというのは実によいことだ。
 これからも連携で参りましょう。

 ちなみに、開発局と運輸局の懇親のための会は、双方の頭文字を取って「開運の会」と言うのです。なかなか洒落たネーミングではありますね。

 明日から一泊二日で東京出張です。明日は書き込みが出来ないかも知れませんが、ご容赦のほど。
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蕎麦打ち二段の試験in上砂川

2005-10-02 23:30:15 | Weblog
 今日は上砂川で行われた全麺協認定素人蕎麦打ちの二段の試験を受けてきました。試験は何事でも緊張するものです。おし、やるどー

 さて今日は、
■全麺協認定素人蕎麦打ちの二段の試験
■さて結果は…? の2本です。

【全麺協認定素人蕎麦打ちの二段の試験】
 全麺協は正式名称を「全国麺類文化地域間交流推進協議会」というのである。
 

 素人蕎麦打ち段位認定試験を行っているのもこの団体である。昔は北海道でも段位認定に参加する人が少なくて、年に一度幌加内の新そば祭りの時に実施されていたものだ。

 それが、次第に希望者が増大してしまい、今では幌加内では三段の段位認定試験だけを行って、その他に年に数回、北海道各所で段位認定試験を行うようになったのである。

 私もかつて幌加内で初段までは取っていたのだが、その後に掛川へ行ってしまったためにその後の昇段試験を受けられず初段止まりだったのである。

 周囲の進めもあるし、掛川に残してきた同士たちの手前もあって自分ももっと前に進まないといけないだろうということで今回改めて上砂川の大会に二段の受験申し込みをしたのである。

 妻に写真やビデオ撮影のために同行を頼んで、二人で車で上砂川へと向かう。会場は上砂川町民センター。

 事前の案内状では、8時半から受け付け開始で9時半から開会式、10時から第一組の試験…、ということだったので、余裕を持つつもりで9時少し前に会場に到着した。

 すると受付では「はい、これで全員揃いました」
 なんと私が一番ビリだったのである。しかも組み合わせを見ると、今日の受験者は全員で51人で、13人の組を4回行うことになっているという。

 さて、私は…と見ると…な、なんと1組目の最後のゼッケン番号13番!もう1組目の受験者は全員道具を自分の場所に広げて調整に余念がない。

「さすがは小松さん、余裕あるなあと言っていたんですよ」とはスタッフの知人。
ひえー、冗談じゃない。余裕を持ってきたつもりがとたんに余裕が吹っ飛んでしまった。

 おまけに焦りながら道具を広げていると、司会者が「全員揃ったようですので、開始時間を早めてすぐにでも開始したいのですがよろしいでしょうか」などと言い出す始末。(ちょっと待ってよ~)

 私は普段、各地のイベントなどで蕎麦を売って練習を兼ねているのだが、そういうところで打つ蕎麦は早く打つということについては要求度合いが高いが、受験という特殊なスタイルの練習にはほとんどならないのだ。

 受験では衛生準備や衛生措置などにも充分気を配ることが求められる。それは試験開始の笛が鳴ってから敢えてもう一度伸し板やのし棒、こね鉢などの道具を拭いたり、手を洗うのにもひじまで洗うなどといった、多少誇張した動作を要求されるのだ。

 私はそういう練習をほとんどしてきていないので、周りをきょろきょろ見回して(あ、そうそう手を洗うんだったな)などと思い出しながら真似をする始末。

 組み合わせも2組目以降だったらばもう少し余裕を持って人の動作を見て思い出せたのだが、1組目とは誤算だった。

 会場の中で会った知人からは「二段?あんただったら置いてあるものを持ってくるようなもんだべさ」と言われたけれど、おいおい、それどころではありませんよ。やはり準備が不足というのはいけないな。

    *   *   *   * 

 開会式が20分くらい早まって始まり、いよいよ試験開始。

 手を洗い、道具を拭いたけれど、周りを見るともっと丁寧にやっている。うわー。

 与えられた1kgの粉を鉢に移して水を加える「水回し」。気持ち水が多くなり柔らかめの玉となった。「のし」も柔らかい玉だとすぐによれてしまうので気をつけなくてはならない。

 ちょっと四角も端がきれいにならない。やはり緊張しているのだろう。蕎麦も作業ミスを取り返すことは出来ないから、多少の失敗があってもそのまま突っ込むしかない。

「たたんで切り始めるのは一番早かったほうだよ」とは見ていた妻の言葉。こちらは周りを見る余裕などありません。

 玉にするのに12分、伸してたたんだところで23分くらいが経過。全部で後かたづけまで含めて40分で終わらせなくてはいけないのだ。

「30分経過」の声があったところで切りも残り1/4くらい。やっと安心出来る余裕が出来たよう。

 34分経過くらいで切り終えて、あとは残りかすや粉の始末。残りかすも袋に詰めることとか、使った粉も袋に詰めることなどが指示されている。案外こういう事も手間なものだ。

 ある程度余裕を持って残り1分で「終わりました」の手を挙げる。終わった宣言をしなければ終わったとは認められないのである。

 終わってからも汗びっしょり。妻からは「一番キョドキョドしてたよ」と笑われながらの40分でありました。ふー。

    *   *   *   *   

 終わってしまえばあとは見物。全道各地からいろいろな会の人たちが参加している。室蘭、問寒別、幌加内、もちろん札幌からも参加者は多い。

「北海道人なら大抵蕎麦は打てますよ」という地域性も面白いと思うけどどうかな。

 こういうところへ来るととにかく知人に多く会うのだが「何でここにいるの?」「いや2段を…」「なにさ、まだもってなかったのかい?」と言われるのが恥ずかしくもある。

 見ていると上手な人はいるものだ。かと思うと、生地づくりに失敗している残念な人もいる。どこまでが合格なんだか。

 試験官は今回4人。全国審査員の資格を持っているのは蕎麦屋の当主が二人。あとは地元の蕎麦同好会からの地方審査員が二人。

 合計四人で審査してその平均点で合否を決めるのだそうだ。

 
【さて結果は…?】 
 閉会式で、いよいよ合格者の発表。1番、2番、3番…、と来て(これは全員合格か?)と思いきや突然番号が飛んだ。

 私の前も11番、13番と来た。とりあえず私は合格したようだ。良かった!

 最後まで発表を聴いていると、51人中で9人が不合格だったようだ。好評で審査委員長からは「2段というのは人に指導出来るという意味があるので、厳正に審査をしました」というコメントがあった。

「どうか来年も再チャレンジをして欲しいと思います。一度落ちた方ほど翌年の上達がすばらしいものです」という激励の言葉もあった。

 合格してもおごらずに行きたいものだ。

 それにしても試験は試験。緊張の連続だ。こういう緊張もたまにはよいけれど。

 さて、それではもう少しイベントで腕を磨くとしますか。さて、マズい蕎麦を食べさせられる犠牲者はだれかな。

    *   *   *   * 

 上砂川はかつての炭坑町で現在の人口は5千人弱。会場の外では地元の蕎麦打ち愛好会が蕎麦の出店を出してお蕎麦を食べさせてくれていた。

 こういうイベントももっと盛り上がればよいのに。

 ちなみに、上砂川は砂川の上流にあるためにこの地名になったのだそう。砂川はアイヌ語のオタ・ウシ・ナイ(砂の多い川)に由来するよう。オタ・ウシ・ナイはウタシナイに変化して歌志内駅の名になったのだそうですよ。

 
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