北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

激震!

2005-10-21 23:11:00 | Weblog
 天気はよいのですが雲行きが怪しい。いや空だけでなく北海道全体も、です。

 さて今日は
■雪氷冷熱と農業
■激震! の2本です。

【雪氷冷熱と農業】
 雪氷冷熱に大変熱心なHという企業がある。このHの面白いのはビジネスとして熱心と言うよりは、「とにかく雪氷冷熱を世の役に立てたい」という思いが伺えるところである。

 昨年の冬から今年にかけても札幌郊外の土地に雪山を作って、シートをかぶせてどれくらいまで融けずに持つものか、といった実験をしたりして、

 そのHが経済産業省の補助事業をもらうことになったという。その対象事業は、移動式ドームを利用して雪氷を長期保存してさまざまな冷熱を農業などの分野で利用しようというものである。

 この構想のポイントは、幅50m×延長150mの鉄骨製のオートキャンプのテントのようなドームをつくること。冬にはそのドームは貯雪場に隣接するパークゴルフ場にかぶせてパークゴルフ場を冬でも使えるようにしておき、貯雪場のほうは開放して雪をどんどん集めて貯めておくのである。

 そして春が来る頃にはドームの屋根を雪を貯めた方に移動して雪が日照や外の暖気で融けないようにして、パークゴルフ場の方は外に開放される、という構想なのだ。

 だからドームは端の方にレールがついていて、そこの上を移動するという大仕掛けである。

 ドームを覆うのは新しく開発された遮光シートで、従来はある程度の光と熱である赤外線も通してしまったのだが、最近のものは赤外線を通さずに反射してしまうという性能が著しく向上し、したがって室内の気温を上げずにすむのだという。

 非常に大きな構想だが真剣みがあって、まさにこれにかける情熱を感じるのである。

 この日は経産省補助事業としての委員会が開催されてそれに出席したのだが、周辺自治体や学識経験者などが集まって、現状の説明を受けたり意見交換をした。

 雪山を作るためだけにドームを作るのではなく、ついでに冬期にパークゴルフ場を覆うという発想が面白い。「常に、単目的に考えるな」は生涯学習の真髄の一つである。

 今年の冬の楽しみがもう一つ増えた。

    *   *   *   * 

 そしてこの冷熱をどう利用するか、という相手として農業は有望なわけで、何人かの農業研究者の方にも参加をしていただいていた。

 そこで農業生産面での雪冷熱の利用だが、まずは雪が融ける冷水を活用するという視点がある。その冷水でビニールハウス内の培地を冷やしてやれば、①収穫期を遅くする抑制栽培、②秋季生産のための夏越し、などが期待出来る。

 抑制栽培はレタスやブルーベリーなど収穫期の短い小果樹などが有望。また夏越しという事ではトルコキキョウなどの花や夏秋イチゴが有望だという。

 
    *   *   *   * 

 また別の農業者の方からは、最近の北海道農業の現実として、灯油の高騰でビニールハウスによる暖房が極めて大変な事になっているという危機感が報告された。

 いまや農業においてはビニールハウスなしでは生産は出来ないというくらいに頼られる存在なのだが、灯油などによる暖房コントロールが出来なくてはどうにもならないのである。

 おまけに農業人口は減少して一人あたり面積は増えたものの、荒廃農地が増えたり効率的管理のために化学肥料や機械化を進めるのでは外国の農業と差別化が出来ない。
 信頼は有機や無農薬といったところに集まるのに、である。

 動物性の堆肥の利用も、家畜への飼料にホルモン剤などが入れられているようならばその糞尿も安心は出来ず、結局は植物に頼るべきなのかも知れない。
 
 そういう意味で、灯油に変わる燃料材として菜種やひまわりなどの油が抽出できる植物の栽培拡大や、輪作対策の確立などが必要とされる。

 イチゴなどの付加価値の高い作物は、出荷時期を調整して他が出せない時期に出荷する事でその付加価値性がさらに増すので、そこに冷熱を上手に利用出来ないか、という視点は大事なのである。

 土を大事にしてエネルギーをかけず、そして安心で美味しいものを供給する事しか北海道農業は生きる道がないのではなかろうか。

 嫌われ者の雪の、冷たいという「徳」は、明日の北海道の救世主になるかも知れない、いやそうしなくてはならないのだ。


【激震!】
 夕方に経済財政諮問会議の議論内容が届けられて、このなかの国の業務の大胆な整理という項目で農林統計分野と食糧管理分やに続いて「北海道開発関係について、直轄事業等の縮減・分権化、民間委託の推進によるスリム化 等」という表現が盛り込まれた。

 このことは小泉政権として、北海道開発事業に大胆に切り込んでくるということを事実上意味している。また、あまたある改革の矛先の中で名指しをされてしまったという事は郵政の次のターゲットになったという事だ。

 これを激震と言わずしてどうしようか。大変な事になったものである

 職員数が多い、という極めて分かりやすい表現が用いられているが、広い管理区域と施設が膨大である事は必ずしもそれらを是認する理由にはならないという時代になったと言う事だ。

 わが組織ももっとやれることがあったはずなのに、その障壁を越えて道民に対してもっと大きな期待に応える努力が足りなかったのではあるまいか、という反省も必要だろう。

 これまでのことはそれとして、いよいよ待ったなしの自己改革が必要だろう。自分自身の中でも甘えを排除しなくてはならないし、仕事のスピードもさらに上げて行かなくてはならないだろう。

    *   *   *   * 

 激震その2は、ある計画策定に当たって、委員長就任をお願いしたかった実力者の先生にやんわりとお断りされたという情報が入ってきた事。

 上記のことと相まって、みんなが北海道から関心を失いつつあるように思えて残念な限りだ。

 北海道が、社会から貪ることなく、分限をわきまえて世に貢献出来る幸せな大地になるように何が出来るかを、これからの北海道はどうあるべきかを考えよう。

 同じショックを受けた同僚と、「どん底の誓い」をたてに飲み屋さんへ向かった。

 まったくこんなときでも、お酒を飲む理由には事欠かないものだ。うーむ…

   
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二宮翁夜話のご紹介

2005-10-20 23:31:54 | Weblog
 秋晴れの日が続いて気持ちがよいですね。

 さて今日は
■「二宮翁夜話」のご紹介 の1本です。

【「二宮翁夜話」のご紹介】
 先日(財)北海道報徳社を訪れた際に、「報徳の本で『二宮翁夜話(やわ)』はありますか」とお尋ねして、新書を上下巻の二冊入手した。

 二宮翁夜話(以下「夜話」)の原著者は福住正兄(ふくずみまさえ)。文政2(1824)年、相州片岡村(現在の神奈川県平塚市片岡)に大沢家五男として生まれ、はじめ大沢政吉、後に福住家に入って九蔵、家督を譲った後に正兄と名乗った。

 若い頃に人生の志が定まらずに、父に相談したところ「真に世の中のためになろうとするならば国を救う医者になるのがよいだろう。幸いに今、国を直す大医であらせられる二宮先生がおられるので、入門して勉強するがよい」と教えられ、著者の一生が決まったと言われる。

 振り返ると一生が決まった瞬間というときが、きっとあるものだ。

 ちょうどこの頃というのは、片岡村が天保の飢饉で疲弊した後の天保9年に、小田原出張中の二宮先生の面接指導を受け、ただちに大沢家を上げての救急仕法を講じていたころで、著者が志を立てた天保13年というのは、その仕法が花開かんとした頃なのだ。
 二宮尊徳の指導の素晴らしさが花開こうとしていたころで、正兄の父の助言も確信に満ちていたことだろう。

 最初なかなか入門は認められず、認められたのは著者22歳、先生59歳の時であった。

 当時の二宮塾には学課はなく、二宮先生が弟子にまともに何かを教えてくれるという姿ではなかった。 

 しかし「ひそかに思考するに、この塾にあっては、先師のおん行いを見てそれに習わんと心がけ、先師の御説話を承りてよく記憶する(こと)と、粗食粗衣と、朝の早起きと、夜遅く寝るとの修業なり(福翁昔物語)」と悟ってからは身をもって修業に専念したということである。

 その後(当時まだ大沢であった)著者27才の時、兄が婿入りの結婚話を持ってきて退塾の願いにやってきた。

 婿入り話は二件合って、一つは小田原の富豪、もう一つは箱根湯本の家が傾きかけていた福住家であった。著者は即座に衰運の家を選び、12月に福住家を継いだのであった。

 その際に二宮先生からは「…そなたが国へ帰って温泉宿を渡世とするならば、これを『己を恭(うやうや)しく正しく温泉宿をするのみ』と読んで、生涯忘れるでない。こうしたら利益が多かろうとか、ああしたら利得があるだろうなどと、余の流弊に流れて、本業の本理を誤ってはならない。己を恭しくするとは、自分のみの品行を慎んで、堕落しないことをいう。その上に、業務の本理を誤らず、正しく温泉宿をするのだ、正しく旅籠屋をするのだと決意して肝に銘じておくがよい…」という訓話を与えられたのであった。

 福住家を継いだ著者は自家衰運の原因をつきとめて、分度を確立する一方、正直と安値と貴賤の差別をつけない報徳式営業法をとって、勤勉に終始したため好評は一時に現れたという。

 著者は多くの著作を世に残したが、なかでも最大のものは二宮翁夜話である。

 その卓抜した内容と易しい表現がこれを読んだ多くの人の心に与えた影響は大きなものがあるのである。

 まさに現代にも通じる名著である。

 (参考:訳注 二宮翁夜話 福住正兄原著、佐々井典比古訳注 現代版報徳全書)
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「パターナリズム」と行政

2005-10-19 23:31:07 | Weblog
 今日も秋晴れの一日。気温が下がって旭川では初氷とか。そろそろウォームビズの準備が必要かも知れません。

 さて今日は、
■「パターナリズム」と行政 の1本です。

【「パターナリズム」と行政】
 知人が「面白い講演を聴いてきましたよ」と講演会のレジメをくれた。

 講演とは北海道武蔵女子短大の小林好宏先生による「都市の自立、市民の自立~個人主権と行政」というタイトルのもので、この10月17日に札幌コンベンションセンターで開催された第30回北海道都市問題会議での基調講演との事である。

 小林先生は経済学がご専門であるが、著書も多く著されていて情報発進に努められている方である。

 この講演レジメでは、地域や地方都市を巡る問題について昨今の「地方切り捨て」的な風潮に批判的な立場から論を展開されている。そのときのキーワードの一つが「パターナリズム」である。これは後述する事にしよう。

    *   *   *   * 

 小林先生の論では、まず昨今の「公共投資の地方への配分が偏りすぎている」ことへの批判がここ20年くらい前から学界でもしきりに言われ続けてきていると認めた上で、この批判的な人たちは「(中央政府から地方政府への)政府間補助が高率を阻害するもので好ましくない」と主張し続けていると言う。

 かつての国鉄民営化やNTTの分割民営化への課程の中で、これらは皆「大都市圏で黒字で地方部で赤字」という構造的な性格を持つものであったのだが、それらを組織内で配分して全体としてバランスを保っていたものである。

 このように広い空間的にサービスを展開する産業では地域間の内部補助は必ず共通に起こる問題であるはずなのだが、それが都市部からの不満に答える形で分割という形をとる改革が進行しているのである。
 
 今般の郵政民営化で話題になっている郵便事業などはまさにその典型で、日本ならばどこに住んでいようとも葉書は50円、手紙は80円というシビルミニマムなサービス形態が保証されない社会になりつつあるのだ。

    *   *   *   * 

 地域経済や都市問題に関心を持つ人たちは自分たちの町をいかに魅力的にするかという事に関心があるものだが、「経済学はさっぱり役に立たないと思われる事が多いだろう」と小林先生は言う。

 それはそのような人たちの関心の単位は「地域」であるのに対して、経済学が扱うのは「自己の利益を最大化するように行動する個人」としてのホモ・エコノミクス(経済人)だからであって、そこに自ずから違いがあるからである。

 個が全ての考えの根底にあって、地域が根底にはないのである。

 だから経済学的には、「不便な田舎にいると思うのなら便利で満足出来る都会に移住すればよいのだ」と言う事になるのである。そしてそうだとすると、重要な事は「資源としての人口移動が自由に行われる事」で、地域政策の最大の課題は人口の移動を妨げる要因があればそれを除去する事であって、人口をいかに地域にとどめるかなどという発想が出てこないのだ、ということになる。

 そこには効率性はあるが公正性に関心が向いているとは言えないだろう。

    *   *   *   * 

 経済学の大きな流れで言うと、自由主義から政府が積極的に財政に関わるというケインズ主義の流れになり、そしてある意味その行き過ぎからケインズ主義では堤体からの脱却が難しくなったのが今日だと言えよう。

 そしてその打開策として出てきたのが規制緩和、民間の自由な活動奨励、小さな政府、市場原理という流れである。

 市場原理の流れに身を任せるときには個人の自由とそのコインの裏側である個人責任原則が必要で、自己責任という言葉が流行るようになってきたのである。

 確かにもともと近代市民主義では個人主権、個人責任、自主自立が基本原理であり、我々は一人一人が自立した市民としての行動が期待される。

 しかし現実には全ての人がそういう世界には耐えられないわけで、日本の伝統的な社会慣習は【パターナリズム】であったろう、と小林先生は言うのである。

 「パターナリズム」とは現代用語の基礎知識2004によると「父親的温情主義」という訳が付いていて、小林先生は「恩情的干渉主義」という言葉を使っておられる。

 つまり、AとBの二つの選択肢があって相手がAを選びたいと思ったときに、「いや、Bを選んだ方が君のためだよ」と言って本人の意に反して望まない道を選択させるということである。

 パターナリズムはインターネットで検索をすると医療の面で良く出てくる単語であり、一般には本人の意志決定を邪魔する行為であって、「余計なお節介と余計な強制」という意味に捕らえられがちである。

 そしてパターナリズムが弊害だったからこそ自己決定の重要性が叫ばれてきたとも言えるのだ。

 そして、それを超えて、個人の選択の自由をある意味では侵す事が許容される場合はどういうときだろうか、というのがこの論点である。

    *   *   *   * 

 医療においてはインフォームドコンセントという形で情報を最大限に提供して最後は本人の意思を確認する、という行為があたりまえになっているが、そのうえで患者本人の選択よりは、医療経験豊かな立場からみてお薦めの道があるのだろう。

 また教育の面でも、未成熟な生徒の気持ちを最優先にする事は、教育経験豊かなプロの目から見て間違っていると映る事も多いだろう。その場合は生徒がやりたくない事を強制するのが教育だと言えるのである。

 これを行政に置き換えれば、選挙権を持つ大衆の歓迎する事ばかり実行し、歓迎されない事はしないというのは大衆迎合主義(=ポピュリズム)と言われるのであって、良心に従って真に重要な事を実行するに足る説得力を行政も持たなくてはならないのだ。

 逆に社会には構成する市民の「個人の好み」と「公共善」があるのだが、個人の好みがエゴに陥ることなく、そのまま公共善の方向性に合致する事が望ましい。
 それを誘導することは一般には教育だろうが、行政にもその役割はあるのであって、それがパターナリズムなのだ、と小林先生は言うのである。

「大事な事は、行政がパターナリスティックな介入をすれば、それだけ行政にとっては責任が重くなるという事であり、逆に市民の側でも自主・自立・自律を言うのであれば自己責任が重要になる、ということです」とはレジメの言葉。

 この点を曖昧にしたままのポピュリズムが危険な事は間違いないのだ。


 私自身は今日までパターナリズムという単語を違う意味で理解していたので、このレジメを読んで目からウロコが落ちる思いだった。

 まちづくりにあって「善意のお節介」という単語を私はずっと考えていたのだが、それはパターナリズムと同じ意味だったのだ。

 町内会からも善意のお節介が消えて、個人主義が台頭して行く中で様々な弊害が明らかになっているが、現代社会はそれに対してしっかりした理論で批判を出来ずにいたのではないか。

 これからはパターナリズムという理論で、個人主義の行き過ぎに警鐘を鳴らす事にしよう。

    *   *   *   * 

 もっとも、報徳的に言えば「翁が言うには聖人は『中』を好む」ということだろう。この場合の「中」とは距離的に真ん中なのではなくて、竿秤に重りをつけたときのバランスを取る位置も「中」なのである。

 どちらにも偏らず、ということを大事に思えばよいので、パターナリズムも個人主義も結局は「行き過ぎることにろくな事はない」ということなのだろう。

 すぐ熱くなって冷めやすいわが国民性に警鐘を鳴らす一言ではありますねえ。

 
  
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エゾシカ観光…?

2005-10-18 23:50:24 | Weblog
 秋晴れの一日。気温が少し低くなってきました。

 冬が本格的に来ないうちに現場の発注をすませたいものです。

 さて今日は、
■ネットの友人と会う
■エゾシカで観光を の2本です。

【ネットの友人と会う】
 知人を介して知り合ったものの一度も対面をせず、もっぱらメールを介してやりとりをしていた知人とやっとのことで会えた。

 その知人のSさんは小学校の社会の先生なのだが、総合学習で教材を探しているうちに雪の問題や道路の問題に行き当たり、我々の世界の近くまで踏み込んでこられているのである。

 いろいろとメールでやりとりをしているうちに、Sさんはかつて私の娘が通っていた小学校にお勤めだとか、当然地域に共通の知人もいるなど、親近感が増していたのです。

 先生の世界は同じ教科の先生が集まって研究会を作ったりして相互に研鑽を計る事が多いが、Sさんは私と同い年にもかかわらずこの手の研究会の重鎮で、なかなかの行動派である。

 ご自身の積極性でどんどんと世の中に飛び込んで行くうちに、先生の世界も狭いという事を感じ始められたようで、様々な外部の人との人脈を自分の先生仲間にも紹介して見識を広める活動もされておられるのだ。

 「社会という学科は学習指導要領では『社会生活についての理解を図り、我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て、国際社会に生きる民主的,平和的な国家・社会の形成者として必要な【公民的資質】の基礎を養う』とあるのですが、「公民的」という点が案外忘れられている事が多いのです」とおっしゃる。

 私のキーワードで言えば「社会から貪ることなく、社会に貢献出来る人間になろう」というだろう。また報徳で言えば「分度、推譲」で分をわきまえて、他に譲る精神を大事にするという事。

 どれも良い事を言っているのだが、実践が伴わなければ空理空論だ。

 先生も生徒も親も、全ての参加者が皆プレーヤーとして実践をする事だ。他人任せで責任も押しつける事は許されないのですな。

 S先生、今日はためになるお話をありがとうございました。またお会いいたしましょう。

     *   *   *   * 

 今日の北海道新聞の「学園ひろば」というコーナーで「父親を教育現場へ」と題して、父親を学校に関係づける様々な取り組みについて紹介がされていた。

 琴似中学校おやじの会としてこのためのインタビューを先週の金曜日に受けたので、どれくらいの書きぶりになるかと思ったけれど、案外小さくてちょっとがっかり。

 学校で生徒指導を担当してくれている伊藤先生のコメントに加えて、「(父親は)三十~五十台の働き盛りが多く、イベントの打ち合わせはメールで行うなど工夫をしている。宮西勝弘会長は『片ひじはらずに長く続け、地域の活性化につなげたい』と話す」とされている。

 しかしこのくらいのありきたりの書き方ではどこに苦労があったり、どこに工夫しているのかという深みに迫る事は出来ないだろう。

 まあ琴似中学校におやじの会があって活発に活動しているという事が紹介されただけでも、少しは関心を引くかも知れないというくらいのものかな。

 あとは我々がどれくら情報を発信し続けられるかということなのだろう。一度その意義をしっかりとまとめておく必要があるかも知れない。

 良いきっかけをいただいたと思う事にしよう。


 
【エゾシカで観光を】
 S先生との飲み会には、間を取り持ってくれた、道内を代表するシンクタンク系知識人のHさんも同席してくれて、いろいろとためになるお話を聞かせてくれた。

 Hさんは忙しい仕事に加えて関わりを持っている役職の一つがエゾシカ協会の理事という立場。

「協会員で銃刀法の免許を持っていないのは私だけなんですよ」と笑う。

 免許を持っていない事を笑っているうちはよいが、エゾシカの実態を聴けば笑ってはいられなくなった。

「エゾシカは道内の適正頭数が5万匹くらいと言われているのですが、実際には20万頭から25万頭はいると言われ、食害が自然の生態系を痛めつつあって問題が大きくなっています。エゾシカを撃って食べるということも始めていますが、法律で規制があって、適切な処理施設で処理しなければ食べられる肉にはならないのですが、道内は広いのでそこまで持って行く間に肉がだめになってしまうのです」

「なにか打開策はあるのですが」
「道庁が鹿肉の移動処理車を出してくれているのですがこの広い北海道にたった1台ではねえ…」

「肉への需要はあるのですか?」
「ドイツ人に『エゾシカがたくさんいすぎて調整が必要だ』と言ったところ、『肉を送ってくれればこちらでは人気が出ると思うよ』とのことでした。鹿肉は脂肪が少ないので健康的ですよね」

「しかし最近はハンターも高齢化して少なくなっているでしょ?」
「問題はそこです。しかしカナダなどでは趣味のための猟が確立しています。ですからこの二つを結びつければ、カナダ人を呼んできてお金を取ってエゾシカを撃たせてやって、その鹿の肉はドイツに輸出するということにすれば、一挙にいろいろな問題が解決するのになあ、と思っていろいろと画策しているのですけどね」とのこと。

 さらに「我々が食べる肉を牛ではなくエゾシカにすれば、あんなに広大な牧草地は要らないんですよ。勝手に山で草を食べるエゾシカを我々がいただくようにするだけで、自然環境への負荷が大きく減ると思うんですけどねえ

    *   *   *   * 

 私は団塊世代の先輩たちに「これから地域で貢献するための技術は、肩掛け式の草刈り機とチェーンソーを使えるようにする事です!」と言い続けてきたのだが、これからは「さらに付け加えれば、エゾシカを撃つための銃の免許です」という事にしよう。

 エゾシカ観光というのも新しい切り口になるかも知れない。勉強してみよう。
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おといねっぷ美術工芸高校

2005-10-17 23:11:07 | Weblog
 暑いんだか涼しいんだか分からないような陽気です。早歩きをすると汗ばむし、夕方は涼しい風が吹いています。

 季節の変わり目は風邪に注意しましょう。

 今日は、
■おといねっぷ美術工芸高校
■千葉ロッテマリーンズ優勝! の2本です。

【おといねっぷ美術工芸高校】
 会議で道庁を訪ねた。

 入り口のホールでなにやら催しがあって、スタッフが「どうぞ見ていってください」と誘いかけてくる。

 こういうときに無視されるのは寂しいものだと思ってしまう質なので、せっかくだから見せてもらう事にした。

 催されていたイベントは、おといねっぷ工芸高校の作品展示会だった。主に木工芸品の展示だったが、木製で2~3人乗りのカヌーやテーブル、イスなどが目を引いた。

 桜、ホウノキ、ナラ材など色の違う木を上手に使って色合いも鮮やかな作品が多く、緻密な作業の後が伺えた。

 この高校は「木材工芸を学ぶ北海道唯一の工芸科高等学校」なのだそうだ。北海道の木材を上手に使って世界に訴えかけるような作品を世に送り出し続けて欲しいものですね。


    *   *   *   * 
 
 今日は一日中、細切れの時間の中であちらこちらに説明に走っていた。こういう日もあるものだ。


【千葉ロッテマリーンズ優勝!】
 家でネットを見て真っ先に飛び込んできたのは、千葉ロッテマリーンズの優勝の記事でした。

 知人に大のロッテファンがいて、個人のブログで「今日のマリーンズ」という応援コーナーまで開設しているくらいの人なのだが、さっそく彼のブログを開いてみると、応援に感謝の言葉が一杯。

 「野球は巨人」の時代が終わって、それぞれの地方球団が地元の熱い声援を受けてファンと球団が一体となって盛り上がるという時代になったのだと思いました。

 全ての既存組織は自己改革が出来なければ、時代に埋没してしまうと言う事なのかも知れません。

 昨日の成功体験は常に明日への障害になるのだというちょっと辛い現実を見たような気がします。

 自己変革にはスピード感も大事なのだ!
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中学校の吹奏楽部定期演奏会を聴いて

2005-10-16 23:53:18 | Weblog
 遠出をしない週末は久しぶりのような気がする。まとまった時間が取れたので、家の中の宿題をやることにしますか。

 今日は、
■パソコン回りの改造に取り組む
■中学校の吹奏楽部定期演奏会 の2本です。

【パソコン回りの改造に取り組む】
 光通信にしてから長くパソコンデスクの上に鎮座していた光ケーブルの通信機材を机の脇の空いたスペースに押し込むように造作をしようと、近くのホームセンターへ行く。

 大工さんに作ってもらった木製のパソコンデスクだが、ケーブルを通すためにドリルで穴を開けたりして準備をしておいて、ホームセンターでちょっとした棚をつくるような板やら棚を支えるL字型のステイなどを購入する。

 苦闘3時間で、なんとか工作に成功して、机の上が少しすっきりした。こんなことでもやろうと思うと3千円くらいすぐにかかってしまう。

 ちゃんとしたパソコンデスクを買えばよいのだろうけれど、家に合わせて作ったものなので重宝しているのだ。少しずつ環境を改善しようとするマインドは、パソコンを自作しようという気持ちに表れる。

 少しでも良い性能のものを少しでも安く手に入れたいという自然な欲求になかなか勝てないのだ。(そう言って実は安物のバルク品を買っては、「安物買いの銭失い」になっているのだが…)

    *   *   *   * 

 ついでにヘッドホンのスピーカーの根元部が割れてぶらぶらになって使い物にならなくなっていたものを修理する。音はちゃんと聞こえるので線が切れているわけではない。

 確か4千円くらいはしたものなので、「こんなことくらいで捨ててなるものか」という意地に燃える。

 瞬間接着剤とケーブルを束ねるときに使う結束材を使って、接着させながら離れないように縛り付けて固定してみるとうまく繋がった。

 いささか不格好だが機能は充分だ。まだまだこれからも良い音で楽しませてもらいますよ。


【中学校の吹奏楽部定期演奏会】
 午後は娘の通った琴似中学校の吹奏楽部による定期演奏会を聴きに行く。

 下の娘は吹奏楽で三年間よくがんばった。定期演奏会は中学校を卒業したOBやOGが参加しても良くて、娘も時折練習に参加していて、この定期演奏会の応援をするつもりでいたのだ。

 会場となった中学校の体育館は数百人の観客を迎えて、晴れがましい舞台となった。地域に音楽のサービスをしてそれを地域の人たちが楽しみにするという関係は美しいものがある。

 しかしこの時期の定期演奏会は同時に、三年生にはこれまでの総決算でもあり、そして引退のセレモニーでもあるのだ。

 今年転勤でやってきた吹奏楽部顧問である女性のK先生は、三年生一人一人の紹介とそれぞれの思い出を語りながら後援会から送られたプチ・ブーケを一人一人に手渡して行く。

 最後に今年の部長を紹介するところではおもわず涙にむせんで声が詰まる。見ている方もお互いに信頼を寄せ合う師弟関係を羨ましく思う感動の場面である。

 最後に卒業生も含めて全員で思い出の曲を演奏して感動のうちに演奏会は終了した。なかなか楽しくて良い演奏だった。

    *   *   *   * 

「趣味はなんですか?」と訊かれて「音楽です」と答えられる人生はいいな。そして音楽をこうして楽しむことを許されている社会は本当に幸せだ。

 以前信州松本にいたときに、上田市にある戦没画学生の作品を集めた「無言館」という美術館に行った事がある。

 絵を描きたくてたまらなかったはずの多くの若い学生が、戦地に赴いて描きかけのまま遺作になってしまった作品や、(もう絵を掛けるのも最後かも知れない)と思いながら描いたであろう多くの作品の前には声が出なくなる。

 これらを見て戦争を憎むだけでなく、自分たちの社会が戦争をしなくて済むように懸命に努力をしなくてはならないのだ、ということに気づきたいものだ。

 今月初めには国勢調査があったけれど、全国でトラブルが続出したときに、マスコミはこぞって「個人情報保護の趨勢に国勢調査がもはや合わないのではないか」と論じたり、調査のトラブルをあげつらって、悩み困っている役場の姿を書き立てていた。

 我々が地域社会の中で安心安全に生活出来るのも、地域社会の信頼ネットワークの恩恵を被っているわけで、そのことに自分自身も参加して義務を果たさずに、果実だけをいただこうとする姿勢をどう思うのだろうか。

 私たち自身が社会を信頼に満ちた安心出来る社会づくりのためのプレイヤーなのであって、決してテレビの前の観客ではいられないのだ、という大きな価値を認め、覚悟する、自立した生き方を実践しなくては行けないというのに。

 そういう社会づくりのために自分が「何を譲れるのか」を考えたいものだ。

    *   *   *   * 

 ビデオのファインダー越しに、知らないところで成長している子供たちの姿を見ることができた。我々はこの幸せを何に対して感謝すればよいのだろうか。
 
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パソコン電源の交換

2005-10-15 23:21:55 | Weblog
 パソコンの具合が悪くて、ついにマイナーチェンジを決断。最近は自作の趨勢について行けてないのだが…。

 さて今日は、
■パソコン修理に取り組む の1本です。


【パソコン修理に取り組む】
 パソコンから異音がするようになったのは一ヶ月くらい前のこと。

 夜に一人で薄暗い中で画面に向かっていると「ヌォーン、ヌォーン…」と声のようなものが聞こえるので、家族も怖くなってしまった。

 どこかのファンの回転数が不安定になっているのだろうと目星をつけてパソコンケースを開けた。しばらく様子を見ていると、電源に二つついている冷却のためのファンの一つの動きが悪くなっているのが分かった。

 もうこうなると基本的には電源パーツの寿命と判断して、街中のパソコンショップへ行きより静かなファンのついた電源パーツを一週間前に購入した。

 今日やっと取り替える時間が出来たので、さっそく交換作業を始めた。

 パソコンを組み立てるというと、とんでもない事をしているようだが、最近の組み立ては好みのパーツを決められたところに据え付けて、電気のジャックをちゃんとはめ込む事が出来れば大抵は動くようになっている。

 要は日曜大工の材料が電子部品だと言うだけの事である。


 そんなふんふん気分で電源を交換して、さてスイッチを入れれば動く…はず…、あれれ、うーん、動かないぞ?

 二度三度とジャックを抜き差ししたりしてみたが、どうも動かない。

 (これは初期不良というやつか?)と思い、仕方がないので車で15分のところにある購入した店まででかけて「動かないのでチェックをお願いします」と頼み込んでみる。

 店員さんは「動きませんかー?ちょっと見てみますね」と言って、コンセントに繋いでテスターをあててみると、なんとちゃあんと動くではないか。

「うーん、お客様、一応動作する状態なので交換も出来ないのですが…」と申し訳なさそうに言うので「分かりました、もう一度挑戦してみます」と持ち帰る事にした。

「もう一度やってみて、それでもダメだったらパソコンごと持ってきてください」という優しい言葉に思わずほろっとしながら店を出る。

 こういうときの気持ちは、情けなくてまさに「ショボン」という感じだ。くっそー。

    *   *   *   * 

 改めて家に帰り、ジャックをおそるおそる繋ぎ直して見ると、なんと動くではないか!うーん、さっきの動作不良はなんだったんだろ??

 まあとにかく結果オーライで良かった(のか?ほんとにそれでいいんか?)

    *   *   *   * 

 今までは電源のファンが直径8センチ×2個だったのが、今度の電源はファンの直径が12センチ×1個と大きくなって数が少ないのだ。それだけ静音化に繋がるのである。

 実は最初に作ったパソコンは松本にいたときに作ったもので「あづさ2号」と命名した。

 次に札幌で作ったのが「北斗3号」、さらにバージョンアップしたのを「銀河4号」と名付けて今に至っている。今回のマイナー・バージョンアップを何と名付けるべきか。

 いつも(もういい加減にパソコンの自作は止めよう)と決意してショップに行くのだが、そのたびに買ってくるのは自作のキットなのだ。ううむ、次回こそメーカー品のパソコンを買う事にしよう!

 (…と言いながら、いつも残る部品がもったいなくてまた自作に走ってしまうのかなあ…)

 
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経済誌訪問と道新取材

2005-10-14 23:32:11 | Weblog
 自分の席になかなか着いていないものだから、同僚や課の皆さんにもいろいろと迷惑をかけてしまっている今日この頃です。

 席にいない時に有効なのがメールなのだが、これもまた処理しきれないというていたらく。どうしたらよいものか。

 さて今日は、
■某経済新聞社をお訪ねする
■「おやじの会」への新聞取材を受ける の1本です。


【某経済新聞社をお訪ねする】
 同僚の一人に誘われて某経済新聞社を訪ねる。

 この新聞では最近紙面で2030年の北海道像をシリーズで描いている。しかしそこに描かれているのは人口減少で現在とは様相を異にするやや暗い北海道の姿である。

 現在次期北海道の長期計画策定を進める上で大変興味を引かれる紙面なので、是非とも紙面を書いている方にお会いしてみたいと思ったのである。

 会社をお訪ねすると、担当されている編集部長さんと記者の方にお会いする事が出来た。

 訪問の趣旨を説明して「予想の姿が大変さを前面に出しているようですが…」と水を向けると、編集部長のMさんは開口一番「いろいろご批判もあるでしょうけれど、敢えてそれを覚悟して、『これから大変になるんですよ』という意味合いの強い内容にしてあります。私も各種の講演会でお話をする機会も多いのですが『北海道にはこんな素晴らしい点があります』などと持ち上げて安心させてみたところでそんなものは2時間しか持たないのですよ」と厳しい話から始まった。

「2030年には北海道の人口は今よりも100万人減るんです。甘く考える人は75万人くらいの減にとどまるとか言うけれど、その数字の幅は別にして、そういう人口減少という確実に訪れる現実を見てこれからの事を考えなくてどうするのですか。今と同じことをしていれば、今と同じ社会を維持する事はできないのですから」

 こちらからも「我々もそういう社会のトレンドを考慮した次期計画づくりをしようとしています。貴社の視点は大変参考になる視点が多いのでこれからもいろいろと情報交換の機会をいただければとおもいます」とお願いをした。

 すると「北海道の存在意義が難しくなりましたね。冷戦時代は北方からの守りという位置づけが明確でしたから、国としても多少の苦労はあるけれどとにかく支えなくては仕方がない、ということでしたからね。しかし北からの脅威が大きく減った今日、『まだ支えなくてはならない意味は何なのか』『北海道は投資してくれたら、国にどういう面でどれくらいの貢献が出来るのか』という事をアピールしなくてはならないでしょうね」

「食料と観光ということは盛んに言われ続けていて、そのことはあると思っていますが…」

「確かに。食糧安保や観光ということもあるでしょうけれど、もっと視点を大きく見てはどうですか?津軽海峡などは世界でも有数の重要な水路ではありませんか。防衛上も重要な位置づけですが、これだけ多くの貨物や船がここを通っているのに、津軽海峡沿いのあり方などはお粗末なのではないでしょうか」

 なかなかに舌鋒鋭く、ぬるま湯的な「なんとかなるでしょう」といった楽観論を戒める気持ちが伝わってきました。

 人口減少は、もう次の子供を産む世代自身の数が少ないためにそこから生まれる子供の数は自動的に減る事になっている。
 これは日本の社会として人口減少という現象はすでに「ビルトイン(組み込まれている)されている」と言うのだ。

 トータルでの自然減は確実に起こる。そしてそのショックを少しでも和らげるための備えが必要だ。

 その備えを「インフラ」という言い方で表現するならば、道路や施設のような形で受け止めるということもあるだろうし、もう一つ「制度インフラ」として受け止める事も必要なのだ。

 年金や医療保険の問題がそれだ。「痛みを伴う」という言い方を恐ろしく、おぞましく思うだけではこれからの時代に耐えられないのは火を見るより明らかなのであって、自らが変化するという形でこれを乗り切らなくてはならないのだ。

 社会や子孫から貪(むさぼ)る姿勢を改めて、自分のもつ何かを「他に譲る」という気持ちを大事にしたいものだ。

    *   *   *   * 

 この紙面の内容はいずれ本になるそうです。またそれとは別に、夜にでもさらなる情報交換をしたいところです。よろしくお願いします。 


【「おやじの会」への新聞取材を受ける】
 私は現在琴似中学校の「おやじの会」で副会長をしているのだが、会長のMさんから「小松さん、北海道新聞から取材依頼が来ているのですが同席してもらえませんか」という依頼があって、夜に中学校へ向かう。

 取材に来てくださったのは道新のOさんという割とハンサムな記者さん。学校側は教頭先生と担当のI先生、それにおやじの会からは会長と私ともう一人の副会長のKさんが対応した。

 質問の方は一般的なものが多かったけれど、「どういう活動をしていますか」、「きっかけはなんでしたか」、「参加してみてどういうことを感じますか」というような事から始まった。

 このメンバーの中では一番の古株が私なので、つい発言が多くなってしまった。しかし理論的裏付けを説明するのは多分私の役回りなのだろうと思うので、何を聞かれてもお答えが出来る。

 活動で一番特徴的なのはスポーツクラブとの親善対決だろう。これは学校の先生も非常に協力的にやってくださっているのでうまくいっているが、父親が子供たちと対決する事でお互いの力量を計る良い機会となっている。

 同じ副会長のKさんはバドミントン対決で一年生の息子さんと対決したのだそうで、「勝ち負けはどうでしたか?」という問いかけに「まだあっさり勝ちましたよ」と笑顔。

 会長のMさんは「おやじの会と対決して勝つチームならば全道大会へ行けるクラスのチームですね。そういう意味では良い試金石になっているのじゃないでしょうか」と笑う。

 父親が学校に関わるという事はいざ始めようと思うとなかなかきっかけがないものだが、こういう形ならばごく自然に学校で活動が出来るし、それで父親どうしが知り合えるというのも良い。

 活動は一部の人たちの内輪のサークルになっては行けないので、参加者はいつもガムテープに名前を書いて身体のどこかに貼り付ける事になっている。名前を明らかにして、名前で呼び合って、そして覚えるのが知り合うということの基本なのだ。

 
 記者さんは「会を始めて何年か経ってみて、子供たちや学校に変化は見られますか」ということを盛んに訊きたがった。しかし、我々の活動があったからこそ何かが変わったなどという大それた事はないのだと思っている。

 大事な事は、そういう父親が多く参加する事で地域社会の知り合いネットワークが強化されるだろうという希望だ。
 散歩していて、すれ違う人に知人が多いということは素晴らしいという事だ。

    *   *   *   * 

 学校側もおそらく最初の頃は父親の会に戦々恐々としていたことだろう。先生という人種はお母さんとは話し慣れているが父親とは話し慣れていないものなのだ。

 ましてそれが団体ともなると、ビビルのも無理はない。

 おやじの会との窓口になってくださっている担当のI先生も、「私も去年から琴似中学校へ来ましたけれど、最初に総会に出席するときは本当に緊張しましたよ。どういう会なんだろう、真面目な会だったらうまく話せるかな、と。でも一度出てみれば、和やかな会なので安心しました」と笑う。

 我々の会は「政治的に中立を保つ」ということを信条としている。だからこの会へも「○○に反対しませんか」といったような提案や誘いもあったけれど、「もしそういう活動をしたければ、この会とは別な形でやってほしい。私たちの会としてはその活動に参加しません」という姿勢を貫いてきた。
 
 そういうことが何年か続いたことで、少しずつ先生たちの信頼も勝ち得てきたのだと思うのだ。
 
 中学校でのおやじの会の活動が難しいのは、中学生の父親の時期が人生の中で一番忙しい時期に重なっているということや、中学生という多感な時期には親を疎ましく思いがちだということがあるだろう。

 しかしそれだからこそ、そのことを諦めるのではなく少しの時間を子供たちのために「譲る」気持ちが大事なのだ。

 忙しい父親たちの武器はITだ。月に一度は役員が顔を合わせる事にしているが、それ以外のやりとりはメーリングリストで情報交換が出来る世の中は素晴らしい。

 ITに詳しい親父がいるのも強みである。多種多様な異業種の友達は本当に貴重な財産だ。

    *   *   *   * 

「学校がどういうところか分かるだけでも、子供との会話のネタになりますよ」とは副会長のKさん。

 もっと会の存在を知らせる努力も必要だ。新聞記事もそう書いてくれればよいのだけれど。

 ちなみに紙面は来週火曜日の朝刊の「学園広場」という紙面だそうです。

 どういう風に書いてくださるでしょうか?ちょっと楽しみ、ちょっと不安。
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丸瀬布~遠軽~北見~女満別

2005-10-13 23:48:48 | Weblog
 今日は北見方面へ出張。まあ最近は出張が続きます。職場のメールが溜まる溜まる…。

 さて今日は、
■丸瀬布のオートキャンプ場
■北見から女満別 の1本です。


【旧丸瀬布のオートキャンプ場】
 朝7時24分札幌発の特急オホーツクはスピードが遅くて、特に旭川を過ぎてからの峠道は遅い。ゆっくりというか、のろのろというかとにかくスピードを出さない走りである。

 旭川は霧に覆われていたものの、峠を過ぎる頃には青空が広がって山の黄葉や紅葉が目に鮮やかで美しい。

 同行してくれた若手とは車両が離れたが、「あれは台湾のお客さんでしょうか、盛んに窓越しに写真を撮っていましたよ」とのこと。台湾ではこのような風景は見られないのでしょうね。

 今日のメインは北見での会議に出席する事である。せっかく北見まで行くのなら、ということで、網走開発建設部の担当者にお願いをしてオートリゾートネットワークに加盟している旧丸瀬布町のオートキャンプ場である「いこいの森オートキャンプ場」を見学させてもらう事にした。

 この列車は丸瀬布には停車をしないので手前の白滝駅に降り立つ。この駅で降り立ったのは私と部下の二人っきり。こういう仕事がなければもう降り立つ事もない駅の一つかも知れないと思うと、結構感慨深いものがある。

 白滝駅からは迎えに来てくれた車で旧丸瀬布町へと向かう。

 丸瀬布町はこの10月1日に、遠軽町・生田原町・白滝村の3町村とともに合併し、新しい遠軽町になった。丸瀬布町役場は遠軽町役場丸瀬布支所に名前を変えたばかりである。

 いこいの森オートキャンプ場ではT課長さんが迎えてくださって、キャンプ場について説明をしてくださった。

「丸瀬布町は町の面積の96%が森林で、平地は4%しかありません。その森林のうちの95%は国有林なんです。本当に山しかない町です」

 この町の産業はなんと言っても木材産業で、国道沿いにはヤマハ指定のピアノ材の工場がある。掛川にも大きなピアノ工場があったけれど、ここでは最近組み立てのかなりのところまでやってしまう事が多くなったとか。

 浜松や掛川では塗装するだけなのかも知れない。

 材料はかつては近くから切り出したのだけれど、今では適当な材もなくなりロシアなどの外国から輸入して港からこんな山奥までわざわざ運び、そこで加工しているのだという。

 港の近くに工場でも作りそうなものだが、良い音を作り出すための木材の保存状態を考えるとここが良いのだそうで、幸いに工場も移転せずにいてくれているという。ありがたいことた。

 ここのオートキャンプ場は最近特に人気が増しているのだそうで、道内のオートキャンプ場利用者数では滝野、アルテンについて第三位なのだとか。

 その大きな理由は近くに、地元の有志が活動を続けている昆虫館があって、これが子供たちに大人気なのだとか。

 また園内では森林鉄道のSL機関車「雨宮21号」が動態保存されていて、夏休みや土、日には希望者を有料で乗せて、一周約4キロほどの線路を煙を上げながら走る姿が人気なのだとか。

 このSL雨宮21号は、北海道遺産にも指定されて、往事の北海道の木材産業華やかなりし頃を思い出させてくれる。

 もっとも、このSLを動かすという事はかなり大変な事で、走らせる2時間くらい前から火を焚いて釜を暖めるなど準備にも時間がかかるのだとか。

 また部品も簡単に手に入るものではないし、壊れたからといってすぐに作れるものでもない。そろそろ壊れそうな部品については、あらかじめ札幌のJR御用達のメーカーにいちいち図面と現物の採寸をしてもらって作ってもらうのだとか。

 電気とモーターにはない、機械の持つ暖かみのようなものがあって、ほのぼのとしてくる。

 キャンプ場は近くの温泉施設と共に、経営は黒字基調で「夏休みなどは、もう木の下だろうが芝生広場だろうが受け入れるだけ受け入れて、年に数百万円は町に儲けさせていましたよ」とT課長は笑う。

 滝野やアルテンにはない、暖かみのあるオートキャンプ場である。国道333号線からは分岐してから約10キロほども川に沿って遡るが、近くをお通りの際は是非立ち寄ってあげて欲しいものだ。

    *   *   *   * 

 続いては遠軽町で昼食。遠軽の地名は厳望岩という一際目立つ大きな高台の岩がアイヌ語で「インカル・ウシ(眺める・いつもする)」という言い方から来たもの。
 実はこのインカルウシは札幌の藻岩山もインカル・ウシ・ペ(眺める・いつもする・ところ)と同じように呼ばれていたのだという。和人が間違えて、横にあるモ・イワ(小さな丘=いまの円山)の名をこちらに付けてしまったために藻岩山になってしまったのだとか。
 ずいぶんな間違いである。

 ちなみに先ほどの丸瀬布は「マウレセプ」という言葉から来ているらしいが、謂われはもう分からなくなっているらしい。惜しい事だが、謎が少しくらいあるのも良いか。

【北見から女満別へ】
 北見ではふるさと銀河線の廃止予定に伴う代替輸送問題を協議する会議に出席する。

 鉄道には地域の愛着が込められているので、簡単にバスがあるから良いだろうとも言えないのだろうけれど、採算性という壁は厚いものがある。

 沿線の住民の皆さんの交通利便の確保に努めて欲しいものである。

    *   *   *   * 

 帰りは明日も朝からいろいろと予定があるので、女満別空港から新千歳空港までの飛行機で帰る事にした。

 乗る時間が夜なのが恨めしい。明るければ素晴らしい眺めが広がっていたに違いないのに。まあそれは個人旅行のときに取っておく事にしよう。

 今日は女満別の月を楽しむだけにしたのだった。

 
 
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観光戦略会議での意見交換

2005-10-12 23:10:08 | Weblog
 この時期の北海道にしてはなんだかなま暖かい感じ。紅葉も例年より一週間くらい遅いそうです。
 
 今週末あたりが一番のお楽しみ時かもしれませんね。
 
 今日は、
■観光戦略会議に出席する
■「ビューン」 の1本です。


【観光戦略会議に出席する】
 経団連が事務局を取っている、観光戦略会議企画部会の第二回目が開催され出席する。

 今日の会議の冒頭は、日本政策投資銀行の方から話題提供的に30分ほどのショートプレゼンテーションをいただいた。

 お題は「北海道観光の現状とマーケティング」で、昨年同銀行と道庁で調査をした成果の報告である。

 これによると、これまでの北海道観光は「人気度で二位九州・沖縄に競り勝って国内最高、来道客数は過去10年間で1.3倍になり、観光消費額も5年間で16%増」と良い面ばかりを見ていたのだが、その内情には変化が見られるとの事。

 それは、夏期の入れ込みももう頭打ちになり、旅行形態が少人数化・個人化する傾向が見られ、消費単価は下落、地域間・国際間の競争がますます激化しているという風向きの変化である。

 そして現在対応が不十分な分野として、「団体旅行への依存」、「画一的な料金・サービス」、「ステレオタイプの広告宣伝」などが挙げられ、観光誘致施策の見直しの必要性に言及している。

 そのうえで今後重視すべきターゲット顧客層として、「シニア」と「アジア」を挙げている。

 そのこと自体はもう言い古されている感もあるが、ただ数が多そうだという予想は予想として、それぞれに特徴があるので、それらを踏まえた対応が必要とも分析している。

 まず「シニア」は、
 ①リピーター率が高く
 ②時間的制約がなければ滞在型の「ゆったり旅行」を希望する 
 ③定番の観光情報には不満で、具体的で提案型の情報を希望する
 ④「グルメ・自然・温泉」指向
 ⑤宿泊施設の「料理の内容」「サービス水準」に不満
なのだそうだ。

 そして「アジア」はと言えば、
 ①3~5泊程度の団体観光旅行が中心
 ②その中でも香港・台湾は個人旅行が3割と特定目的型旅行が増加
 ③北海道の温泉や警官を高く評価している
 ④宿泊施設や交通機関の外国語対応の不備に不満
と分析している。

 要はこれらの不満を解消し、希望に答える事が必要と結論づけているのであるが、そこから先は実践の積み重ねでしかないと言う事だろう。

 プレゼンテーションの後に私から「『サービスに不満』というときのサービスとはどういうことを言っているのか?」と質問をしてみたところ、答えは「値頃感でしょうね。『これくらいお金を払えばこれくらいはしてくれるはずだ』という期待感と実際との間に、目の肥えた内地のお客さんから見れば差があるということでしょう」という答えが返ってきた。なるほどね。

    *   *   *   * 

 意見交換の中では旅行雑誌編集長のHさんから「シニア層は数が多いので確かにおいしそうなのですが、大量に捕らえる共通の指向が見つからずに苦労している。4年前からまさにそこをねらった『大人の良い旅』という雑誌を発行しているのだが、上手くこの世代の心に届いていなくて難しいのです。必ずしも高付加価値を喜ぶかというとそうでもなくて、安宿で良いという人も多いのです」という発言があった。

 団塊の世代は、ある意味では自分勝手で「群れない」、「他の奴とは違うんだ」ということを良しとする風潮が強いのかも知れない。こういうことは、「受け皿はこれで行こう」と何らかの意志決定をする供給側にとっては大変難しい相手だということだ。
 覚悟してかからなくてはならない。

 阿寒の観光カリスマOさんからはアジアの人たちからの「値段をもっと下げて欲しい」という分析結果に対して「これはアジアの安いマーケットにしかアプローチしていないのではないか」という問いかけがあった。

 「インバウンド(=外国人観光客)宿泊費は落ちるところまで落ちています。一人4千円などということでは、質の改善は無理なのです。もっと高い所得層へのアプローチが必要なのではないかと思っています」とも。

 チャーター便で客を呼ぼうと思えば、来てくれる飛行機を空で返すのはあほらしいので、それに乗ってくれる客を呼び込もうと安売り・ダンピングを繰り返し、必然的に各方面への料金的しわ寄せが行くという構図になっているのだ。

 この悪循環をどこかで好転させなくてはならないのだが、どういう事が考えられるのだろうか。うーん…。

    *   *   *   * 

 JTBのKさんからは「シニアも良いけれど、その層は早晩先細りする相手でしょう。これからのリピーターになりうる長期的ターゲットとしては、学生、つまり修学旅行にも可能性を見出しています。また広告で呼び込もうと思うと、そういうメディアに反応してくれるのは8割が女性であるということも事実です。『シニアの中でも女性』という視点があるとなお良いと思う」という指摘があった。

 委員長のFさんからは「シニア層にこだわるのは、とりあえず北海道の観光の質を向上させる最後のチャンスになるターゲットだと思うからです。しかしよく考えると、道内観光を支えているのはやはり道内の客なのであって、道内の観光客に安定的に指示されているところが初めてインバウンドにも目を向けた戦略を打つ事が出来る、ということでしょう。それこそがサクセスモデルなのです」という感想。
 安定的な経営があってこその冒険なのだろう。

    *   *   *   * 

 再びOさんから「成功モデルを見つけるのは難しいのですが、絶対に嫌われるパターンはあります。旗に連れられて団体バス…というのはもう絶対にダメでしょうね。阿寒湖のまりも観光船もピークの年間71万人に対して今は年間20万人ですが、『一度見たから良いや』というものになってしまっています。なにか変化が必要でしょう」

「そして外国人が一番興味を持っているものは、なんとアイヌ文化だと言うんです」

 10月1日のパネルディスカッションの光明節を思い出したのと、北海道に住んでいるからにはやはり地名にしてもユーカラの物語にしても、アイヌ文化への深い理解が必要なのだと思うのだった。

 自分の人生の中でも、これだけ連続してアイヌ文化の触れる機会が増えてくると、なにか縁があると思わざるを得ないなあ。

 NHKブックスの「知里真志保の生涯」という本はまだ売っているのかなあ。また購入して読み直したいと思い始めていますよ。


 私からは「シーニックバイウェイで活動してくださっている代表の方は、地域の情報提供のために、自分の携帯電話の番号を公開してくれています。いつでも俺が情報提供しますよ、という覚悟の表れなのですが、これくらいの情熱を傾けてくださる人材を多く見つけたいものです。シニアの観光需要の受け皿となるべき人材は、やはり地域のシニア層から発掘する事の可能性を考えたいと思います」と述べた。

 また同時に、「先日平取の二風谷で萱野さんのアイヌ文化資料館をみせてもらいましたが、映像資料で熊送りのイヨマンテのビデオを見ていたら、後ろの家族連れは『残酷だわー』と言って途中でいなくなってしまいました。やはりアイヌ文化にせよ自然情報にせよ、適切にガイドが出来るインタープリターの必要性を痛感しました」とも述べました。

 再びOさんからも阿寒の事例紹介を含めた賛意が示されました。あとは実践です。やればよい事は分かってきたのですから。 

 いよいよ観光振興の議論が盛んになってきました。わが組織はどこまでこれに対する貢献や期待に応えられるのでしょうか。

 そしてその具体的な方法は?

 もう少し知恵と行動力を出さないとダメかなあ。


 
【「ビューン」】

 どうでもよいのだが、知人から「ビューン」という面白いソフトがあって、空中散歩が楽しめますよ、という情報を得た。

 画面上からソフトをインストールしないといけないのだが、札幌の空中散歩が楽しめて楽しいものだ。

 下記サイトでは住宅情報を提供するという切り口で空中散歩を楽しむのだが、地域紹介や広い施設の紹介などもっと活用の幅が広がるかも知れない。

 シーニックでも使えないかな。

 http://viewoon.jp/sapporo/freeflight/index.html

 興味ある方はお試しあれ。

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