北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

しりべしiネットシンポジウムin小樽

2006-02-18 23:55:01 | Weblog
 今日はうちの奥さんと小樽へ出かけてきました。運河通り沿いなどで開催されている「雪あかりの路」は明日の日曜日まです。なかなか素敵でしたよ。
 
 今日は
■しりべしiネットシンポジウムを聞く
■小樽雪あかりの路を楽しむ の2本 です。

【しりべしiネットシンポジウムを聞く】
 小樽へ行ってまず訪れたのは運河沿いの小樽運河プラザ3番倉庫で開催されていた「しりべしiネットシンポジウム」です。

 「しりべしiシステム」とは、ニセコや小樽のある北海道後志(しりべし)地域で、観光客の方達に観光情報の提供や各種情報提供などを行っているものです。

 そしてそれを支えているのは開発局や道庁、市町村などの行政と地域のボランティアの皆さんとのネットワーク連携です。

 後志地域は小樽、ニセコ、羊蹄山などのある北海道有数の観光地域ですが、ここの20市町村が連携して地域としての情報提供と人的ネットワークの連携を進めようという動きは立派なものです。

 この会の会長は観光カリスマでもある小樽の蕎麦屋「藪半」の小川原さん。「社長、蕎麦打っていなくて良いのですか?」と思わず突っ込みたくなるほど、まちづくりに取り組んで下っていますが、運動や事は、こういう熱心な人たちに支えられているんですね。最後は人間の力なのです。

    *   *   *   * 

 さて、今日はその「しりべしiシステム」の主催するシンポジウムが小樽で行われているのですが、シンポジウムの基調講演に熊本県小国町の宮崎町長さんがこられるというので挨拶も兼ねてお話を聴きに来たのでした。

 実は私が掛川にいたときに、榛村市長とこの宮崎町長のおかげで国から調査をいただく事が出来たのでした。

 この二人はまちづくりの姿勢にお互い共感するものを持っていて、私も掛川在任中に一泊二日という非常に慌ただしい旅でしたが熊本県と小国町をお訪ねした事がありました。

 そのときは宮崎町長さんが不在でお会いする事が出来なくて残念だったのですが、逆に北海道でお会い出来るとは思いませんでした。

 宮崎町長さんの基調講演は「元気なまち 小国町に学ぶ」というもので、これまで6期23年にわたってリードしてきた小国のまちづくりをご紹介していただいたのでした。

 宮崎町長さんの考えは「まちづくりとは住んでいる人が幸せかどうかを考えるもので、そのときに最後に大事になってくるのは製造業であり生産業であり、それらが意識されて守られるかどうか」ということでした。

 そこでまず地場の特産である小国杉を建築材としての広がりを求めて木造トラスによる小国ドームを計画し、県を超えて国の建築担当者と渡り合って「熊本に小国町あり」という名を広めたのでした。

「常識なんて破ってみたら新しい常識が生まれるものなのですが、役人や世間はそれを面倒がったり不安がったりするんですね。そんなときにまあ前向きにいこうという『とっぱす』という小国人気質が生きたかなあ、と思いますけど」と町長は笑います。

「地元の特産品売り場を木造で作ったところ、そこに入ってくれていた豆腐が美味しいと評判になって、独立したお店を構えるようになってくれました。また馬屋を改造したレストランが開業したりもしました。その人に気持ちを尋ねたら『まちづくりに背中を押された気持ちで決心しました』と言ってくれました。行政はお膳立てまではできますがそこまでしかできません。最後には民間の人たちが動いてくれないとだめなのです。しかしそこまで持って行くには一つ一つまちづくりの資産を積み上げて行かないとダメなのです」

 そうした宮崎町長さんが今日中心的に取り組んでいるのが「九州ツーリズム大学」です。交流をしなくては様々なものが伝わらないということで始めたそうですが、選挙の時には「町の外の人を大事にして町民を大事にしない町長だ」と批判もされたと笑っておられました。

「それでも修学旅行を民泊で受け入れたときに町民の女性から『良かった。町長の言っていたツーリズムっていうのはこういうことだったのかい』と言われましたよ」と思いが浸透してきていることを感じているようです。

 熊本県が阿蘇地域の振興のためになにか施設を作る、という話が持ち上がったときには「そんな施設を作ってもどうせ地元が管理しなくちゃならなくなるだけだから、その分のお金を使ってシンクタンクを作って地域振興をしよう」と言って、旧阿蘇郡12ヶ町村と県が15億円ずつ合計30億円を出し合って阿蘇振興デザインセンターという財団を作り、今ではその運用益で事業を行っているのだそうです。

 シンクタンクというと考えて報告書を作るだけと思われがちですが、この財団ではシンク(考える)だけではなくてドゥ(実行する)タンクとしても活動しているとのことで、各種団体、個人、組織との連携の中でさまざまな阿蘇地域振興策を展開しているそうです。

 こういうお金の出し方はお金の生きた使い方になると思います。小さな町でもしっかりした理念を持った町作りを行えば、分かる人には分かるものです。

    *   *   *   * 

 ご講演の後に榛村さんの下にいたと挨拶をさせていただきました。これからもますますのご活躍をお祈りしています。



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小樽「雪あかりの路」を楽しむ

2006-02-18 23:22:54 | Weblog
 本日の第二弾は小樽雪あかりの路です 

 今回は
【小樽ゆきあかりの路】
 「小樽雪あかりの路」は今年が第8回ということで、小樽の冬を代表するイベントになりつつあるようです。

 隣町の札幌にいながら案外「見た事がない」という事が多いものですから、今回はうちの奥さんも誘って小樽のお寿司を食べながらという観光巡りを決め込みました。

 しりべしiネットのシンポジウム会場を後にして、お寿司は市内の魚真(うおまさ)さんへ行きました。事前の情報で「予約しないと夕方はとっても入れませんよ」と脅かされていたので一週間も前から席の予約を入れて行きました。

 夕方5時に到着してカウンターに座っていると、なるほど次から次と予約のお客さんが来ますし、予約をせずに来られて残念がりながらあきらめるお客さんも結構いました。やはり人気のお店なのですね。

 料理の方もなるほど値段の割には美味しくてボリュームたっぷりです。お寿司も美味しくて最高。やはり評判通りで大満足でした。

    *   *   *   * 

 魚真で体を温めた後は雪あかりの路を見て回りました。まず旧国鉄手宮線の線路跡地は灯りの園路になっていました。雪の灯りとは雪の壁に穴を掘ってそこにろうそくを置く単純なものから、バケツで雪の固まりを作って中心部を抜いた雪の行灯のなかにろうそくをおくもの、さらには雪で造形を作って幻想的な姿を見せる芸術的なものまで多彩です。

 バケツを使った雪の行灯は雪のものや氷のものがあるように見えて、スタッフの方に訊いてみたところ、「これはもともと雪で作ったものだけなのですが、何日も使っているうちにろうそくの熱で溶けた部分が凍ってだんだん透明になってゆくんです」とのこと。

 風に揺らぐろうそくのオレンジの灯りの圧倒的な数々を見ると、観光地小樽がさらにグレードアップしているようです。

 続いての運河会場では運河通り沿いの雪壁も利用していましたが、運河上にガラスで出来た浮き球灯りが浮かべられていてこれもまた幻想的。

 スタッフの方から「火をつけてみませんか」と誘われて、壁に横穴を明けてろうそくを一個灯してみました。「最初は横穴でも、上がだんだん融けて上に大きく開いてくるんですよ」とのこと。

 市内全体で取り組んでいて、実行委員会のスタッフの皆さんもとっても気さくで親切でした。おもてなしの雰囲気が染み渡っているようですばらしいかったです。

 雪を楽しもうと思えばいろいろな発想があるのですね。やっぱり来て良かった。
 小樽は私の家からなら高速バスに乗れば良くて、家を出てから小樽駅までは1時間もかかりませんでした。もっと身近に楽しむ事にしましょう。

 身近で知らないところが多いというのは残念です。地域の資源をもっと楽しまなくてはね。
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ガーデンアイランド北海道トークセッション開かれる

2006-02-17 23:34:39 | Weblog
 昨日とはうってかわって冷え込んでいます。夕べは風が強くて吹きだまるように10センチほどの雪が降りました。
 まだまだ春は遠いです。
 
 今日は
■ガーデンアイランド北海道トークセッション です。

【ガーデンアイランド北海道トークセッション】
 今日は午後に、ガーデンアイランド北海道(GIH)のトークセッションを市内のホテルで開催しました。

 今回の特別講演は昨日からお越しいただいている川勝平太先生です。

 実は昨夜からのハプニングで、本来出演をお願いしていた釧路市の女性が急遽ご都合が悪くなってしまいました。そこで代役としてGIH運動の賛同者であり、月形町でコテージガーデンという会社で園芸店と園芸デザインを行っている梅木あゆみさんにパネリストとしての出演をお願いしました。

 ご本人は、お願いが突然であることと外国から帰ってきたばかりという体調を理由に最初は消極的だったのですが、前夜の会合の席からまだ会ってもいない川勝先生からも電話で「お願いします」という要請をしていただいて、出演を快諾していただいたのでした。

    *   *   *   * 

 さて午後2時からセッション開始です。事前の申し込みは約300名もあって用意した席は満席に近い状態でした。これは川勝先生のお名前と関係者の声掛けの努力もあってのことでしょう。

 基調講演での川勝先生は語り口も上品なうえに、悠久の昔から現代という時間軸、そして洋の東西から南北に長い日本まで地理学上の幅も広いお話をしていただきました。

「私たちの国際日本文化研究センターは1987年に設立されました。『一体何をしているのか』ということがあまり知られていなくて、『日本文化センターならよく知っている、通信販売でしょ』と言われるのですが…」で会場は笑いに包まれてつかみはOK。

「しかしこの1987年に意味があるのです。実はその2年前の1985年という年がシンボリックな年だったのです。この年にプラザ合意という円の切り上げ合意が行われました。そしてこれが、先の敗戦でどん底に落ちてそこから経済で国を立て直すんだ、と決めた日本という国がまさにその経済で世界にキャッチアップしたということだったのです」

「それまで日本は、世界の中に日本という国を学びたいという人たちがいるということや『学ばれる日本』ということに気付いていなかったのです。今や日本は年間10万人もの留学生を受け入れる国になり、世界に対して国の有り様を示さなくてはならない立場になったということなのです」

 日本は人口1億2千万人、経済ではアメリカに次いで第2位という世界の中での立場の大きさや重要性、発言力を自覚しようと言うことなのでしょう。

 そう言えば川勝先生は故小渕首相主宰「21世紀日本の構想」懇談会の中心メンバーで、そのときに日本を美しい庭園の島々と捉えよう、という「ガーデンアイランズ構想」を提唱されたのだった。

「1992年6月にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで『環境と開発に関する国際連合会議』いわゆる地球サミットが開かれました。このときには当時の確か178ヶ国中172の国が参加をしましたが時の宮沢総理はあまり関心を示さずに、出席をしませんでした。このときに示されたのが『アジェンダ21』つまり地球サミットで採択された『持続可能な発展のための人類の行動計画』でした。このときから温暖化防止ための気候変動枠組条約、生物多様性条約への署名が始まったのです。日本はあまりその事を重要視していませんでした」

「しかし日本もその反省に立って、世界遺産条約が出来たときにはいち早く加盟をして、はじめに白神山地、屋久島、法隆寺、姫路城を登録しました。世界遺産にはじつは三つの種類があるんです。自然遺産、文化遺産、そしてその両方の価値をあわせ持つ複合遺産の三つです」

「その後さらに白川郷合掌造りや広島原爆ドームなどを追加して、2000年には沖縄の城(ぐすく)群と紀伊山地が世界遺産登録されました。皆さんが案外ご存じないのは紀伊山地が自然遺産ではなく、文化遺産だという事です。なぜでしょう?」

「実は日本には自然遺産を申請する二大団体があります。環境省と文科省です。つまり紀伊山地は環境省が文科省に負けたというようなことなのです。日本にはまだ複合遺産がありません。屋久島などは小さな島に実に多様な生物が垂直分布しているということがありますが、それを自然遺産として捉えて良いのかと思います。あの島に住んでいる人たちは生物には暮らしやすい、裏返せば人間には暮らしづらいところで生活をしているのですが、それはあの島の中で多くの生き物と共生している生き方があるということなのに」

「だから私は北海道も、知床の小さなエリアで自然遺産を貴重とだけ思うのではなく、北海道という島全体が自然環境ももちそこに開拓の歴史をもちながらそこに暮らす人たちの生き方として世界複合遺産にしようというくらいの意気込みがあって良いのです。私はこのGIHにはそれくらいのキックオフになって欲しいと思います」

「なぜ北海道なのか?歴史は中心から辺境へ外へと向かって発展してきています。日本も西から始まって東へ東へという歴史です。逆に西洋はローマ時代から西へ西へと進んできました。西への圧力はアメリカ大陸の発見となり、アメリカでもゴールドラッシュで西へ西へと向かいました。そういう文化は明治期に北海道開拓に多くの外国人を受け入れたことにたどりついています。これは本当に遠い未来の事かも知れませんが、西洋と東洋の出会いの場だったと言われるような北海道をめざしてください」

 本当はもっと多くの事をユーモアあふれる口調で縦横に語ってくださったのですが、まとめるとこんな具合でした。

 会場もなんだか先生に応援されて気持ちが高揚してきたようです。これからも川勝先生には理論的指導者をお願いしました。各方面でのご紹介も会わせてよろしくお願いします。

    *   *   *   * 

 さて、後半は林美香子さんの司会による、さきほどの梅木さん、恵庭の中島市長、そして私という3人によるパネルディスカッションでした。タイトルは「ガーデンアイランド北海道をどう実現するか」です。

 国の立場である私としては国が直接このような民間運動を支援する事は出来ないけれど、自治体とも連携し、さらにはその自治体同士が連携をする事で国のさまざまな支援制度を活用して欲しいというお願いをしました。

 また最後の個人的な印象としては、ガーデンアイランドと言いますが、参加していただく対象は決して庭だとか花だとか植物にこだわるべきではないということをお話ししました。

 それらにこだわる事は、関心の対象を特定の分野の人たちに限定してしまう事になり、道民運動としての広がりに欠けることになるでしょう。ですから、「え?それも花なの?それもガーデンアイランドに関係して良いの?」と思われるようなことも認められるようなフトコロの広い運動にするべきだと思うのです。
 
 広い対象としては、例えば「食」、「ファッション」、「旅」、「文学」、「文化、芸術」などもあるでしょう。目を閉じてもそこに花の世界が広がるような大きな活動にして行きたいものです。

    *   *   *   * 

 パネルディスカッション後の懇親会では、この関係でまた多くの人たちにお会い出来ました。これがまた良かった。

 華道の先生たちともお話が出来て「最後におっしゃった『文化も一緒で良いのです』というお話でこの運動が理解出来ました。来て良かった」と言っていただけました。

 こういう繋がりで運動が広がればよいですね。自治体では鹿追町と清里町さんが参加の意志を示してくださっています。自治体の運動に火がつくよう頑張りましょう。

 裏方を勤めてくださった関係者の皆さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。
 
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川勝平太先生とお会いする

2006-02-16 23:15:46 | Weblog
 比較的穏やかで雪の降らない日が続く今日この頃です。油断出来ないのはこれからです。


 今日は
■ガーデンアイランド北海道セッションの準備 です。

【ガーデンアイランド北海道セッションの準備】
 いよいよ明日の午後はガーデンアイランド北海道のトークセッションが行われます。

 講師には川勝平太先生をお迎えして、ガーデンアイランド構想についてお話をしていただく事になっています。

 そこで今夜は川勝先生をお迎えして、明日の担当者が集まって簡単な会食と打ち合わせです。飛行機の関係で夜八時過ぎの札幌到着となり少し遅めの打ち合わせになりました。

 川勝先生にお会いするのは初めてですが、こちらはいろいろな本で拝見しているので初めての感じはしません。一方的な知り合い関係なのです。

 川勝先生には2年ほど前に掛川にもお越しいただいて講演をしていただいたことがありました。そのことをお話しすると「ええ、榛村さんのときですよね」とあっさりと榛村市長の名前が出てきました。

「榛村さんとはどういう関係でお知り合いになられたのですか?」と訊くと
「榛村さんは早稲田なんですよね。文学部の文学青年ですけど、要は先輩なんですよ」

「あ、そういうことですか。では地方都市をたまに観察にいらっしゃい、くらいのことを言われたのではありませんか」
「はは、まあそんなところですね。でも榛村さんを思い出すと、文学青年らしい教養ができていましたよね。行政とか政治も大事だけれどそのベースには読書や教養が大事だと思うんですよ」とのこと。

 そこで打ち合わせの最中に榛村さんのお宅に電話をして、「今晩は、今川勝先生とご一緒しています」と報告した。川勝先生も少し榛村さんとお話をしていただいたのですが、ご迷惑ではなかったかな。

 榛村さんは相変わらず元気でしたが、「明日国鉄の高木元総裁のお通夜で東京へ行くんですよ。ちょっと前に虫が知らせたのか、会いに行ったのだけど、そのときは元気だったのだけどね。その後に急に亡くなられてしまったよ」とちょっと寂しそうでした。

    *   *   *   * 

 川勝先生はご自宅を軽井沢に構えておられて、そこから京都の研究所まで通われる生活なのだそうです。
「距離にすると650キロありますよ。遠いけれど、もう東京に住むという事から離れないといけないという事を実践していますよ。遠いからと行ってアパートを借りたりすると、家は別荘に成り下がってしまいますからね。遠いけれど家が一番落ち着きますよ」と笑われます。

 さて、明日のセッションは川勝先生のおかげで事前申し込みが約300人ほどになりました。

 物腰が柔らかくてハンサム、おまけにお話も面白いと来ていますので、明日は期待充分です。

 これから北海道を花の島にしようと言う道民運動を地に足のついたものにしてゆくスタートにしたいものですね。

 
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黄色いナタネが北海道を救う?

2006-02-15 23:32:21 | Weblog
 今日も日中は随分暖かかったのですが、夜になって冷え込んできました。道路はカッチカチに凍っているのと、昼間ゆるんだ道路の雪が車の通行でぐさぐさになって歩きづらくなっています。

 まだまだ気は許せません。

 今日は
■ナタネでバイオ です。

【ナタネでバイオ】
 昨夜は夜1時まで起きて、女子スピードスケートのテレビ放送を見ていたのですが、岡崎選手が一回目で三位に食い込んだために、とうとう3時まで起きて二回目を見てしまいました。

 100分の5秒差での4位とはいかにも惜しいのですが、今回のオリンピックでの日本勢はその一歩が足りないという呪縛にかかっているかのようです。

 誰かそんな気持ちを吹き飛ばしてくれるラッキーボーイかラッキーガールになってくれないものでしょうか。

    *   *   *   * 

 さて、今日は「ナタネで地域興しをしたいのですが」というお客さんが訪ねてきてくださった。

 お話はまずナタネの効用から始まった。
「ナタネはまず黄色い花が咲いてきれいですので、公園などはたくさん植える事で観光の名所になり得るでしょう。」
「そうですね。たくさん植えれば植えるほど名所になりやすいでしょうね」

「それからナタネは油が取れますのでこれを利用する事が出来ます」
「最近流行のバイオディーゼルの燃料でしょうか」

「それも可能なのですが、そのまま燃料にしてしまうのでは採算が悪いのともったいないと思います。まずは食用で使えますから、人間が食べたり天ぷら油として利活用するのがよいと思います。そして使った後の廃油は処理をすることでディーゼルエンジンの燃料にすればよいのです」
「なるほど、それなら採算が合うのでしょうか?」

「そこだけの利用ならまだダメでしょうね。実はナタネは油を取った後の絞りかすが有効利用出来ます。これは良質の蛋白を含んだ飼料として畜産農家に売る事が出来ます。BSE問題で肉骨粉を与える事は問題になりましたが、こちらは安心な蛋白資料ですからそれなりに売れるんです」
「それは知りませんでした。他に利用の手だてはあるのですか?」

「実はナタネの花からは蜂蜜が取れますので、養蜂家と組めばそれもまた有効利用に繋がると思っています。蜂蜜は中国産だと1リットル2百円くらいなのですが韓国産だと1リットル2千円くらいで輸入しているんです。」
「へえ、いろいろなことがあるんですね。でもナタネを植える事でなにか問題はないのですか?」

「実は、普通の畑に植えると結構回りに散らばるので隣接する畑の雑草の元になったりしていやがられる面があるのです。だから自分だけの事ならばナタネはどこか周辺に影響を与えないような場所に植える方が良いのです。それと、畑作物はどうしても連作障害が出ますので、どのような品目で輪作をするかと言う事が大事になってきます。北海道であれば、ビート、ジャガイモ、たまねぎ、小麦などが一般的ですが、この一角にナタネを入れて、緑肥としての助成金が出るとなお良いのですが」
「ナタネは良い肥料になりそうですね」

「ナタネというのはアブラナ科で、これは大根の仲間ですから根が50~60センチも土の中にはいるので土を深いところで耕すのにも効果があるんです」
「良い事づくめのようですが、採算面はどうなのですか?」

「そうですね、採算が合うという事になると面積としては300ヘクタールくらいが標準だと思います」
「300ヘクタールとはまた広いですね」

「それだけでの採算ならば、ということですね。でもまずは小規模に実験的に始めてみて、例えば公園の管理費を安くするというようなことができないか、と思っているんです」


 こういうお話を聞くと、私などは良い話だと思って協力してあげたくなってしまうのですが、組織としての対応となると手順を踏む事も大事でしょう。

 しかしこのような新エネルギーで地域振興をしたいと思うよう活動の芽こそが活力ある地域作りに繋がりそうな予感がするのです。

 北海道の畑地に黄色いナタネの花が咲き乱れて、観光地にもなりつつバイオエネルギーとして活用もされるという光景は魅力的に思えます。消極的に構えるよりも積極的な姿勢があってもよさそうにも思います。

 未来の北海道を魅力づける絵になる花のシーンの一つになるかも知れませんよ。

 
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オリンピックで国のスピリットとは何かを思う

2006-02-14 23:21:57 | Weblog
 今日も朝から暖気が入って昨日よりも更に暖かい一日。夜には小雨もちらつく天気。明日の朝は寒気が入りそうで怖いよう。
 
 今日は
■国のスピリットなるもの です。

【国のスピリットなるもの】
 トリノオリンピックも4日目を過ぎましたが、今回日本勢はどうも振るわないようです。

 事前に楽観的な見方で盛り上げすぎたという声もそろそろ聴かれ始めましたが、実際蓋を開けてみると外国勢の好調さというよりも高いレベルの技術や実力がいかんなく発揮されているという印象です。

 男女のスノーボード・ハーフパイプでは若さに期待したのですが、逆にプレッシャーからか実力を発揮しきれなかったようです。

 スピードスケート500メートル男子でも、考えられる最強の布陣で挑んだにもかかわらず、及川選手の4位が最高とは期待が高かっただけに残念でした。

 ジャンプの原田選手の体重不足による失格劇は、プロたる者にしては余りにもお粗末な顛末で、これがジャンプ陣だけでなくチーム全体に悪い影響を与えていないように祈るのみです。

 残りの種目での奮起をお願いしたいところです。

    ※    ※    ※    ※

 読み続けて面白さが止まらない塩野七生さんの「ローマ人の物語」はただいま11巻の中盤を過ぎて、紀元1~2世紀のローマ帝国がもっとも幸せだった五賢帝時代最後のマルクス・アウレリウス・アントニヌスが最後を迎えるシーンになりました。

 ここからさきはいよいよローマ帝国にとって滅亡への道をトレースすることになります。読むのが辛くなりそうです。

 ローマ人の物語を通読していて著者の塩野さんが手放しで評価するのはローマ人という人達の民族受け入れに対する心の広さです。

 ローマ帝国の歴史は、食と安全の確保の歴史であって、そのための必然から防衛ラインの拡大があって、帝国の拡大と共にパクス・ロマーナと呼ばれる「ローマ帝国による平和」が実現したというわけです。

 ローマが防衛ラインを拡大するにあたって取った政策は、多神教のローマ人らしい現実的なもので、それはローマ的なものを受け入れる限り、宗教、風習、自治などをほぼ無条件に認めるというものであったのです。

 それまで数多くの部族が乱立しては抗争を繰り返す状態であった西ヨーロッパを征服したローマは、被征服者が固まって住む集落とその周辺を「地方自治体(ムニチピア)」と認め、その内部ならば自治権を与えました。

 部族長とその親族には、世襲権でもあるローマ市民権を与え帝国内に組み入れました。そのため、歴史の最初の頃こそ指導者層はローマ周辺の名門の家柄のみが輩出していたのに対し、ユリウス・カエサルが帝政の礎を築き、後の初代皇帝アウグストゥスが緩やかに帝政への移行を既定路線にした後は、実力さえあれば併合された属州からであってもいくらでも指導者層になりえたのです。

 あまつさえ、皇帝ですらかつてのローマの名門からではなく、属州に先祖を持つことが珍しくなくなり、逆に彼らこそがローマン・スピリットを胸に秘めて「共同体(レス・プブリカ)」を支えたとも言えるのです。

 この多様性こそがローマ人ではなく、ローマ帝国を支え続けたと言えるでしょう。

    ※    ※    ※    ※

 オリンピックを見ていると、アメリカ代表の名前などはいかにも先祖がドイツ系だったりギリシャ系移民だったりすること伺わせます。そしてその多様性が強さを生み出しているのかもしれないとも思うのです。

 国技相撲を朝青龍や琴欧州が支えてくれている今日、日本的なるものすなわちジャパニーズスピリットを支えている多様性こそが明日の日本の力強さにも繋がるように思います。

 ジャパニーズスピリットって一体何なのでしょうかね。オリンピックを見ていてそんなことを感じました。

 
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日本の酪農の現実

2006-02-13 23:18:34 | Weblog
 朝から暖気が入って暖かい一日。雪祭りが終わると、途端に暖かい日が出始めました。
 解けた雪が凍るのが一番怖いのですが。
 
 今日は
■日本の酪農の現状 です。

【日本の酪農の現状】
 午前中に酪農総合研究所の主催するシンポジウム「日本酪農の基盤を考える」を聴いてきました。シンポジウムそのものは10時から15時半まで行われているのですが、私は午前の生源寺先生の基調講演を聴くだけにとどめました。

 生源寺先生は現在東大教授であり、ご自身の研究業績はもとより政府の審議会においても農政のあるべき姿について積極的な発言を行われて、日本の農業政策をリードするスーパースターとも言える方なのです。

 今日は「深まる国際化と近未来の日本酪農」と題して基調講演をいただきました。

 先生の講演を要約すると、①日本酪農の規模は、1960年に一経営当たり2頭だった乳用牛頭数が2005年には60頭になり規模は30倍に拡大したと言える。これはかつて「いつか追いつけ」と言っていたEUの規模を凌駕するほどに成長した。そしてこれを支えたのは産乳量の増加や搾乳作業の省力化を実現した技術革新であるといいます。

 農業技術にはBC技術と呼ばれる育種などのバイオ・ケミカル技術とM技術と呼ばれる機械や道具などのメカニカル技術がありますが、この二つのバランスによって成長を遂げてきたのです。

 ②人口1億人以上を有する大国が過去数十年で食生活を米中心から高級タンパク質指向へと変えたというのは人間の長い歴史でも例のないことです。しかし同様のことはおそらく中国やアジア、オセアニアにも起きるだろうことが予想され、酪農の必要性は益々高まると思われます。

 ③酪農の経営主の平均年齢は北海道では49.5歳、都府県では54.9歳です。これは、日本の男性の農業従事者のうち65歳以上が55.5%を占めていることと比べると、非常に若い担い手がいるという力強さを表しています。

 ④酪農の雇用労働力を活かして、酪農をベースにしながら教育方面や観光方面など多様な副業に進出して成功している例が多く登場し、酪農経営の見本というものを示せないほどに多様なビジネス感覚あふれる経営形態が増えているのが特徴と言えます。
 成功している人の多くは、「いろいろ試してみて、私はここにたどりつきました」というように、自分自身の生き様に確信をもっていることがあげられます。

 ⑤課題としては、生産者と消費者との間の距離が離れてしまったことによる食への信頼不安が上げられます。不安の根元は生産者の持っている情報が消費者には届かないか、届いていても理解できないという情報理解力の偏りに起因しています。
 トレーサビリティ・システムは、消費者の要求度合いの高さから来るものですが、消費者の目は製品の品質からプロセスの品質、そしてシステム全体の品質に向けられており、これだけ高い要求水準をクリアする日本の酪農は世界においても信頼を得られるでしょう。

 ⑥また酪農という農業形態素のものが環境保全型であることにまで消費者の関心が寄せられ、その要求に応えていることは世界における酪農の国際競争力にも繋がるでしょう。

 ⑦しかし国際化への対応においてのキーワードは2007年度に導入される「品目横断的経営安定対策」です。「諸外国との生産条件格差を是正するための対策」を「国際規律の強化にも対応しうる政策体系」として導入することになるでしょう。

 経営安定対策は内外の生産条件格差を財政によって補填する政策であると同時に、国内農業の力量をアップし、国産食料の消費者対応力の強化に繋がる政策であることが重要になるでしょう。

 …というもの。

 人口密度が低い北海道の特に都市部以外は一般に過疎に悩むと思われがちですが、じつは道東や道北は豊かな酪農地帯であって、水田農家のような後継者問題や小規模経営に悩む農業の姿とは全く別な世界があるのです。

 酪農と稲作を比較すると、牛一頭の所得形成力は稲作40アールに相当するのだそうです。だから牛を60頭飼っている人は、稲作を25ヘクタール行っている人と同じだけの所得形成力を持っているということになるのです。
 稲作の平均経営面積は一戸あたり1ヘクタールと言いますから、その規模の差が分かるというものです。

 酪農には今でも若い人の新規参入が見られるともいい、全体として健全な農業携帯であることを伺わせます。

 北海道にとって酪農は非常に重要な位置づけを占めていますので、これからもその安定的な経営を果たしたいものです。

 今日も良いお話が聞けました。


    ※    ※    ※    ※

 夜には東京から昔の上司Tさんが仕事で来札。そこでTさんを知っている職場の先輩たちと歓迎の飲み会を催しました。

 大の大人が五人して飲んで食べて料金はなんと2千9百円というまさに価格破壊。
 しかし一人の「要はもう食べられないし、飲めなくなったと言うことだよね」に全員笑って納得。

 私はまだ思い切り食べて飲める幸せを感じていますよ。ふふ。
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雪まつりフィナーレ

2006-02-12 23:19:38 | Weblog
 今日で雪まつりも終わりです。今年は期間が短かったけれど、期間中の天候が札幌では比較的安定していて良かったです。

 もっとも江別や岩見沢方面では雪のために高速道路の通行止めなども発生していたよう。ほんのちょっと離れただけで天気が大きく変わるのはこの時期の北海道の特徴です。

 今日は夜に雪祭り会場へ行きました。随分久しぶりの事です。

 今日は
■雪まつりフィナーレ です。

【雪まつりフィナーレ】
 午前中は中学校のおやじの会の会誌作成に向けた打ち合わせ。もうすぐこの一年も終わりです。

 活動は相変わらず活発ですが、参加している人が限られてきているところが気になります。活動の輪を広げるための方策を考えないといけないのですが、この年代のお父さんはなにしろ忙しいですからねえ。うーん。

    ※    ※    ※    ※

 夜は旭川から一時帰省している長女も加わって、家族全員で雪まつりを見に行きました。フィナーレを飾るイベントとしてよさこいソーランのチームがおどりを見せるコーナーがあるのですが、それに次女の友達が出るとのことで応援に行ったのです。

 考えてみると雪まつりをまともに見に来たのは、長女が生後5ヶ月の頃以来で、その娘が二十歳になったのですから二十年ぶりと言うことになります。昔から見ると随分外国人のお客さんが増えた気がします。

 案内の表記を見ても英語、中国語、韓国語と多彩で、国際観光イベントとしての下地ができあがりつつあるようです。

 しかしその一方で一見して思ったのは、雪像が小さくなったということです。プロゴルファーの藍ちゃんをモチーフにしたものと熊をモチーフにした雪像は実に精巧で見応えがありましたが、その他はどうも精巧さや迫力が前面に出ていなくてこじんまりとまとめた感じがしました。

 雪像そのものに見慣れてしまってちょっとしたことでは驚かなくなっていると言われるとそうなのかも知れませんが、なにか国際イベントとしては物足りなくも思いました。

 さとらんどの方へは行けませんでしたが、渋滞も出たようで移行期の課題が見えているようです。新しい改善の方向はどのようなものでしょうか。

 今日も随分冷え込んだ夜でしたが、札幌は天候にも恵まれて来場者は皆フィナーレを楽しんでいるようです。

 おもてなしの心をもっと鍛えましょう。  
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こんなところにビジネスチャンスが

2006-02-11 23:23:44 | Weblog
 今日の釧路は昨日とはうってかわって晴天の朝。でも道路が凍結して、朝釧路空港へ行くまでに交通事故を二件も見てしまいました。
 つるつる路面はやはり危険です。

 今日は
■いろんなところにビジネスチャンス です。

【いろんなところにビジネスチャンス】
 朝9時15分釧路空港発の飛行機で無事に丘珠空港へ到着。しかし飛行中は曇り空で景色は見えませんでした。ちょっと残念。

 さていよいよトリノオリンピックが始まり、今日は開会式が行われました。

 いかにもイタリアらしい芸術性高く趣向の凝らされた開会式とアトラクションでした。花火が単純に上がるのではなくて、会場の周囲を連続で打ち上げられた時は思わず「わ!すごい」と声が出てしまいました。

 初日には女子モーグルの予選、決勝が組まれていますが日本選手の活躍に期待したいものですね。

    ※    ※    ※    ※

 一方、始まりがあるかと思うと、札幌の雪まつりはいよいよ今日と明日で終わりです。中国へ行った際に、ハルピン市の観光局の方から「あれだけのものを作って10日間くらいしか開いていないのはもったいないですね。ハルピンでは2ヶ月間はやれますから、経済効果は大変に大きいですよ」と言われたもの。

 イベントがもっと経済効果を発言させるために、北海道では何が出来るのでしょうか。翻って言えば、それは我々が国内でも海外でも旅行をした時に何を面白いと思うか、ということへの想像力の問題なのかも知れません。

 そう言えば、一昨日の伊藤先生の話の中で、外人観光客の話の続きがありました。それは「外国人が観光に来て夜楽しめる歓楽の場所がないと言ってこぼしていたんですよ」というもの。

 どういうことかというと、外国人の夜の過ごし方は、夜遅くなってから町へ繰り出して、軽くものを食べながらお酒を飲みながら歌ったり踊ったりするのが常なのに、それが出来て楽しめるような場所が日本にはないということでした。

 「日本のそれも特に地方などでは夜9時になるともう飲食店も閉まってしまうというので、彼らはせっかくお金を使おうと思っているのに使うところがなくてフラストレーションが溜まっているんだそうですよ。もったいないねえ!」

 自分たちのやり方を貫くやり方もあるのでしょうが、表には出ないニーズもまだまだありそうですよ。

    ※    ※    ※    ※

 また同席していた宮田さんからは強風の後に浜に打ち上げられる昆布はそれまでどうしようもなくてお金を払って捨てていたのが、それを押し花にすることでブームになっているという話が紹介されました。

 今はNTTと組んで、「よろコブ」ということでおめでたい電報にコンブ押し花の台紙を使ってもらうというビジネスが始まりそうだ、というお話し。

 どうしようもなくて捨てているものにこそ、裏返しのビジネスが転がっていそうです。そう言えば十勝の長芋も、大きすぎて日本では評価されなかったものが台湾では大きければ大きいほど喜ばれるので引っ張りだこになっているのだそうです。

 価値観のちょっとした違い、その差にビジネスチャンスがあるんですね。もっと世間に飛び出さなくてはビジネスチャンスは向こうからやってきてはくれませんよ。

 さあ、まちに出てみるとしましょう。 
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釧路市のまちづくりシンポジウム

2006-02-10 23:19:41 | Weblog
 今日は釧路市役所に招かれて、駅前開発のまちづくりシンポジウムのパネラーとして発言をしてきます。釧路を訪問するのはなんと25年ぶりです。

 今日は
■釧路市の駅前開発シンポジウム です。

【釧路市の駅前開発シンポジウム】
 朝8時の新千歳空港発釧路空港行きの飛行機に間に合わせるために朝6時25分に家を出ました。

 6時40分の電車に乗らないと行けないのだが、普段ならばタクシーは簡単に捕まるところがどうしたことかこの日に限って、タクシーが通りません。

 乗ってしまえば5分で着くくらいの距離なのですが、なにしろタクシーに乗れなくてはどうしようもありません。かなり焦ったところへ神様の使いか、一台のタクシー登場。

 あとは信号との勝負でしたが、これもなんとかクリアして予定通りの電車に間に合いました。こんなにどきどきしたのは久しぶりです。今度は充分な余裕を持って家を出ようと思います。

 そんなことで予定通りに到着した新千歳空港ではありましたが、今度は到着地の釧路空港が雪のため、降りられない場合は女満別空港へ行く先を帰ることがあるという条件付きのフライトになってしまいました。

 脅かされながらの飛行でしたが、最後にはなんとか無事に釧路空港に降りたつことができました。朝からひやひやの旅なのでした。

    ※    ※    ※    ※

 釧路空港では都市再生、まちづくりの世界では第一人者の早稲田大学伊藤滋先生をお迎えし、ここで合流して釧路市内をぐるぐる案内してもらいながら午後のシンポジウム会場へと向かいました。

 伊藤先生とは掛川助役時代に市長を通じて2度ほどお会いしていて、ご挨拶をすると思い出していただけました。誰にでも会っておくものです。

 シンポジウム前での打ち合わせの時間に、参加者が一堂に集まって事前相談をしていた際の会話です。

 伊藤先生は前日にある会合で小泉総理とお会いしたのだそうです。その会合とは、総理が日本在住で地域の観光に携わっている外国人と懇談をして、外国人にとっての日本観光の魅力を知りたいというというものです。

 北海道からはニセコのロス・フィンドレーさんが出席していたということですが、外人の皆さんからは日本の魅力ベスト3は「お祭り、温泉、ゴルフ」なのだそうで、これは本当に大事にした方が良いということでした。

 また中国では日本のりんごのフジが一個3千円で売れているなど、日本の産物が次第にブランドとして認知されつつあるという話も出たそうです。

 食のブランドと言えば北海道。やれることはまだまだあります。

    ※    ※    ※    ※

 午後のパネルディスカッションでは伊藤先生の基調講演で「自助、共助、公助のまちづくり」というお題でお話しをいただきました。

 ときどきちくちくと出る役人批判には耳の痛いところもありました。メッセージは「大事なことなら進まないことに言い訳をせずに、とっとと事業をすすめなさい」というもの。いやはや厳しい。

 パネルディスカッションでは、コーディネータに北大の小林先生を迎え、パネリストに私の外に地元で道づくりネットワーク活動を行っている宮田さん、倉庫を活用したNPO活動を実践されている女性の永田さん、そして今回の市町村合併で釧路市になった阿寒町からホテル経営者で観光カリスマの大西社長というメンバーです。

 今回の釧路市の問題意識は、駅前がご多分に漏れず郊外大規模ショッピングセンターに押されて衰退してきたことを受けて、これを打開するために駅の南北商店街を結ぶ立体交差事業をするかどうかでした。

 しかしそれには市としても大きな負担になることから、より市民に理解を深めてもらったうえで一定の判断をしたいということなのでした。

 私の立場は、開発局の企画官として国の事業の利用や国の人材の利用をお勧めするのと、掛川で体験したまちづくり実践から来る市役所と住民の上手な関係性の構築についてお話しをするというものですが、コーディネーターの小林先生が予定とは違う振り方をするものですから、予定のパワーポイントファイルを使えないまままずはお話しで事例を紹介しました。

 釧路ではこれまで何年もこの事業をするかしないか結論が出ずにここまで来たのですが、地元経済界の方の話では、「年に一度の収穫で生計を立てる農民気質のある帯広などでは地域はすぐにまとまるんです。しかし釧路は漁業の町なので、ここで一旗揚げればまたどこへ行っても良いという気持ちがあって、地元に対する愛着が薄いのかも知れません。しかし一度まとまってしまえば、実行力はあると思っています」とのこと。

 農民気質と漁民気質ではまちづくりのベースが違うと言うこともおもしろい。そう言えば掛川は完全に農民気質のまちでしたからね。

 会場は560席を用意していたのですが、500人は集まったとのことで市民の関心は高いことを示しているようでしたし、釧路市の伊東市長さんも最後まで熱心に聞いていて下さいました。

 こういうパネルディスカッションは、面白い人に出会うのが重要な目的の一つです。普段はなかなか会えなかったり、あっても挨拶だけで縁が深まらないのですが、こういう形でご一緒できれば何をどのように考えている方か、ということがよく分かり、後々良いお付き合いが出来るというものです。

 そう言う意味でも釧路の元気印の人達にお会いできたのは大きな成果です。市役所の皆さんもご苦労様でした。これからもまちづくりに頑張りましょう。

 
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