北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

念力がゆるむと

2010-07-21 23:38:22 | Weblog
 今日から週末の土曜日まで東京出張。釧路空港は霧もなく穏やかな天気でした。





 出発する時の釧路の気温は20℃とこの時期の釧路としては平均的な気温でしたが、羽田へ降り立った時は32℃!

 新宿駅で降りて古巣の職場へ向かう時はとても地上をあるく元気がなくて、直射日光の当たらない地下道を選択。地下道と言ってもエアコンが効いているわけではないので、より涼しい空間を求めてフラフラとさまようように歩いていました。

 夜寝苦しい時に冷たい場所を求めてゴロゴロと転がっているようなもので、寝ている時は平面上なので2Dならば、立って歩いている時はこれも流行の3Dか…、などとあらぬことが頭に浮かんでは消えます。

 貧血になる一歩手前の暑さで、気が緩むとやられそう。(そう言えばそんな俳句があったなあ)と思い出したのが、

  念力のゆるめば死ぬる大暑かな   村上鬼城

 …の一句。今年の大暑は7月23日でしたっけ。若いいうちはまだ耐えられますが、お年寄りや小さいお子さんなどはお気をつけください。

    ※    ※    ※    ※

 夜はかつての同僚などと地方都市のまちづくり談義。

 上司だったAさんは、「実は7月上旬に釧路へカヌーをしに行ったんですよ。塘路湖から釧路川へ下る2時間コースでしたが、あれは最高ですね!」と大絶賛。ただ「ちょっと値段がお高いので、もう少し安ければ良いとは思いましたけどね」とも。

 さらに「カヌーをガイドしてくれたところに『地元の方ですか』と訊いてみたら、なんと関西の方でした。『地元の人はこういうところを良いとは思わないのじゃないですか』なんて言ってましたよ」などと教えてくれました。

 まだ私もカヌーに乗っていないので予定を立てなくては。うう、早く乗りたーい。

 その一方で「こままささんが行かれたので気になって地図を見てみたら、頭の中の札幌と釧路の位置が左右反対だったということにやっと気がつきました」というトンチンカンな人もいて、「あんたは朝の天気予報を見ちゃいないのか!」と思わずツッコミを入れてしまいました。

 NHKの天気予報を見ていれば、必ず全国に釧路の天候と気温の予報が登場します。
軽井沢の気温は分からなくても釧路はテレビに出るのですから、避暑にはぜひ道東の釧路をお選び頂きたいものです。

 もはや釧路の気候に慣れた体には、東京の暑さは却って厳しく感じられますが…。 

  
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突然の訃報

2010-07-20 23:47:10 | Weblog
「こままささん、Tさんの訃報は聞かれていますか?」と夜の9時過ぎに東京の知人のKさんからメールが届きました。

 Tさんとは東京の職場でこの3月まで一緒に机を並べて仕事した同僚です。

(え?なんだろう、お身内に何かあったかな)と思ってKさんに電話をしてみると、「いえ、ご本人が亡くなられたんです。先週の土曜日に突然の心臓の病だそうです…。私も今朝出てきて驚いてしまって…」とのこと。

「え…」

 思わず絶句。次の言葉が出てきませんでした。Tさんは年上ではありましたがまだ現役での突然の訃報。苦しい問題が襲ってきても、「困りましたねえ」と言いながら苦笑いでこなしてしまう方でした。

 部所が離れてからも同じ会議で顔を合わせては互いの労をねぎらいあっていたのですがなんとも残念でなりません。

「苦しい時こそ笑顔で」というのがTさんの教えと思って、これから苦しい場面を迎える私にとっても心の支えにして行くことにしたいと思います。

 そうですか…、そうなんですね。

 今日は一日くらい話が多くて意気消沈していたのですが極めつけがこれだとは。ちょっとショックが大きいなあ。最後に交わした言葉は何だったでしょうか。もう思い出せません。

 一期一会の意味をかみしめています。会えるその瞬間だけが現実なのでしょうか。

 Tさんのご冥福を心からお祈りします。   合掌
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【特別編】記事が二千話を越えました

2010-07-19 23:58:27 | Weblog
 この北の心の開拓記の記事数が2000話を超えました。

 そろそろだなあ、と思ってはいたのですが確認もしないままに日々書き連ねてしまいました。

 先ほど確認をしてみたところ、この記事が2005話目ということになりました。とっくに2000話めを過ぎていたのですね。

 北の心の開拓記としては、2005年4月7日の記事が最初ですが、掛川から帰ってきてから札幌でブログとして書き始めたのが始まりです。

 「北の心の…」になる前には掛川で「掛川奮闘記」というタイトルの日記をつけていましたが、当時はまだブログという形式が一般的になる前でした。

 テキストを打ち込めばすぐにホームページになるという便利なツールは「エンピツ」という日記サイトくらいでしたが、その後にブログという形式が出てきて世間を席巻しました。まさにその過渡期にあったわけです。

 掛川時代の「エンピツ」サイトには約700話ほど書いていた計算ですが、今思えばブログに移行するための良い練習になりました。

 最初は日々書くような自信がなくてこっそりと書いていましたが、毎日その日のうちに感動したりインスパイアされたことを探してそれをテーマにすることと、自分なりの文体が固まってきたことで、毎日書く自信がついてきたものです。

 それでもやはり現場にいて、生のルポルタージュのネタに触れられるような所にいると感動の度合いが違う分、書く記事にも力が入ってくるようです。

 次の目標は読者が倍増することと、三千話をめざすことに置きましょうか。

 まずは日頃のご愛読に感謝申し上げます。コメントのあるなしは気にしなくて良いので、日々覗いてみてくださると嬉しいです。ありがとうございます。   

 
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半島の観光二題~シレパ岬と霧多布岬

2010-07-19 23:37:09 | Weblog
 連休最後の一日。うちの奥さんはとりあえず今回は今日が最終日なので、レンタカーを借りてドライブに行ってきました。

 目的地は釧路の東側にある浜中町の霧多布湿原ということにして、途中は思いつくままに立ち寄る「ぶらり旅」です。

 浜中町の手前にある厚岸町を目指して走っているうちに、海岸線の道路を走ってみたくなり国道から道道へとコースを変更。そのうちに思い立って、厚岸湾の西側に突き出た尻羽(シレパ)岬を極めてみたくなり、一気にそちらへ向かって車を走らせました。

 車で行けるところまで行くと駐車場があって、そこから先の道立自然公園内は車馬の立ち入り禁止区域。ここからは徒歩で進むことになります。







 シレパ岬は厚岸湾を抱くように西側から海に突き出た岬で、アイヌ語の地名の意味は「地の頭の出ている岬」という意味なのだとか。まさにその名の通りの地形です。

 駐車場からは獣道がついていますが、一見草原に見えるのは背の低い笹の群落。これにところどころでフキの群落が出てきます。途中のシレパ岬の案内看板まで約10分、さらに岬の突端の道があるぎりぎりまで行くとさらに10分の行程です。

 厚岸側からシレパ岬側を見たことは何度かありましたが、今日は海上に霧がかかっていなかったため、厚岸の方向が実によく見えました。




 シレパ岬の突端なんてそうそう何度も来ることはないだろうと思って行けるところまで行ってみましたが、海に囲まれた断崖絶壁の上に緑のササ原がどこまでも広がるというのは実に感動的な風景でした。

 行き帰りの間に「地元の者です」という方数人に会いましたが、こういう風景が地元にもどれくらい知られているものか。私と妻とは緑の起伏のスケール感にとても感動をしていたのですが、実にもったいない風景です。

 でもこの単品が北海道の片隅にあるのでは都会の人には売れないのでしょう。首都圏にあったらピカイチの観光地になれると思うのですが、そういう意味でももったいない景観なのでした。

    ※    ※    ※    ※

 厚岸の道の駅で牡蛎を美味しくいただいた後はヒオウギアヤメの群落が最盛期の霧多布湿原を眺めつつ霧多布岬の突端へ。

 岬の先には湯沸岬灯台があるのですが、霧の多い土地柄でさらに霧笛までもが設置されています。 

 こちらは湯沸(トウフツ)岬とも呼ばれていて、こちらは断崖絶壁にへばりついたササ群落の中にちょっと遅いエゾカンゾウの群落が黄色い花を咲かせていて得をした感じ。







 突端の奇岩にはカモメや海鵜が群がっていてこれもまた滅多には見られない風景です。これ以上先のないどんづまりの半島の奇観というのは味があって大好き。なんとかして知ってもらえればファンは増えるでしょうが、それ自体が難しそうです。なんとかしたいものです。

 
 それにしても札幌では最近味わったことのない、ドライブの楽しさを実感しました。知らない土地を走るのは新鮮で興味がつきないものです。

 車のない生活が続いていますが、こういう楽しさを味わうと車が欲しくなってしまいます。うーん、どうしようかなあ。
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サンマを使った名物

2010-07-18 23:53:43 | Weblog
 休みを利用して、家の中を改めて整理しました。

 まだなかなか新しい家の中でのルーチンワークが成立しなくて苦しんでいます。炊事、選択、掃除などを効率的に進めるためにはどこに何があるかを把握して、最短の手順で動けるようになる必要がありますが、まだどこに何を置いているのかを把握し切れていないために、ムダな動きも多いのです。

 うちの奥さんに出しっぱなしの荷物なども整理してもらって、部屋の中はだいぶすっきりしてきました。もう少しでしょうか。

 片づけの合間を縫って、幣舞橋とフィッシャーマンズワーフMOOを見学してきました。観光客なども結構いてそれなりの賑わいです。

 釧路らしい地のものでお土産にもなるようなものを物色してみましたが、やはり釧路と言えばサンマで、そのサンマを使った料理として「さんまんま」と「さんぼう寿し」をみつけました。

 どちらも、焼くか刺身くらいでしか食べないサンマに付加価値をつけて地域のお土産にもなりうる食に仕上がっています。

 さんぼう寿しのほうは、スモークサーモンを使ったものもあって、いろいろと工夫をしています。

 駅や空港の売店でも売っているそうですから、御来釧の折は釧路ラーメン屋炉端焼きも良いですが、こちらにもぜひ挑戦してみていただきたいと思います。


【さんまんま】
 http://sanmanma.com/

【釧路 さんぼう寿し】
 http://www.unique-com.net/sanbo.html

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借りぐらしのアリエッティ

2010-07-17 23:40:14 | Weblog
 昨夜からうちの奥さんも釧路へ来て、この3連休は釧路を満喫です。晴れると良いのですが。

 早速連休初日の今日は、市の北側にあるワーナーマイカル釧路というシネマコンプレックスへ行って映画を観てきました。





 お目当てはなんと言っても本日から上映されるスタジオジブリ最新作の「借りぐらしのアリエッティ」。原作はイギリスの作家メアリー・ノートンの書いた「床下の小人たち(現代は”Borrowers”=借りる人たち)」という小説です。

 映画化の構想は宮崎駿監督がもう40年以上も前から持っていたとのことですが、プロデューサーの鈴木さんとの間で、ポニョの次に何をしようか、という議論の中で宮崎監督が「これをやりたい!」と言って頑として譲らなかったのだそう。

 宮崎駿さんは、人間の様々な道具や食材を借りて暮らす「借りぐらし」というライフスタイルが現代にぴったりだと主張。結局、別な作品をやりたかった鈴木さんが譲る形で「アリエッティ」に決まったというわけ。

 映画の中では、人間の細々とした道具を小さい体の小人達が本来目的と違う形で使う工夫や、小さい世界の面白さをどう表現しているかが注目の的です。

 例えばアリエッティが長い髪神束ねる時に頭の上に二本の角のようなものが見えるのですが、これは人間の洗濯ばさみを使って髪を挟んでいるための絵姿。

 その外にもピアスやまち針など、人間が普通に使っているものを小人だったらそれをこっそり借りてどのように使っているかを発見するのも見所です。

    ※    ※    ※    ※

 そして実は私の身内もこの作品には少し関わっているので、そう言う意味での感激もひとしお。

 登場人物や道具に強烈なオリジナリティがあるわけではないけれど、本来のジブリらしい問題提起が込められています。

 機会があれば是非ご覧になってください。 
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不発弾とエゾシカ

2010-07-16 23:58:42 | Weblog
 昼休み直前に担当者が部屋に飛び込んできて「第一報ですが、不発弾と思しき爆弾が見つかって、道路とJRを止めています」とのこと。

 不発弾が見つかったのは釧路港西港の第4ふ頭とのこと。どうやらそこに元からあったのではなく、浚渫で別の場所からそこへ運んだ土の中にあったらしい。

 なぜ釧路で不発弾があるのか、と思ったら、先の戦争末期に釧路も空襲を受けたのだそう。記録によると、丁度65年前の1945年7月14、15日の二日にわたる米軍の攻撃で192人が死亡していました。

 不発弾の処理は自衛隊にお願いをすることになり、帯広の陸上自衛隊第5旅団不発弾処理班が出動してくれました。

 一時は半径500メートルの範囲の住民を避難させるとともに、道路とJRを止めていたのですが、不発弾処理班の見立てによって、信管はあるものの衝撃を与えて爆発する危険性は薄いということで夕方には通行規制も解除されました。

 今頃になってなおこんな遺物が出てくるとは、なかなか戦争も終わりません。

   ※     ※     ※     ※     ※

 今日はちょうど妻が釧路を訪ねてくる日だったのですが、汽車に乗ってからこの不発弾騒ぎによって、もしかしたら白糠あたりで下車することになるかもしれないという放送が流れたそうです。

 汽車は近くへ来るころには交通規制も解除されて釧路駅まで到着することになったのですが、今度はその途中で線路上に飛び出してきたエゾシカとぶつかって、20分ほど立ち往生したのだそう。

 よくあることとは言え、事件は現場で起きるものだなあ、と思った次第。

 不発弾は日を置いて自衛隊さんが処理してくれるそうです。これもまたお国の力なり。
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言葉の切っ先の勝負

2010-07-15 23:44:58 | Weblog
 昨日と今日で札幌市内の関係機関への挨拶回りをしてきました。

 道庁さんを中心に、国の関係機関や北大、知人のいる団体などを巡って、二日間で配った名刺は200枚弱。名刺のなくなる勢いが半端ではありません。

 挨拶回りということで、事前に訪問することを伝えてアポを取っているところでは30分くらいじっくりと意見交換ができますが、それ以外の所は飛び込みでの営業みたいなもの。相手が不在なら仕方がありませんが、打ち合わせ中だろうが何だろうが部屋にいるのだったら少しでも顔を合わせて挨拶だけはしたいと粘ります。

 今の自治体の副市長ともなると、道庁を始め官庁を回っても一応丁寧に応対してなんとか会ってだけはくれるのでありがたいものです。まさに『鶏口となるも牛後となるなかれ』のとおり。

 そうして、これまで会ったことがない方に、飛び込みで訪問をしたときは会ってくださる方の対応は二通りに分かれます。

 一つ目は、型どおりに名刺を交換してお互いに「今後とも宜しくお願い致します」と挨拶してそれで終わるタイプ。そしてもう一つは、こちらの存在に一瞬でも興味を示してくれて「もしお時間があればどうぞ」と椅子に座るように進めてくれるタイプという二通りです。

 しかしその分かれ目は、もしかしたら一瞬のふるまいで「話を聞いてみたい」と思わせるだけの雰囲気を漂わせることができているかどうか、と言う自分自身の力量の問題なのかもしれません。

 営業でよく名刺を配って歩く人を見かけますが、訪ねた時に「まあお座りなさい」と言ってくれるような関係性を形成するのには相当苦労するものです。しかしそう言ってもらうためには(こいつにはなにかありそうだな)という雰囲気とその期待に応えて提供できる興味深いネタをもっていなくてはダメで、そういうことのない名刺配りでは何度足を運んでも単なる徒労に終わってしまうことでしょう。

 一方、座らせてもらったときでも「この人はできるな」と感じるかどうかはお互い、二言三言の会話でわかるもの。剣豪同士は刀の切っ先を一度二度合わせただけで相手の力量が判るといいますが、現代の我々は言葉の切っ先が勝負。そのためにも普段から会話のネタを鍛えておくことは肝心です。

 
   ※     ※     ※     ※     ※
 
 ところが今回札幌周辺をめぐる限りは、どこへ行ってもなんとなく知人や友人がいて、とても初めてという感じがしませんでした。

 道庁にしてもこれまで行ったこともないような部や局を訪ねて挨拶に行ったのですが、挨拶してお互いに顔を見合わせて「あれ?どこかでお会いしたことがありますよね…」という会話を何度したことか。

 大抵は観光事業で集まった関係者連絡会議の参加者だったということが多かったのですが、それだけ札幌も狭いということなのか、はたまた自分が年を食ったということなのか…(笑)


 さらには、知り合い度がとても深まっている相手だったりすると応対してくれる秘書さんに「ただいま打ち合わせ中なのですが…」と言われて、「挨拶だけですから」と名刺を渡してもらうようお願いをすると、「ああ、いいよ、ちょうど終わったところだから」などと、打ち合わせが終了してしまうと言うことすらあったりして、そこまでしてくれるとやはり嬉しいものです。


 さてそんなわけで知らない人を訪ねるときは気持ちを張っている私ですが、逆に私を訪ねてきてくれる人には、できるだけ座ってもらって意見交換をしようと心がけています。

 そんなときには案外こちら側も値踏みをしているかもしれません。お越しになるときは何か興味深いネタのご用意を…(笑)

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行政に協力できるちょっとしたこと

2010-07-14 23:28:53 | Weblog
 今日から明日にかけては札幌出張で、道庁さんをはじめ札幌市内の関係機関への挨拶回りです。

 母校北大を訪ねて観光関係の最新情報を伺ったり、出身の農学部へ後輩の教官などを訪ねていろいろと様子を訊いてきました。

 大学の教官とは、人材教育という側面とその一方で研究機関という側面があります。そしてとにかく今は大学人にも実績評価が求められて身動きがとれないとのこと。

 研究機関としての成果は論文の数や質を問われるのかもしれませんが、基礎研究となると簡単に成果が出るようなものでもなさそうです。また人材教育の成果となるといったいどうやって計測をすればよいものやら。

 ただし学生さんはとにかく真面目な子たちが多いとのこと。「きっちり出席してレポートは出してきますからね」

 しかし、昔のようなおおらかな大学時代に戻れとは言わないものの、学生さんたちには狭い領域の研究にいそしむ一方で、友との語らいや稀有壮大な夢を語るような自由な時間を与えてあげたいものです。

 まあ卒業生としては、自分自身が教育機関としての成果なんです、と胸を張って言えることが大事なのかもしれませんが。まあ忸怩たる思いでもありますが(笑)

      ※     ※     ※     ※     ※

 親孝行のつもりで、夜に実家の親元を訪ねて仏壇に手を合わせてきました。

 四方山話をしているうちに、「最近うちの市(石狩市)では、各戸にこんな緊急連絡事項を書き留めておく救急医療情報キットが配布されたんだよ」とのこと。

 中を見せてもらうと、透明のプラスチックの筒とオレンジのキャップの入れ物に、その家に住んでいる人の名前、血液型、持病の有無、かかりつけ病院はどこか、緊急連絡先を二軒などを書き込むような用紙がありました。










「これを家の冷蔵庫に入れておいてください、と言われて、ちゃんとやっている印のシールを玄関に貼るようにもなっているんだよ。これがあれば、何か事故があって救助の人が入ってきたときの助けにもなるし、緊急連絡先も分かるというのさ。これっていいよね」

 
 今や家に必ずあるであろう冷蔵庫に入れておくという約束ごとを地域が守るという力が、救助を容易にします。「みんなが一斉に実行する」という地域の力がより効率的な行政運営を可能にするのです。

 行政の効率化とは市民、住民の協力があればこそなのだと痛感しました。

 そういえば今年は国勢調査の年。こうしたデータ提供に協力をしていただくことも立派な行政参加なのです。私も責任者の一人になるはず。

 皆さんご協力をよろしくお願いいたしますね。 
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国際バルク戦略港湾とはなにか

2010-07-13 23:42:26 | Weblog
 国の港湾政策の担当者が訪ねてきてくれて、現在国が行おうとしている『国際バルク戦略港湾構想』について説明をしてくれました。

 現在釧路ではこの構想に則って、国際バルク戦略港湾としての指定を受けるべく準備をしているところで、釧路港が将来に向かって重要な港湾としての可能性を高めることができるかどうかという大切な時期を迎えているのです。

 そもそも「バルク」とは、コンテナで輸送される海上荷物に対して、「コンテナでは運べない粉状や液状の輸送荷物」という意味で使われている言葉です。

 現在世界中で動いている海上荷物は年間で約82億トンですが、コンテナは約13億トンで16%、ドライバルクと呼ばれる粉状の荷物は38.6億トンで約47%、リキッドバルクと呼ばれる液体状の荷物は30.5億トンで約37%という比率になっています。コンテナで運ばれる荷物って案外比率が低いのです。

 ドライバルクと呼ばれる粉状の荷物の中でも「三大バルク」と呼ばれるのが穀物の3.8億トン(全体の5%)、鉄鉱石の8.5億トン(同10%)、石炭の7.8億トン(同10%)というわけです。ちなみにリキッドバルクとして運ばれる最も多い荷物は原油の20億トン(同24%)というわけ。
 荷物の動く全体量を見てみるだけで世界経済の動きがなんとなく分かります。

    ※    ※    ※    ※

 我が国に限ってみてみると、【総貿易額】は約160兆円という規模で、海上コンテナによる貿易額とバルク荷物の貿易額と航空による貿易額はおおまかにいって大体1/3程度の比率と言えます。

 しかし【総貿易量(重さ)】で見てみると、なんと日本の貿易量の99.7%は海上輸送によるもの。飛行機は軽くて高い品物は運びますが、安くて嵩がはるものはみんな船で運ぶしかないのです。

 
 で、ここからが肝腎。

 日本が輸入する穀物の多くはアメリカ大陸の中央部で作られていて、これらはメキシコ湾から船に積まれてパナマ運河をえっちらおっちらと超えて太平洋に出て、そこから一路日本を目指します。

 このパナマ運河を渡れる最も大きな船のことを「パナマ+マックス」で「パナマックスサイズ」の船といってこれは積載重量が6~7万トンで岸壁水深が14m必要。

 しかし現在釧路に入れるのはこれよりも一段落小さくて岸壁水深12mの「ハンディマックス」級の船(積載重量4~5万トン)でしかありません。

 しかも、現在パナマ運河は拡張計画を進めていて、2014年目途に拡張がなされれば「ポストパナマックス」級の水深17m、積載重量10万トンもの船が新パナマ運河を通行出来るようになるのです。

 こうした海上輸送の効率化に向けた港の整備を戦略的に果たせれば、道東地区への穀物飼料は輸送量の割合が少なくなり、より安価に入手出来るようになるでしょう。

 しかしそうしたことに対応ができなければ、パナマックス級の船も将来的なポストパナマックス級の船も他の港を目指して行くことになります。

 つまり道東に安い飼料をいれて酪農経営の効率化を進めるためには港湾インフラに対する投資が必要になるというわけです。しかしもちろん国内の他の港だって、戦略港湾の指定を受けて後背地貿易の効率化を計るべく頑張ってくることでしょう。

 道東の振興のためにも釧路港が果たす役割はますます期待が高まっているのです。

 物流という事が分かって来ると、経済のことが少し分かってきます。

 
【国土交通省資料~資源、エネルギー、食料輸入を取り巻く状況】
  http://www.mlit.go.jp/common/000115554.pdf
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