北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

被災者支援モードへGO!

2011-03-22 23:45:06 | Weblog
 今日の午後に津波被害の復旧対策本部会議を開いて、改めて今回の被害の総括を行いました。被害を受けた皆様には心からお見舞い申し上げます。

 MOOについては元通りに復旧するまでは3~4ヶ月かかりそうだという調査結果が出たようですが、臨時的な対応でどこまでそれを短くできるかを検討中とのこと。少しでも早い復旧が望まれます。

 そして、まだ残る作業もあるものの担当が決まって復旧の道筋がおおむね見えた来たことを受けて、本日をもって復旧対策本部会議は解散となりました。

 この間既に釧路にも様々な形で被災地の避難者から釧路での避難民受け入れの可能性について問い合わせが来ていて、もう釧路も被災モードから避難地支援モードに移行するときが来たようです。

 避難者受け入れのための市営住宅の空き状況調査については、市内で3戸、阿寒地区で3戸の合計6戸と回答していますが、社宅を持っている市内の民間事業者から無償での社宅提供申し出があり、受け入れるための準備を進めています。

 市長からは、「阪神淡路大震災の時は仮設住宅に入るのに公平性の観点から抽選をしていれたけれど、それは結果として地域のコミュニティを壊して孤独なお年寄りを増やしただけだったという反省に立つべきだ」という考えが示されました。

 そのため、避難者受け入れ住宅も市内にバラバラにあるのを集めるのではなく、申し出を受けたような一棟全部が避難者用住宅というような形で受け入れるようにしようということで、6戸に追加する形で一棟18戸の住宅を借りるべく準備を進めています。

 今後もさらに避難者が増えてくるようであれば、受け入れ住宅の数を増やしてゆくことを検討してゆきます。


    ※     ※     ※     ※     ※


 また、子供の転向のため教育委員会や住宅あっせんのための住宅課など問い合わせ先がバラバラであるのを、総務部総務課に担当の係を指定して受け入れ窓口を統一させることも指示を受けました。

 私は避難者受け入れチームくらいになると良いと思っていますが、事実上釧路市も被災者支援ステージに入ったということでしょう。

 実際に人や家族が来るとなると、身の回りの品々や子育て、医療支援、生活支援など様々な形の支援が必要になることも予想されます。

 今回の震災に対しては大変多くの寄付が集まっていますが、そうした何かしてあげたいという市民の皆さんの出番が近づいているのかもしれません。

 
 市役所職員による募金活動では254万7千円が集まったという報告も受けました。

 これらのお金は東北三陸地域でサンマやサケマスの外来船誘致活動をしてお付き合いがある自治体に送られることになっています。

 いよいよ釧路も遅ればせながら被災者の支援モードに入ります。市民の皆さんのご支援をよろしくお願いします。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人を死地に追いやる力

2011-03-21 23:46:09 | Weblog
 東大で初の女性教授になられた中根千枝先生という方があるとき、『ナポレオンと大石内蔵助の二人のうちどちらが指導者として上か』という問いを出されたのだそうです。

 世界史に名を残した英雄ナポレオンと、日本の片隅で話題になる程度の人物でしかない大石内蔵助。たいていはナポレオンと答えるのではないでしょうか。

 ところが中根先生は『リーダーとしては圧倒的に大石内蔵助のほうが上だ』と答えられたのだそう。

 その訳は、大石内蔵助は47人もの人間を死の世界にまで引っ張っていったのに対して、ナポレオンがセントヘレナ島で死ぬ時は彼と死ぬというものは誰もいなかったというもの。

 人間を死の世界まで引っ張る力、これ以上の統率力はないと言えるでしょう。


    ※     ※     ※     ※     ※ 


 東京消防庁のハイパーレスキュー隊が放射能が出ている福島原発の使用済み燃料が置かれたプールを放水により冷却する過酷な使命を終えて都に帰還、石原都知事にその報告をしました。

 石原都知事は涙で何度も言葉を詰まらせながら隊員に深く頭を下げ、何度も謝辞を述べてその献身的な使命感を讃えたと言います。

 誰だって行きたくはない危険な場所に組織の命令とはいえ、行くことを命じるのは命じる側にも言葉にできない重圧があることでしょう。

 そういう思いが強ければ強いほど、職務上の命令を無事達成して帰還した隊員たちとその家族に思いを寄せれば、万感の思いが湧き上がることも想像に難くありません。

 それほど想像を絶するまさに過酷な死地であったことでしょう。


    ※     ※     ※     ※     ※

 最近ネット上に現役自衛官を名乗る人が文章を寄せて話題になっています。

【JBpress 福島第一原発:報道をはるかに超える放射能~死を覚悟する自衛官、国のリーダーにその認識はあるか】
  http://bit.ly/ekv31J


 この中で文を寄せた藤井さんは、「兵を死地に向かわせるなら、指揮官陣頭であるべきだ」と語ります。隊員たちは死を覚悟して現場に赴いているのです。


---------------≪ ここから引用 ≫--------------

(…前部略…)

4 服務の宣誓と任務の完遂

 自衛隊員になった者は、国家に対して服務の宣誓をして、特別権力関係を結びます。要するに、人権を制限し、国家が死を賭せと言えば黙々と命令に従うということです。

(…中略…)

 確かに自衛隊員(自衛官や事務官など)は宣誓をしますが、今福島第一原子力発電所で作業している自衛官とて、人の子です。親があり、妻があり、子供がいます。被曝量によっては、もう家族や友人に会えないかもしれません。

 ですから、どうか国民の皆様におかれましては、災害派遣は自衛隊の任務だからとか、服務の宣誓をしているのだから、自衛官が危険を顧みないのは当たり前だというふうには見ないで頂きたいのです。

 死を賭して全国から集まっている原子力発電所職員、警察、消防職員同様、自衛官も英雄的精神をもって責務の完遂に邁進していることを理解して、支援して頂きたいと思います。

5 最後に

 今さら装備品の追加は無理な要求ですから、今ある人員、器材で対処せねばならないとしても、隊員の士気を振作することは可能です。

 隊員を喜んで死地に向かわせるのは、自衛隊最高指揮官である内閣総理大臣をはじめとする、防衛大臣などの各級指揮官の堅確な意志と熱誠を込めた言葉です。そして兵を死地に向かわせるなら、指揮官陣頭であるべきです。

 本原発事象は長期化するでしょうから、是非、菅政権にあっては原子力災害派遣に従事する自衛官に対して、熱誠を込めた言葉で語りかけて頂きたいです。   

---------------≪ 引用ここまで ≫--------------


 部下を死地に追いやるときに上司はどのような態度を取るべきか。それは命令の一瞬のことだけではなく、普段からの信頼感の醸成こそがなせる業なのでしょう。


 大石内蔵助の凄さが改めてよくわかりました。


 現場で今も必死に戦っている皆さんのご無事をひたすら祈るばかりです。御武運を! 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京消防庁 美談の陰で…

2011-03-21 21:34:11 | Weblog
 もう嘘だと思いたけど本当なのか??


【福島原発の放水活動で東京消防報告。今後の教訓にしたいこと】
 ○ 現場を知らない本部の人達から、東京消防庁が現場で判断した方針を変更するよう度々要求された。

・放水は当初4時間の予定だった。その後状況を勘案し、必要に応じ再度放水することにしていた。しかし、連続して7時間放水し続けるよう執拗に要求された。結果として、7時間放水することになったが、そのため2台ある放水塔車のうち1台がディーゼルエンジンの焼き付きにより使用不能となった。
・東京消防庁にて海から放水塔車までの給水ホースの設置ルートを800メートルの最短距離で、設定していたが、遠回りにするように執拗に要求された。
・「俺たちの指示に従えないのなら、お前らやめさせてやる」の発言もあった。(以下略)

 http://bit.ly/fizobl


    ※     ※     ※     ※     ※


 石原都知事も首相に抗議したそうだ…。
【首相が放水で都知事に陳謝】
  東京都の石原慎太郎知事は21日、菅直人首相と官邸で会談し、東京電力福島第1原発での放水に関し「東京消防庁の隊員が長時間連続の放水を強制され『実施しなければ処分する』と言われた」と抗議した。石原氏によると、首相は「陳謝する。大変申し訳ない」と述べた。

 http://bit.ly/hfxZDu
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【おまけ】福島原発の放射能を理解するためのわかりやすい資料

2011-03-20 23:58:05 | Weblog
 福島原発での放射能を理解するためのより良い資料が新たに登場しました。

 今福島原発で何が起きているのかがよりわかりやすくなっています。

 放射性同位体とは何か?チェルノブイリ事故と比べて何がどう違うのか?観測された「ミリシーベルト」の意味とは何か?放射能と健康にどのような関係があるのか?…などが分かりやすく説明されています。

 単なる強さのミリシーベルトという単位と、それが累積してゆくときの「毎時」ミリシーベルトの違いなどは案外マスコミさんも説明してくれていなくて、ただ数字だけが表に出てきて不安をあおっています。

 こういうときは専門家の意見をたくさん聞いて、自分自身に判断の軸を作るのが良さそうです。

 そうした専門家の説明の一つにぜひこちらも加えてみてください。


【カリフォルニア大学のモンリオール(B. Monreal)氏による講演のスライド】
http://bit.ly/hK73eH


                 【福島原発での不幸中の幸い】



                 【この資料のまとめ~事実をしっかりと知りましょう】



    ※     ※     ※     ※     ※


 ところで、日本では原子力や放射能に対する反応が厳しいために、レントゲンやCTスキャンなどの日常的な医療活動や日常生活で受けている放射能の強さについても全く説明がありません。

 普段から「この検査では○○シーベルトの放射能を受けますが健康に被害はありません」というアナウンスをしてもらっていれば、自分の中に放射能への関心と安全な基準が出来上がるのではないかと思います。

 これからは病院での説明の中にぜひ放射能の強さについても言及していただきたいものです。冷静になるためにも。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

余っているポイントが寄付に使える

2011-03-20 23:53:51 | Weblog
 昨夜、人間力を高める雑誌「致知」の読者たち7名が集まって、致知の勉強会をする「木鶏(もっけい)クラブ」の釧路版を立ち上げようと相談をしました。

 皆さん読者歴が十年以上のベテランばかりで、まだ半年足らずの私はお恥ずかしいのですが、こういう勉強会というのは、仕事上では会えない方との出会いに繋がります。

 木鶏クラブは全国の自治体に数多くあって、会社や組織単位でも勉強会をしているところも多いのです。

 北海道では、札幌、旭川などの大きな都市ではもちろんできているのですが、道内四番目の人口である釧路にないというのはいささか恥ずかしいなあと思っていたところ。

 それがある勉強会で私のお話を聞いてくださった方から「やはり『人間力』ですよね」という感想をお聞きした時に、(ああ、「致知」を読んでおられる方がいた)と思うきっかけとなりました。

 そしてそのことをブログに書いたところ、それを読んだ知人から「じゃあ、少し声をかけてみましょうかね」という話になり、ついに釧路市でも作ろうかという動きになったもの。

 人間の出会いとはどこに転がっているかわかりませんが、「犬も歩けば棒に当たる」と言います。

 思いついたらちょっとだけ行動に移してみるのが良いかもしれませんね。


    ※     ※     ※     ※     ※


 今日も市内のショッピングセンターで東北関東大震災の義捐金募金活動。ご協力してくださる市民の皆さんの反応も強く、募金活動もやりがいがあります。

 今日は「ここで募金をしていると聞いて、これをお願いしようと思って」と、ずっしりと重い貯金箱を四つも持ってきてくださる方がいました。

 缶切りがないと開けられないような缶の貯金箱にびっちりと硬貨が入っています。普段コツコツ貯めていただいた硬貨たちがいよいよ役に立つときです。

 貴重なお志をありがとうございました。この気持ちを現地に届けたいと思います。


    ※     ※     ※     ※     ※


 寄付と言えば、手持ちのカードや携帯電話を利用したことでたまるポイントも寄付ができるように次々とサービスが拡大しています。

(そういえば携帯電話のポイントがたまっていたけれどなかなか使うチャンスもないなあ)と思っていたところ、docomoのポイントも、1ポイント1円で、100ポイント単位で今回の東北関東大震災義捐金として寄付ができることを知りました。

【NTTdocomo 義捐金の受付について】
  http://bit.ly/dXFdeV 

 imenuから入ると1から99まで入れる画面が出てきます。

 数字の1=100ポイント=100円ですので、40と入れると4000ポイント=4000円分の寄付になります。

 航空会社や各種クレジットカードなどのポイントも続々こうしたサービスが始まっています。お手持ちのポイントが付く会員サービスをちょっと調べてみてはいかがでしょうか。

 ときどき期限付きのポイントなどもあったりするのでただ流すだけならなお一層上手に使いたいものですね。

 私も携帯で確認したら6000ポイントあったので、試みに4000ポイントを寄付してみました。他に何があったかな。


                 【うまくいったみたいです。ポイントも寝かしておくのはもったいないです】 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霧のまち釧路の音の風景

2011-03-19 23:45:50 | Weblog
 お昼に生協貝塚店で東北関東震災義捐金街頭募金に参加。

 ガールスカウトとボーイスカウトの子供たちも参加して賑やかに募金活動を展開しました。

 担当した出入り口ではドアに近づくとセンサーが効いて扉が開けっ放しになるため、離れて外での募金活動になりました。今日は風が冷たくて子供たちはちょっと可哀想でした。

 来店するお客さんたちの反応はすこぶる良くて、千円札で入れてくださる方も多く、横に並んだボーイスカウトの小学6年生の子は「赤い羽根募金のときよりとても多く集まっています」と言っていました。

 みな自分たちができることをしようと言う意識が非常に高まっているのを感じます。皆様のご協力をよろしくお願いします。


    ※     ※     ※     ※     ※


 募金のお手伝いを終えて、次は入船町の港町かもめホールで行われている「釧路、音の遺産・霧笛の街シンポジウム」へと向かいました。

 元々予定していたわけではなく飛び込みで駆け付けたのですが、丁度建物の4階で行われていた霧笛の吹鳴式に間に合いました。

 霧笛は丁度一年前の昨年3月19日に廃止になりました。本当は霧笛の前には霧鐘(むしょう)というお寺の鐘よりまだ大きいような鐘を鳴らして位置を知らせたことがあったようで、霧笛も霧鐘も含めて音で位置を知らせる道具を総称して「霧信号」と呼ぶのだそう。

 霧笛はもともと霧が濃い時に港を出入りする船が灯台の光も見えないときに方向を確認するために用いられていたものです。

 しかしそれも、技術の進歩によりGPS航法などが可能になったことからその意義が薄れたもので、ついに一年前に廃止になったのです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 本来の霧笛の音たるや大音量だったわけで、ある意味では大騒音でもありましたが、同時に釧路の霧を象徴する故郷の音の風景でもありました。

 これが廃止になる、という報道が出て以来地元では保存運動が沸き起こりました。

 そしてこれを受けて様々な調整の結果、この度海上保安庁釧路海上保安本部の特段のご配慮により霧笛の施設一式をそのまま釧路市に無償譲渡していただき、釧路市ではそれをさらに釧路霧笛保存会に無償で貸与するという扱いにしたものです。

 霧笛は、霧を感知する赤外線センサーと霧感知システム、さらに音の周波数を上げる発電機や音を鳴らさない時に電流を流す抵抗、そして霧信号制御板などからなるのですが、これら一式を動態保存することができることとなり、まずはひと段落です。


                 【動態保存された霧笛の機械】



                 【かつては大音量を発したダイヤフラムホーン】



 今回は無事に譲り受けたことによる記念の式典でしたが、霧笛をもう一度聞きたいという願いを受けて、ちょうど一年前の廃止になる最後の日に録音した霧笛の音を再編したCDをアンプを使って増幅し、本当に使われた板ダイヤフラムホーンから室内向けのごく小さな音量で流すことで、会場に集まった人たちには聞かせてもらうことができました。

 私は釧路の霧笛を知らないので、「なるほど、こういうものだったか」と感心するばかり。もともとの釧路っ子は懐かしいのでしょうか。


【釧路の霧笛を一年ぶりに再現】
 http://bit.ly/fMEXnO (Ustream「霧笛吹鳴式4」の11分25秒あたりから)


                 【霧笛の音を再現です!】


 
 「釧路の無敵の音は、2秒吹鳴して9秒止まり、そしてまた2秒吹鳴する、を繰り返します」とのこと。どうです、懐かしいでしょう?


    ※     ※     ※     ※     ※


 この霧笛、海上保安本部から頂いたものの、やはり廃止になった経緯からいっても簡単にこの機械で音を出してみるというわけにはいきません。

 しかしながら折角動態保存をして、録音してある音と言う素材もあるのですから、これを霧の町釧路のシンボルや音の遺産としてどのように活用するか、ということは研究の価値がありそうです。

 その後に開かれたシンポジウムではパネリストの方たちから様々な思い出や提言が出されました。

 会場からも「もし釧路で霧笛を鳴らそうとしたら、音が出ることを受け入れるという文化需要基盤が必要だ」とか、「霧笛があったころは海上で安全なサービスをしているということが耳で分かった。デジタルになるとその存在が見えなくなり社会の関心を失う」など興味深い意見が上がるなど、盛り上がりました。

 さて、この霧笛。釧路市民はどのように受け入れて、霧の港町の情緒づくりに活用することができるでしょうか。

 まずはCDでもなんでも多くの市民にこの霧笛の音を聞いてもらって、関心を寄せることが大切でしょう。

 霧笛は耳で釧路を感じるサウンドスケープです。


                 【シンポジウムはUstreamでも配信され、ツイッターも。進んでます】 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【原発問題】英国大使館の見解がイイ!

2011-03-19 11:12:09 | Weblog
 今の原発問題に関するイギリス大使館の見解がネットで流れています。飾り気のない冷静な分析に安心したりもします。日本の政府・マスコミはどうでしょうか。

 東電や政府など、当事者の説明は信じられないという方は、是非こうした第三者による論評も参考にしていただきたいと思います。



---------------≪ ここから引用 ≫--------------
元: Paul Atkinson 2011年3月15日6時55分   http://on.fb.me/gXdDwV ←日本文

(さらに元の原文はこちら http://on.fb.me/gyDm4m

##ポールさんのメモを翻訳してから本人が原文に3カ所を修正しました。文中に示します。トム

さきほど東京の英国大使館の会見から戻ってきました。日本の原発の現状についてでした。英国政府主席科学顧問(Chief Scientific Adv...iser)ジョン・ベディントン (Sir John Beddington)が代弁者をつとめ、数名の原子力発電の専門家も同席しました。

 日本の現状について、彼らの状況判断は下記の通り:

●比較的悪い場合(1個の原子炉の完全メルトダウンとそれに基づく放射性爆発の場合)、避難エリアの30キロ(訂正前:50キロ)は人の健康の安全を守るために十分な距離でしょう。もっと最悪な状況でも、(2個以上の原子炉がメルトダウンする場合)1つの原子炉のメルトダウンのときと比べ、被害にさほど変わりはないでしょう。

●現状の20キロ退避指示区は現状の放射能レベルにたいして適切な範囲でしょう。このまま炉心への海水注入を続けることができれば、大きな事件を防ぐことができるでしょう。これからさらなる地震と津波が起きた場合、海水注入ができなくなる可能があり、その場合上記のメルトダウンが起こる可能性があるでしょう。

●基本的に、専門家は東京住人の健康への悪影響はないと予想してる。健康に悪影響を起こすためには現状の放射能の何百倍のレベルが必要。専門家はそのような状況にはならないと言う。(しかも、専門家は妊婦や子供へ影響するほどの放射能を基準にしていた。健康な大人にとってはさらに放射能のレベルが高くならないと影響はないという。)

●専門家は風向きは関係ないと言う。東京は現場から十分離れてるので、影響はないでしょう。 海水注入を続けることができ、原子炉を冷やすことができれば、状態は大きく上向くでしょう。 (訂正前●海水注入を続けることができれば、原子炉が冷え、10日間後に状態は大きく上向くでしょう。)

●日本政府からの情報は複数の独立した団体によりモニタリングされつづけ、放射能のレベルに関しての情報は的確と判断されてる。

●チェルノブイリとは全く別な状況です。チェルノブイリの場合、原子炉が完全メルトダウンし、手を付けずに何週間も燃え続けた。チェルノブイリでさえ、30キロ(訂正前:50キロ)に避難ゾーンがもしできたら、十分に人の健康を守ることはできたでしょう。
 チェルノブイリの場合、事件から何年も後まで現地の食料や水に含まれた放射能は一切モニタリングされなかったと、危険性についての情報も全く知らせなかったせいで、汚された食品、麦、牛乳や水などを食べ続けた現地の人々が病気になった。事実は隠されたチェルノブイリの事件とくらべ、今回の非常に開かれた福島の事件もその意味でも大きく異なるでしょう。

 ●ブリティシュスクールの学長が、休校をつづけるべきかどうかを尋ねた。専門家の答えは、放射能に関する恐れのためならば休校は必要ない。余震や建物の状態などに関する理由はありえるかもしれないですが、科学的に放射能の恐れは 子供にとっても全くありません。

●ヨード剤の補充に関して、専門家はヨード剤は現場で放射能を体内に吸収した場合や汚れた食料を食べた場合だけ必要と説明した。それに、ヨード剤の長期的利用は健康によくないと話した。

 会見は驚くほどフランクで正確でした。専門家の判断によれば、原発からの放射能の恐れよりも、地震と津波からの被害はもっと大きな問題でしょう。 専門家の判断を信じましょう! (荒い翻訳を許しください。間違えなどが見つかった場合、連絡ください。トム)
作成:: Tom Vincent

---------------≪ 引用ここまで ≫--------------

 参考の一つとしてどうぞ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川の上流を津波から守れ

2011-03-18 23:33:05 | Weblog
 開発局の河川担当の方から「津波の貴重な映像が取れました」という連絡を受けて、その映像なるものを見せていただきました。

 それは新釧路川で樋門(ひもん)監視カメラに映った映像で、津波が新釧路川を駆け上ってきて樋門にぶつかっているというものでした。


 樋門と言うのは河川の支流に造られる水をせき止める河川施設なのですが、堤防の中にトンネルとして作られているものをこう呼びます。

 大きな川の水害は堤防で守るのですが、支流がある場合はトンネルで水の流れを本川に導きながらその上に堤防のための盛土をします。

 このトンネルは手動や自動で閉じられるようなゲートになっていて、このうち比較的大きなものを樋門、小さなものを樋管と呼んでいます。

 大雨が降って河川の水の高さが上がると、支流に逆流してくることがありますが、そんなときはゲートを閉めて逆流を防ぐ役割を果たしているのがこの樋門や樋管と言うわけです。

    ※     ※     ※     ※     ※

 釧路河川事務所では今回の地震で釧路にも津波が来るというので管理している樋門を自動で閉じて様子を見ていたのですがまさに新釧路川を津波が遡上してきて、樋門にぶち当たり一気に河川の水位が上がる様子がしっかりと捕えられていました。これはなかなか貴重な映像です。

 これを見せていただきながら、(…ということは釧路川でも水位が上がったのではないか)と思いました。

 実は釧路川に繋がっている水面貯木場からこの津波によって多くの原木が流されて釧路川を流されるという被害があったのですが、その流木の一部は津波の影響で支流にも流されていたからです。

 そこで河川担当の方から当日の河川管理の状況を教えてもらいました。するとやはり「支流の水位が上がったので慌てて樋管を閉めに走りました」とのこと。

 釧路川の支流は道が管理する河川なのですが、そのうちの樋管のいくつかは市が管理委託を受けているのです。

「津波で川の水位が上がって逆流するのではないか」という連絡を受けて担当者が夜に川へ走り樋管を閉めて逆流を防いでいたのです。

「状況写真を撮ろうと川の低い方へ下がっていったところ急に水が上がってきて、一分もしないうちに堤防ぎりぎりまで水位が上がりました」と担当者はその瞬間の様子を生々しく教えてくれました。
 その後の写真では流された材木が上流まで上がって引っかかっています。


                 【材木もここまで上がってきました】

 
 樋管や樋門は、逆流を防ぐために閉めると今度はそこへ流れる水がたまって支流側の水位も上がりはじめます。本川の大雨が引かなければ今度は内水で氾濫を起こすため、水害は時間との戦いになります。

 本川の水位が下がればタイミングを逃さずに樋管を開けて内水の水位を下げなくてはなりません。河川は放ったらかしていて良いわけではなく、常に水位に応じた河川管理が必要。

 今回は2mの津波と言うことでしたが、上流の支流部でも堤防の高さぎりぎりまで水が上がってひやひやしたわけです。もう少し津波の高さが高ければ上流部でも大きな被害が出ていたでしょう。

 津波被害を防げるところでは担当者が必死で防いでくれていたのです。

 被害に会われた方にはお見舞い申し上げますが、いよいよこれからは日本中が避難している方たちを受け入れるステージに突入してきたようです。

 わが市でも受け入れの準備を始めています。

 市民の皆さんからもご協力もよろしくお願いいたします。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三陸地域と釧路の繋がり

2011-03-17 23:12:19 | Weblog
 水産関係者のお話を聞く機会があった。

 釧路はサンマの水揚げの多い港として知られているが、実は釧路にはサンマ漁船は一隻もありません。

 釧路のサンマは全てが三陸地方を中心とするサンマ船が道東近海までやってきて、サンマを獲っては一番近い港である釧路や根室花咲港に水揚げをするという構図。

 サンマは棒受け網漁という漁法で獲られますが、これは強い明りでサンマをおびき寄せて、船の反対側に仕掛けた網で獲るという、サンマの性質を利用したやり方なのです。


                 【サンマ棒受け網漁(釧路市水産業対策協議会のホームページより)】


 サンマの群れはシーズン後半になるとだんだん南下し、それにつれてサンマ船も南下してゆくため、時期によって水揚げをする港を移しながら漁をしています。

 昨年は例年よりもサンマの南下が早かったために船団も移動を速め、結果として水揚げでは5万9318トンを揚げた銚子港が水揚げ高で一番となりました。


                 【サンマの季節移動(釧路市水産業対策協議会のホームページより)】


    ※     ※     ※     ※     ※


 今年こそ頑張りって釧路の水揚げを取り戻したいと思っていた矢先の先の大地震と大津波。道東近海で漁をしてくれていた多くの外来船も甚大な被害を受けた模様です。

 今日聞いたところでは66隻の外来船がいたなかで30隻までの無事は確認できたそうですが、残りはまだ不明なのだそう。

 しかも無事が確認された30隻も、乗組員方の被害や漁具、船体の被害などの詳細は不明。被災された皆さんにお見舞いするとともに、被害が少しでも少ないことを祈らずにはいられません。

 そしてこのような状況では夏から秋のサンマ漁にも大きな不安が募ります。サンマを始めとする原魚が集まってこその加工産業や流通産業、資材産業であって、原魚を元にした経済が波及して地域が成り立っているのです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 世の中は動かなくて目に見える『モノ』である道路の上を、一見目に見えにくい物や人が流れているという『コト』が起きることで様々な経済を支えています。

 目に見えなくても繋がっていることを感じ取りたいものです。
  
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ日本では略奪が起きないのか ~ 神儒仏の綾なす国

2011-03-16 23:44:15 | Weblog
 社会のシステムが壊れた時には、一人一人の素養の力がむき出しになります。

 海外では大きな災害が起きた時には暴動や略奪といった無法状態が発生することが多いものです。しかし日本ではこれだけの被害を受けていながら、(きっと一部にはあるのでしょうけれど)暴動や盗みなどがなく、整然と列に並んでじっと耐える人たちの姿がクローズアップされています。

 特にこの姿は海外の人たちからは驚きをもって見られているようです。

 ---------------≪ ここから引用 ≫--------------  
「なぜ略奪ないの?」=被災地の秩序、驚きと称賛-米
  http://bit.ly/eXGf9I

 【ワシントン時事】東日本大震災の被害や福島第1原発事故が連日、トップニュースで伝えられている米国で、被災者の忍耐強さと秩序立った様子に驚きと称賛の声が上がっている。「なぜ日本では略奪が起きないのか」-。米メディアは相次いで、議論のテーマに取り上げている。

 CNNテレビは、2005年に米国で起きたハリケーン・カトリーナ災害や10年のハイチ大地震を例に「災害に付き物の略奪と無法状態が日本で見られないのはなぜか」として意見を募集。視聴者からは「敬意と品格に基づく文化だから」「愛国的な誇り」との分析や、「自立のチャンスを最大限に活用する人々で、進んで助けたくなる」とのエールも寄せられた。(2011/03/16-16:16)

 ---------------≪ 引用ここまで ≫--------------


 なぜ日本人がこんなに健気で忍耐強く、そして他人に迷惑をかけまいとする心が強いのかは、日本人でなければわからないことでしょう。

 また日本人であってもなぜそういう心性が養われているのかについて説明ができないかもしれません。

 全くの私論ですが、私はこの日本精神の根底に流れているのは「神儒仏の綾なす精神世界」ということではないかと思っています。

 神儒仏とは、神道と儒教と仏教のことで、それぞれに現れる善なる理想が混然となっているのが日本精神だと思うのです。

    ※     ※     ※     ※     ※

 元々は温帯モンスーン気候の中で生命力に満ちた日本の国土ではありとあらゆるものが育つ環境でした。そこで始まったのが原始神道で、ありとあらゆるものに生命があると感じられるアニミズムの世界が形成されました。

 古事記のなかで五番目に登場したのは「ウマシアシカビヒコジノカミ」。古代日本人はどんどん伸びる葦とどこにでも生えるカビにすら旺盛な生命の源を神性として感じたのです。

 また、いまだに捨てるものにさえ感謝をこめたり、物を粗末にすることができないのは物に強い生命性を感じるから。

 だから「はやぶさ」と名付けられた機械が瀕死の状態になりながら小惑星イトカワから粒子を持ち帰り、そして夜空に散った時に国民はみなその頑張りに命を感じ涙したのではないでしょうか。

 多くの恵みをもたらす太陽は私たちにとっては「お天道様が見ている」という神性を備えているのです。


                 【宇治市宇治上神社の参道】


    ※     ※     ※     ※     ※


 次に仏教です。もともとインドで生まれた時は自分自身が悟りを開く厳しいものでしたが、日本に入ってくる過程で大乗仏教という「祈れば衆生を助けてくださる存在」として変化しました。

 日本人はもともといろいろなものを吸収して自分たちの都合の良い独特な存在に変革を加えるのが得意な民族ですが、仏教も地の神様と一緒になりやすい性格を持っていたとも言え、ヒンドゥー教の神様も取り込んで日本に入ってきます。

 仏教が伝来したのち、どうやら仏様は日本の神様と違うんだなあということが分かると、神様も解脱したいのではないかと考えて神宮寺が建てられたり、そもそも仏教の仏様が日本人に分かりやすい形で神様として現れたのだという「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」という考え方が登場し、神も仏も一緒だという神仏習合の時代がおきました。

 これらによって神道的仏教や仏教的神道などが興るなどお互いが影響し合うこととなりますが、やがてアニミズムとともに日本人の心に刻まれている祖先崇拝の役割を仏教が担うこととなります。

 「葬式仏教」と揶揄する向きもありますが、祖先崇拝を立派に受け持っているのが今日の仏教だと思います。

 お盆でご先祖をお迎えして、新年には一年の無病息災を祈って初詣にゆくことを宗教的混乱だとは思わずに、何の不思議もなく自然に行えるのは、アニミズムと祖先崇拝の役割分担が行われているからなのではないでしょうか。


                 【京都南禅寺】


    ※     ※     ※     ※     ※


 仏教と大体時を同じくして儒教も日本に入ってきます。

 儒教の目指す姿は四書のうち「大学」で言う「修身斉家治国平天下」ということに尽きるでしょう。つまり自分自身の身を修め、家をなし、国を治めれば天下は太平になるというもので、目標とされるのは「仁義礼智忠信孝悌」などを備えた『徳』ということとされます。

 儒教こそ、最初のうちは目立たなくて仏教僧侶の教養くらいでしかなかったのですが、朱子学や陽明学と形を変えて江戸時代になって封建支配の中心思想となったことで大いに広まりました。

 一方江戸幕府は寺請け制度によって、国民にお寺で人別帳をつくらせることとし、今日の役場的な役割を寺に求めました。また同時に善なる国民としての教化を仏教によって進められることとなりました。

 19世紀初頭に北方の島々を探検して驚いたのは島のアイヌ人がロシアのキリスト教を信じかけていることで、慌てた江戸幕府は蝦夷三官寺を建てます。その一つが厚岸の国泰寺で、これは1804年に成立しています。

 
 こうして江戸幕府は儒教と仏教で封建制を維持していましたが、やがて「どちらも外国の教えではないか。日本には古より神道という素晴らしい教えがあったではないか」という国学が台頭し、これがやがて外国を排斥する運動と結びついて明治維新を迎えます。

 勢い余った神道はそのまま国家神道となってそれが第二次大戦まで続くこととなります。反動で嫌われた仏教は廃仏毀釈の憂き目にあって多くの貴重な仏像などもこのときに失われたと言います。

 とかく日本人は行きすぎるきらいがありますね。

    ※     ※     ※     ※     ※


 …とまあ、私なりにごく粗く神儒仏で日本の思想史の流れを俯瞰してみましたが、これらの徳目を縦横に駆使した思想を確立したのが二宮尊徳でした。

 彼は「わが思想は神儒仏正味一粒丸である」と言い、神儒仏のええとこ取りをして一つの丸薬にしたようなものだ、と笑います。


                 【小田原報徳神社の二宮金次郎像】



 今日、校庭から二宮金次郎の銅像が消えかけていたとしても、こうしたこと全体を日常生活の中で誰に教えられるわけでもなく日本人は感じ取っています。

 アニミズムによる「もったいない」精神、祖先や親をありがたいと思う祖先崇拝、徳を積むことが人間修養だ、という儒教の徳目。

 神儒仏という三つの思想・信仰が綾なしているのが日本人の思想体系であり、これらはもはや混然一体となっているために特定の宗教思想とは言えず、つい私たちは「無宗教なものですから」と言いがちです。

 そしてそれゆえ特に一神教の人たちから見ると、この混然とした日本人の精神世界は理解するのがかなり難しいのではないかと思うのです。


    ※     ※     ※     ※     ※


「なぜ日本では災害の時に暴動や略奪が起きないのか」

 この問いに対して、おそらく外国人の目からみると「日本人は素養が高いのだ」とか、「高い教育を受けているからだ」と説明するかもしれませんが、どちらも日本人の感覚からするとしっくりきません。

 我々の同じ問いを受けたとすると「なぜか、と問われても『日本人だから』としか答えられないような気がする」という答えになるのではないでしょうか。

 普段は突き詰めてそんなことを考えもしない日本人ですが、今この未曽有の大災害という国難を受けて、改めて日本人魂が覚醒したと言えるのではないでしょうか。

 覚醒した日本人は非常に強い力を発揮する国民性を有しています。  


 祖先崇拝の裏側は子孫への信頼でもあります。我々の今の繁栄は、子孫に対して豊かな社会を残そうとしてきたご先祖様たちがもたらしてくれたものに外なりません。

 
 さて、日本人の同士よ、そろそろ覚醒しましょう。

 そして子孫のための豊かな国づくりに参加しましょう。

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする