北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

釧根の国家的戦略性を語れ

2012-07-23 23:45:22 | Weblog
 昨夜の最終列車で札幌入りし、朝一番から根室市の長谷川市長を筆頭に、釧根地区の首長さんや議長さん達と共に釧根トライアングル構想の要望活動を行いました。

 札幌で道庁と開発局を回った後は夕方に東京入りして、明日もまた霞ヶ関を中心に回ることにしています。


 釧根トライアングル構想とは、釧路・根室・中標津の三つの集積を結ぶ道路の整備促進をねらった構想で、少しずつですが道路整備が始まっています。

 長谷川市長は根室地域の整備促進期成会の会長も兼ねているので、そちらの立場としては農業や福祉などの充実も併せて要望活動を行いました。

 どこでも地域からの要望活動は同じように行っていますが、 辺境の国境を接する地域にはまさに国が経済や基盤整備を支えるという強い意思をしっかりと内外に示すことが大事です。

 国には、各地域の持つ国家的戦略的価値をしっかりと意識してもらわなくては行けません。

 しかし対岸の北方領土ではロシアが国を挙げて約1,000億円もの投資を行って空港などの公共インフラの建設を進めようとしているのに対して、対岸の日本側は、国内で最も公共インフラの遅れた地域に甘んじているのが現実。

 このことは、『国はこの地域に満足にコミットする気はない』という、ロシアに対して誤ったメッセージを送ることにもなりかねない、と危惧の念が募ります。

 インフラ投資の意義や基準も、「費用対効果」のような画一的な経済的側面でしか語ろうとしない硬直した国の姿勢を変えるのは政治なのであって、こうした地域の問題点を国民の声でて動かしたいと思うのがこの地域の悲願です。

 ただやみくもに補助を増やせとか充実させろというようなことは言わないまでも、国として必ずしも仲良くなれない隣国と接する地域の位置づけを戦略的に考えて欲しい、と常に思います。

 領土交渉が進展しないなか、地元では元島民の数も次第に少なくなり北方領土返還運動も曲がり角に来ているよう。

 それでいて同時に、北方の島やロシアと根室との経済活動は相互の依存度合いが増しているのも現実です。

 まずは私たち道東に住む者が中心となって、問題意識をはっきりとさせ、それを道民運動そして国民運動へと継続させる活動をしっかりと行わなくてはなりません。

 国境を接した隣国との課題としては尖閣諸島以上の歴史と経緯があるのであって、マスコミにももっと北方領土問題を取り上げて欲しいところです。

 我々もちゃんと勉強しなくちゃダメなんですけどね。
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【おまけ】鉄男魂ここにあり~釧路鉄道車両フェスティバル

2012-07-22 23:48:21 | Weblog
 昨日の土曜日は午前中の業務で、釧路駅で今日から運行される「北太平洋 花と湿原号」の出発式に立ち会いました。

 花の湿原号は、釧路と根室間の花咲線を一日一往復する『夏の道東周遊紀行キャンペーン』の企画列車。

 今の時期の花咲線沿線は湿原の花や日本とは思われないような太平洋の風景を楽しむことができ、これを掘りごたつ式のお座敷列車でゆったりと旅していただけるのが「花と湿原号」です。


 【車両のグレードは特急並みなんだそうですよ】


 この日の出発式では関係機関からのご来賓を迎えるなか、大江JR釧路支社長と中山釧路観光協会会長から挨拶があり、その後にくす玉を開き出発を祝いました。

 会場には北海道デスティネーションキャンペーン(HDC)や釧路のゆるキャラも登場。

 HDCのキャラは、シカのかぶり物をしたエゾナキウサギの「キュン」ちゃん。これってエゾシカじゃなかったんですね。 

 また丹頂とマリモの特別天然記念物指定60周年にあわせてできた、つる丸と「まりむ」の二体のゆるキャラも併せて賑やかしに花を添えてくれました。


 【ゆるキャラ総動員】


 定刻の11時25分には観光振興大使のマーメイド釧路のお二人の合図で列車は出発。

 この日は、一往復限定で復活した急行「まりも」に乗車してきた多くの鉄道ファンが熱心に写真を撮っておりました。


 【出発進行!】

    ※     ※     ※     ※     ※


 そんな式典も無事終わったところで、知り合いのJR職員と立ち話。

「そうそう小松さん、今日は鉄道車両フェスティバルというのを運輸車両所でやっていますから時間があればぜひ行ってみてください。普段は見られない施設が見られるんですよ」
「あ、そうなの?じゃあちょっと行ってみようかな」


 そんなわけで、早速釧路の運輸車両所を訪ねて鉄道車両フェスティバルを見てきました。


 【ちょっとした出店もあり】

 なるほど普段は入れない構内で、間近に本物の車両や車両保全のための施設を見ることができます。これは鉄道ファンならたまらないでしょう。






    ※    ※    ※    ※


 【鉄道模型を見せてくれています】

 ぷらぷらと歩きながら一番奥の大きな建物の中にはいると、おっ、楽しそうな鉄道模型があって列車が動いています。

 遠くから見ていると、「おーい、小松さーん」と呼ぶ声が。見ると、鉄道模型の回りにいる大人達は、よく知っている釧路臨港鉄道の会の皆さんではありませんか。

「なあんだ、臨鉄の会の皆さんがやっているんですか」
「そうですよ。それにしても市役所の人がこのイベントに来たのは初めてじゃないかなあ」

「さっき知ったばかりですけどね(笑)それにしても、これは楽しそうですね。見ている子供達の目も輝いているけど、やっている大人達の方が楽しそうに見えますよ」
「分かります?狭い家の中でこれだけレールを広げて動かすなんてできませんからね」


  
 四本の線路を広げて、そこにそれぞれ思い思いの列車を乗せて走らせていますが、お得意の石炭列車はもちろん、懐かしの急行「まりも」から、カシオペア、台湾を走る急行のセットがあるかと思えば、なんと花咲線を走るルパン列車まであります。


 【石炭列車そのもの、引いているのは本物の石炭】


「すごい!何でもあるんだ。それにしてもルパン列車なんて売っていないでしょう!?」
「まあ鉄道オタクの執念で、無ければ作りますから、『無いものは無い』んです(笑)。ルパン列車も映像データから印刷を起こして貼って作りましたよ」


 【ルパン列車まであるとは!】


「臨港鉄道なんてここにしかないから自慢出来ますね」
「見てください、これを作った人は石炭も本物の太平洋炭鉱の石炭を砕いた粉を樹脂で固めているんです。質感が違うでしょ?(笑)」

「小さな赤いテールランプもつくんですね」
「そうやって売っている車両もありますが、なければLEDと光ファイバーで作ります。本物より明るい、というので、ファイバーの断面にちょいと色を塗って明るさを落とすなんてことまでやります」
「うわ~」

 私もほとほと感心したのですが、すると溜まりに溜まったこだわりとウンチクは止まりません。

「車両の中の明かりもLEDだと蛍光灯のような光に見えますが、白熱電球の色味を出すためにアクリル板を使って黄色味を出しています」

「ウェザリングと言って、ちょっと汚れっぽい色を付けて使われた車両のイメージを出したりします」

「お金さえ出せば、本物の運転レバー感覚の操作盤もありますし、ブレーキの音や汽笛、踏切ではドップラー効果の音まで出すものだってありますよ。もっともこれに心底はまってどこまでも追究してしまったら、家が一軒建つくらいどんどんお金がかかりますけどね。鉄道ファンにも様々ありますが、『撮り鉄(鉄道写真ファン)』くらいが一番お金がかからなくて良いんです。模型はお金がかかりますよ~」


    ※    ※    ※    ※



 東京には大きなジオラマを作ってあって、そこに自分の自慢の列車を持っていって有料で走らせるなどというサービスもあるし、横浜には個人コレクションによる博物館もできたとか。

 確かにとんでもないこだわりの趣味世界を垣間見た気がしました…が、間近で鉄道模型を見る子供達の目は爛々と輝いていて、もう動く列車に触りたくて触りたくてうずうずしているのが分かります。


 【子供達の目が輝いている】

 おまけに、「あ!ルパン列車だ!」と感動と驚きがすぐ声になって発せられますが、その声を聞いてはニンマリしているのが楽しいのだと分かります。

「秋には博物館で特別展示をしますから是非その時も来てください」

 とんでもない道楽の世界を垣間見た一日となりました。

 鉄男(鉄道ファンのこと)、恐るべし!


 【駅へ向かう送迎列車はルパン列車。これはたまらん】
  
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釧路市事業仕分け

2012-07-22 23:45:12 | Weblog
 昨日今日と二日間にわたって開催された釧路市事業仕分けが無事終了しました。

 まずは釧路市が行っている全ての1,600事業を対象にして、この中から仕分け作業で議論することが妥当と判断されたものを絞り込み約450事業を抽出ました。
 
 平成22年から始まった事業仕分けでは、過去二年間に231事業のうち38事業について仕分け作業を行って頂きました。

 今年はその後終了した事業などを整理したうえで残りの対象事業193事業から24事業を選定し、二日間かけて議論して頂いたものです。

 仕分け作業は一事業あたり60分を割り当てて、事業の内容説明、質疑応答、そして評価と意見集約という形で行われ、仕分けの判定は、「現行どおり」、「見直し、改善」、「抜本的な見直し」の三種類で判定し、総合的な意見とされます。

 市としては、この結果を踏まえて事業のあり方を改めて検討・協議して、議会議論を経て最終的な事業執行の方向を決定して行くこととしています。

 行政としては誤りのないように、またできるだけ効率的・効果的な事業執行を目指していますが、これを市民目線で見た時にどのように感じられるかを知ることは大変参考になる機会であろうと考えるものです。


    ※    ※    ※    ※





 二日間にわたる事業仕分けの結果は、「抜本的見直し」がゼロ、「見直し、改善」が6事業、「現行どおり」が18事業となりました。

 国会が事業仕分けを始めた頃は、世間的にも大きく注目され
、官僚の既得権を暴く劇場型ショーのような趣がありましたが、釧路での事業仕分けを見る限り、市政に関心を持って応募してくださった仕分け人の皆さんと、建設的で前向きな意見交換ができていたと感じられます。

 素朴な質問があっても、それに答えることが事業の背景や考え方の説明に繋がっています。

 今回の仕分け人の皆さんは、5月15日の説明会以来、積極的に対象事業の施設を訪問して直接担当職員から事情を聞くなど熱心に仕分け作業に取り組んでいただきました。
 
 ただそれにしても、やはり一つ一つの事業には大きな背景と長年の経緯、法律や条令などの制約条件があって、そうしたもの全てを短時間で説明することの難しさを痛感します。

「なぜ災害時に市民の避難意識は向上しないのか?」と面と向かって訊かれてもなかなか答えに窮します。

 ただそうした観点に市民の皆さんからも大きな期待があるということが改めて分かりましたし、意見の中には、「予算を増やしてでもこの事業を充実させて欲しい」という積極的なものもありました。

 ただただ経費削減のためではなく、真剣に市政に向き合っていただくと、足りない部分も見えてくることでしょう。

 いただいたご意見に対しては、十分に議論を尽くして、来年度予算編成などの機会を通じて真摯に対応して行くこととしたいと思います。

 仕分け人とコーディネーターの皆さんには、二ヶ月間にわたる仕分け作業へのご参加とご協力、誠にありがとうございました。


    ※    ※    ※    ※


 ところで余談ですが、昨年に引き続いて今年も事業仕分けの模様はUstreamを使ってネット配信を行いました。

 私も自宅で見ていましたが、昨年に比べても格段に音声の品質が向上していて、ストレスはありませんでした。

 映像配信と共に、ツイッターのようにコメントを書き入れる機能もあったのですが、それらの情報提供はやや散発。傍聴人などによるギャラリー参加などはまだ改善の余地があるようです。

 また、今回の事業仕分けがUstreamのトップページで紹介されたことから、釧路市民以外の人たちが関心を持ってアクセスしてきたようで、昨日は視聴者総数が438人だったのに対して、今日は8,699人に上りました。

 ネットの世界に火がつくと、数字は大きくぶれるという事象も目の当たりにしました。

 事業の見える化を今後どうして行くか、も今後の課題です。

 引き続きいろいろな挑戦をして行く必要があると思います。 
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BSジャパンのテレビ取材~窒素氷を売れ

2012-07-21 23:45:47 | Weblog
 釧路の中小企業に関するテレビ取材を受けました。

 取材に来てくれたのは、日経新聞アジア部編成委員の後藤康浩さん。

 後藤さんとはかつて伊豆で年に一度開催されている人づくりの会合で一緒になり旧知の仲。

 釧路の取材で会えるとはなんとも嬉しい、4年ぶりの再会です。





 今回取材の番組は、「アジアの風~小さな挑戦者たち」というタイトルで、釧路で水産物の鮮度保持に新たな技術を開発した窒素氷を扱う昭和冷凍プラント(株)さんをクローズアップした番組になるとのこと。

 釧路で水揚げされる魚などは、普通は氷で鮮度を保持して輸送されますが、氷の中に含まれる酸素が酸化を進行させて鮮度を落とします。

 そこで氷を作るときに水に窒素を送り込むことで氷の中の酸素を追い出して参加を抑制するという技術が窒素氷なのです。

 番組では昭和プラントさんの取材もしますが、この技術を釧路市としてどう評価するか、という点で市役所にも取材を求めて来られました。

 市としては、かつて120万トンを水揚げした釧路港が今や10万トンを割る漁獲高になった今日、魚を売る単位はトンではなく、一匹二匹という形で売れるような付加価値の付け方がテーマになるだろう、と考えています。

 商工会議所の肝いりもあって、魚種としては春先のトキシラズと秋のししゃもを釧路ブランドとして推奨していますが、どんな魚でも鮮度保持の期間を長くできる技術は、水産物の付加価値を上げることが期待されます。

 築地経由で、東京で鮮度の高いサンマを刺身で食べられる技術は、サンマの消費を上げることに繋がってほしいものです。


    ※     ※     ※     ※     ※




 釧路市への取材は副市長の私が受けました。

「新鮮なサンマを海外にまで売れるようになるでしょうか?」と後藤さんが訊いてきます。
「船による物流では時間がかかりますし、飛行機だと経費問題があって、なかなか難しそうです。ただ、魚の鮮度保持もありますが、この氷製造技術をプラントごと移出して、地域経済への貢献と社会貢献が果たされるということがあるかもしれません」

 一次産業というのは、その周辺産業への波及効果が大きいものです。

 これからも地域の技術を駆使して産物の付加価値を上げるような努力を続けてゆきたいものです。

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、番組の放送予定は、9月22日(土)のお昼12時30分から13時までの三十分。

 テレビ東京系BSジャパン7チャンネルです。どれくらいの時間を放送してくれるかは見てのお楽しみです。

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眼力を鍛えるちょっとの工夫

2012-07-20 23:45:57 | Weblog
 先週に続いて、家の近くの会館「アクア・ベール」で蕎麦打ち。ランチバイキングでの手打ち蕎麦の振舞いです。

 今回は弟子屈町の摩周蕎麦粉のうち、「キタワセ」と「キタノマシュウ」の二種類の蕎麦粉を打ってみましたが、どうやら「キタワセ」の方が美味しいようです。

 蕎麦粉をこねて玉にする過程でも、コシの強さはキタワセの方が強いし、水を入れた際の蕎麦の香りもキタワセの方が強く出ました。

 こういう違いって、同じときかできるだけ近いタイミングで比べてみないと良くわかりません。

 こうした微細な差異を感じる訓練を積むことが、眼力を養うには最適。私のキーワードは、「人生でどれだけ眼力を養うことができるか」ということです。


 【これは眼力でも「メヂカラ」と読むのかな】



    ※     ※     ※     ※     ※


 たとえば、蕎麦を打つのでも「週に一度、一玉ずつ打つ」のと、「二週間に一度、二玉ずつ打つ」のではどちらが上達すると思いますか。

 正解は、後者の「二週間に一度、二玉ずつ打つ」のほう。その理由は、一度打ってみた失敗やふと気づいたインスピレーションを、二玉目ですぐに修正したり形にできたりするからです。

 一玉しか打たないというのでは、短時間のうちに気づきを形にするという訓練ができません。

 スキルというのは、考えるのは頭ですが動かすのは肉体ですから、肉体が覚えないと身に付きません。反復練習も効果的なのは頭も体も同じです。

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 もう一つ蕎麦打ちで言うと、「もうこの程度で良いよ」という程度の見極めが大切です。

 蕎麦はもたもたして生地が乾燥するのを嫌いますから「可能な限り早く打て」と言われます。

 ところが早さばかりを意識して、コネる段階が不十分だと茹でた際にボロボロになってしまう蕎麦が出来上がります。

 それでいて、あまりに入念にやれば時間がかかってしまうので、「このあたりでよし」という判断を適切に下さなくてはなりません。

 蕎麦打ちを始めた頃はこの判断ができずにボロボロの蕎麦を何玉も家族に食べてもらったものですが、この判断もまた眼力です。

 どうせならいろいろなことを知っている方が人生は豊かになります。

 「これなら分かる」という、自分自身の眼力を一生をかけて磨き上げましょう。  

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日本残酷物語4~保障なき社会 (長いです)

2012-07-19 23:11:01 | 本の感想


 私の好んで読む本を多く出してくれているのが平凡社の『平凡社ライブラリー』シリーズ。

 釧路では書店にもおいているところが少なくて、なかなか手に入らないのが残念なのですが、このシリーズは実に良い本を単行本サイズで復刻してくれます。

 今日ご紹介するのは、「日本残酷物語4~保障なき社会」。

 このシリーズは全五巻で、多くの執筆協力者の原稿を山本周五郎や宮本常一などが監修し、1959年に初版を発刊、後に改訂が加えられたものを底本とした再編集復刻版です。

 初めて「日本残酷物語」というタイトルを見た時は、刑罰史とか拷問史を連想したのですが、そうではなくて、明治維新や戦争などによる社会の変化や技術・文明の深化、あるいは天災や事故などによっていかに庶民が日常の変化を迫られ、結果として没落したり困窮したり、そして不遇の死を遂げたか、ということを書きつづった記録です。

 そしていかにわが祖先の時代というのは社会的な保障のない時代を生きねばならなかったのか、という悲しい記録を現代に伝える本でもあります。


    ※    ※    ※    ※


 過去の歴史を眺める史観には二通りあると言われます。

 それは「失われた前代の知恵に惹かれる民俗学(者)」という見方と、「過去への不遜な断罪者としての歴史研究(者)」という二つです。

 だとすると、この本に登場するのは悪辣で狡猾な日本人によって苦しめられ泣かされる日本人ばかりであり、過去を暗く捉えすぎているかも知れません。

 しかしこの物語一つ一つが埋もれた過去の記憶であり、ここから何を学ぶかはひとえに自分たちの感性にかかっていると言えるでしょう。

 
    ※    ※    ※    ※


 かつて長野県に住んでいた時に、長野市の北にある小布施を訪ねたことがありました。

 ここはかつて有力な豪商がいて、日本史上最高の絵師である葛飾北斎を迎えて存分に活躍させた町でもありました。

 このようなところがなぜこんなに栄えたのかを調べてみると、ここは千曲川を使った舟運の荷を陸揚げした物流の要衝だったのです。

 現代には現代なりの都市の盛衰がありますが、かつて舟運で栄えた町がその舟運が廃れたことで活力を失って行くということが多くありました。

 かつて栃木県庁のあった栃木県栃木市の前身である栃木町も、町内を流れる巴波川(うずまがわ)もその一つ。
 
 明治18年に、東北本線が栃木、壬生、宇都宮を通る計画と分かった時、地元は舟運の消滅を恐れた問屋衆を中心に大反対運動が起きました。

 また農家も、「振動でニワトリが卵を産まなくなる」とか、「農作物が枯れる」と言い、線路の予定となった地主なども一緒になって猛反対を展開したのです。

 結局、鉄道路線は町の東側を通ることとなり、反対運動は大いに成果を上げました。

 最初のうちは東京まで荷を運ぶのに、鉄道でも三日、舟運でも三日かかり大きな変化はもたらされなかったといいます。

 最後まで残った船積問屋が廃業したのは大正初年のことでした。その間、鉄道による運賃は安くなり、船で荷を運ぶ舟人足の賃金は下がり続け、とうとう船頭や舟人足は廃業、船大工も無用の仕事となりました。

 文明の利器の変化は無情にも自分たちの生活を否応なく変えてゆきますが、そこには何の保障もありません。

 多くの人たちがそうした変化についてゆくことができず、歴史のかなたに消えているのです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 そして私が最も注目したのは、天災、それも津波によって多くの被害を受けた人たちの部分です。

 ここには明治29年の津波とそれから37年後の昭和8年の津波の被害を受けた三陸地方の物語が掲載されています。

 記録によると明治29年には死者21,953人だったのが、昭和8年では死者・行方不明者が2,955と大きく減っています。

 これは明治29年津波を生き延びた古老たちの知恵が残っていたからだろう、と推測されます。逃げ延びる知恵はいつの世も人命を救います。



 逆に、岩手県唐丹村は明治29年当時、三百戸を有する大漁村だったものがこのときの津波で奥の庵寺を残して全戸流出、約1,500名以上の死者を出しほぼ壊滅状態となりました。

 わずかに生き残った村民たちを相手に、助かった古老が浜から600mほど奥の高台を提供して、村を移転させようと提案。

 自らも本宅を移して説得にあたったところ、最初の内は数名が移転の意思を示して、移るものが現れました。

 しかし、他の人々は「津波はそうそう来るものではない」として、浜を離れては毎日の生活が不便でならないといい、イカの豊漁が数年続いたころにはついに被害現地に復興してしまったと言います。

 やがて、一度奥へ移動した者たちまでが、遠くにいることをへんに感じて、全員が浜へ降りてしまいました。

 そして昭和8年に再びこの地を津波が襲った時には、全村百一戸が谷奥の一戸を残して全部流出。当時の村民620名に対して、死者・行方不明者は325名に達したのです。

 歴史が繰り返される中で、私たちは祖先の苦しみをどのように教訓とできるのでしょう。

 ほんの少し前の歴史を紐解いて、何の保障もなく辛かった祖先の時代を学ぶところから始めてはいかがでしょうか。
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あなたはそれでも観ますか?

2012-07-18 22:37:57 | Weblog
 市長と出かけるために市長車に乗り込んでいたら、後から市長がやってきて、「ねえねえ、結果の分かっているサッカーの試合なんて見る?」と訊いてきました。

 一瞬なんのことかわからず、「え?なんのこと?」と訊くと、「いや僕の知人が、サッカーの試合を録画して観るというんだけど、そんなのは結果がネットにも出ていて勝ったのか負けたのかも分かっているわけよ」
「はいはい」

「僕は結果が分かっているサッカーの試合なんて、ゴールシーンくらいは見るかもしれないけれど、90分もずっと観戦しようなどとは思わないから副市長はどうなのかな、と思ったのさ」
「なるほど」




 どうやら市長は結果の分かっているサッカーの試合を見るのか見ないのかをあちらこちらで訊いて回っているよう。

「あ~、考えてみたら私は…観ますね。先日のサッカーも録画してみましたよ」
「ええ?見るの?なぜ?」

「いや、試合運びや、これはと思う選手の動きなんかを見て、相手チームを幻惑したら(ああ、今のプレーは上手だな)とか、攻め方が上手いか下手かなどを面白く観ますよ」

 すると市長は、「信じられないなあ!そんなの時間の無駄じゃないか。勝った負けたにそれ以上のことはないでしょう」と驚くので、「いや、試合運びなんかは目が肥えていた方がいいのじゃないですか」と意見は異なります。

 次の市長の一言は、「勝負は勝つか負けるかで、そこに美しい負けも、惜しい試合もないものだと僕は思うんだよなあ」 

 そこではっと行き着いたのは、「それって選挙を戦う政治家だからじゃないですか?一票差でも勝ちは勝ち。そこに惜しい戦いも美しい負けなどはない、ということじゃないですか」という言葉。

「ははは、それは分かりませんね。でもとにかく僕はそういうのは見ないってことだな。時間の無駄じゃない~?」


 試合を勝ち負けに関わらず楽しむ見方をする人もいれば、結果が分かっていればもう中身はどうでもいいという人もいます。

 あなたはどちらですか?


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釧路木鶏クラブ7月例会

2012-07-17 23:45:28 | Weblog



 釧路木鶏クラブ7月例会。

 この会では、毎回リーダーを一人選んで、記事の内容の感想を語り合ったり、最近の話題について意見を交換したりします。

 今回は私がリーダーで、最初の記事はアサヒビール名誉顧問の中條高さんによる「昭和の遺言状」。

 記事の趣旨は植民地化が東進する動きに対して国を守らねばならないという命がけの所作が日露戦争であったということ。

 また、その後の日本封じ込めによって大東亜戦争に敗れたがその後の占領政策によって日本の美質が失われたことを深く憂いています。

 そこで著者の中條さんは、佐藤一斎の言葉を引いて、「一燈を下げて暗夜をゆく。暗夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め」と言います。

 暗夜のような戦後の日本が半世紀以上も続く中で、嘆くばかりではなく一燈を下げて進もう。志ある人たちが集まって万燈がこの国を照らす日を待とう、と締めくくります。

 かつての日本の美質を懐かしみ惜しみつつ、それらにあふれた国を目指そうという昭和の遺言状です。



    ※     ※     ※     ※     ※

 

 この戦争について、戦後の昭和天皇の回想としてこんな言葉が残されています。

「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦後の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州(カリフォルニア)移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに十分なものである。又青島還付を強いられたこと亦然りである。かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない」

 また、「(戦争の)近因は、石油が禁輸されたことである」という趣旨の言葉も述べられています。

 石油の輸入を止められたために戦争に踏み切ったということはよく知られていますが、実はそのはるか前から日本人移民とそれを排斥しようとする感情モノ釣れという伏線がありました。

 戦争の歴史は、一人でも多くがその真実を考えたいものですね。


    ※     ※     ※     ※     ※


 その後の意見交換では、どうしても大津市でのイジメ問題に対して話題が集中します。

 いじめをなくすにはどうしたらいいか?という問題には、参加者から「大きなイジメの前に、小さな徴候があるはず。机を話すとか妙な目配せをするとか、体を避けるというような微妙な変化を見逃さずに、すぐに『ダメをダメと言う』ことでその確率を下げることができると思う」という意見が出ました。

 また、「あなたはいじめられていますか?」というアンケートは現実的ではない、という意見も。

 それは「もしいじめられていたとしたら、何か書き込んでいることでそれがばれてしまうから、書くのには勇気がいる」から。

 大津の事件では報道されない陰の部分が多そうだ、ということでは意見が一致。

 今日の参加者は13人。皆さんの中に「致知の読者」はいませんか?
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道東を楽しむ人間力

2012-07-16 23:45:46 | Weblog



 一年ぶりに釣りの大師匠Mさんの個人指導を受けました。

 場所は足寄町にある北海道アドベンチャーフィッシング倶楽部が管理する白糸山荘の管理釣り場。

 ここではニジマスを大きな池で飼っていて、ここでフライフィッシングの様々な練習をすることができます。

 狙ったところにフライを投げ入れるキャストはもちろん、どんなフライに対して食ってくるかのフライ選択、そしてフライに食いついた時のリールファイトや最後の釣り上げ方の練習などもOK。

 ニジマスはなにしろ魚体も大きく、フライを食ったあとにはダーッと遠くまで泳ぎだすので、リールと竿を上手に使わないと竿がおられたり釣り糸を切られたりするので、簡単に釣り上げられる相手ではありません。

 ここで存分にニジマス釣りの練習をしておくと、本物の川でニジマスに出会った時もパニックにならずにすむというわけ。釣りの初心者にはありがたい練習場です。

 
 Mさんとは一年ぶりの再開ですが、教えられたことがなかなかできずに苦笑いされながらの指導の連続。

 私が何度放り込んでも無視される魚たちが、Mさんが同じところに投げ入れると一発で食ってきます。

「私とは何が違うんですか?」
「あなたのは、ラインが先に落ちてその後にフライが落ちてるでしょ?魚は何かが落ちてきたらそこに意識が集中する。ラインが先だとフライには注意がいかなくなりますよ。僕のはラインより先にフライを落としているから、反射食いで食いついたんでしょう」




 キャスト一つでも、軽く振っているように見えてもドーンと遠くまで伸びるMさんの技は、何回見せられてもその通りにはできません。

「水面の上であんまり早くラインをビュンビュン振り回すと魚は引っ込んじゃいますよ。鳥の速さ以上のスピードには敏感だからね」
「魚の気持ちが分かるんですか?」

 釣りは投げ入れる前から勝負が始まっています。


    ※     ※     ※     ※     ※


 しかし今日はなかなか魚たちも渋くて、いろいろなフライを次から次へと試してはみるものの簡単には出てくれません。
 
「出ませんねえ、ビートルかなあ。甲虫のフライを巻きましょう」

 そう言ってMさんは管理所に置いてある道具で甲虫のフライを巻き始めました。その匠の技や細かい工夫にも豊富な知識に感心するばかりです。

 キャストの奥義から魚の気持ちまで、フライフィッシングの奥深さを改めて感じた一日となりました。


    ※     ※     ※     ※     ※


 つくづく道東のフィールドはドライブして宿泊するだけではもったいないと感じます。

 釣りに限らずバードウォッチングやシーカヤック、登山に乗馬にカヌーなどなど、自分が楽しむスキルを身に着けてこそ、真にその魅力を現わす懐の深いフィールドと言えるでしょう。

「あれは何?それはなぜ?」

 人に頼ってばかりでは現場での真の魅力に触れることはできません。

 体術スキルや眼力、体力、知識など自分自身の人間としての能力をフィールドの中で磨きあげる過程こそが楽しく、そして能力を身に着ければこそますます人生を楽しむことができるというわけです。

 フィールドにはパソコンはいりません。

 自分自身をフルに機能させる生き方こそが求められます。
 


 【リールファイトの練習成果】
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雑誌「社会教育」7月号に論文掲載~榛村さんもいた

2012-07-15 22:33:15 | Weblog


 財団法人全日本社会教育連合会というところから、生涯学習の現場から思うところを書いてほしい、という原稿依頼があったのは二カ月前のこと。

 普段お付き合いしたことのない団体だったので連絡をして確認をしてみたところ、ときどき私のブログを読んでいて、生涯学習に対して一家言あるということをかねがね面白く読んでいました、とのこと。

 何を書いても良い、ということだったので、掛川での経験をもとにして、「生涯学習まちづくりの現場から~意思と能力と関係性の視点から」という一文を寄稿しました。

 雑誌そのものは、各自治体の教育委員会や図書館などにはあるのかもしれません。定価780円となっていますが会員じゃなくてもバックナンバーを売ってもらえるものかどうか。

 雑誌が発刊となったので、私の寄稿文についてブログでの掲載が可能かどうか伺って、許可が下りればいずれ掲載しておきます。



 ところで、今回の雑誌では私の文章が論文のトップとして掲載されていますが、その前のページで巻頭言を飾っているのがなんと私がお世話になった元掛川市長の榛村純一さんではありませんか!






 掛川の元市長と元助役でワン・ツーを飾るとは偶然にしても面白いですね。

 機会があればぜひご覧ください。

【月刊社会教育7月号目次】 http://bit.ly/MrkBFZ






    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、そんな榛村さんには季節の贈り物として釧路のエゾシカスープカレーをお届けしました。


 【お中元はこれでいかが?】


 届くや否や早速お礼の電話がかかってきました。

「お久しぶりだね。今回はまた珍しいものを贈っていただきありがとう」
「増えて森林被害を発生させているエゾシカ対策のために、エゾシカを食べようという運動から生まれた商品です。森林組合長としても意味のある食材ではないでしょうか(笑)」

「これは新しい商品なの?」
「ここ1~2年くらいだと思います。掛川の暑い夏に向かって、カレーで夏バテ対策にしてください」

「はは、ありがとう。そうそう、そういえば『社会教育』にはあなたの論文も出ていましたね。僕はあなたが書くなんて知らなかったんだよ」
「私も、途中でそれを知って驚きました。かつての市長と助役が雑誌の頭を飾るというのは愉快ですね。私も未だに生涯学習やスローライフの伝道師で食べさせてもらっていて、ありがたいと思っています」

「ははは、それはいいね。ではお元気で」
「はい、榛村さんもお元気で」


 勝手に弟子だと思っている私ですが、久しぶりに師匠とお話ができて楽しい時間でした。


    ※     ※     ※     ※     ※


 自治体の生涯学習は掛川が発祥ですが、その姿は掛川での思いとは別に、各自治体ごとの創意工夫の中でいつしか様々な生涯学習観が誕生しています。

 しかし榛村さんの言葉で語られる以上の深みが生涯学習にはある、というのが私の持論。

 そこには榛村さん自身が気付いていない私なりの解釈もあるのですが、あくまでも原点は掛川での三年間に私が見聞した見て聞いた経験に外なりません。

 掛川の生涯学習を知る数少ない伝道師として、この意味を発展させて、古くて新しいまちづくり思想として自治体にもっと伝えたいというのが私の願いです。

 中国や日本の古典や西洋の哲学までも概観しつつ、人間の限界と可能性にまで視野を広げた思想が掛川のそして私の生涯学習のまちづくり観。

 この面白さは伝えずにはいられないのです、はい。

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