北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

やはり事件は起きるもの、そのためにどうしておくか ~ 都市計画学会のエクスカーションにて

2017-11-10 23:30:54 | Weblog

 都市計画学会全国大会のエクスカーション(見学旅行)に行ってきました。

 新千歳空港で集合して11時にバスで出発、小樽駅で待ち合わせする部隊と合流してから、余市のオチガビワイナリーさんと、ニッカウィスキー蒸留所を訪ねるというコース。

 テーマ名を「北海道産業今昔」として、かつて石炭で栄えた空知~小樽を思いつつ、昭和9年から始まった余市でのウィスキーづくり、そして今日のローカルワイナリーの勃興の姿を見てみよう、というわけです。

 もともとは一週間後の日程で開催する予定だったこの全国大会ですが、来週の週末に人気アイドルグループの「嵐」が来るというので、一週間早めたこの週末。

 まだ気温がそれほど低すぎるほどでもなく、またブドウ畑ではまだ収穫直後のブドウの葉っぱが残っていたり、普段の栽培の様子が伺えてぎりぎりの良い季節でした。

 オチガビワイナリーさんでは、ワイン醸造の現場を一回り見せていただいた後で、ちょっと高級なワインも試飲させてもらえて、(やっぱり高いワインは美味しいな)ということを実感。思わず一本買ってしまいました。

 


            ◆  


 ニッカウィスキー蒸留所では、自分たちのガイドで案内をしましたが、参加者の七割以上はNHK朝のテレビドラマ「マッサン」を見ていて、ドラマ撮影でも使われた施設などを見ていただきました。

 

 
 施設内の見学はどちらの施設もほぼ想定した時間通りに過ごせたのですが、やはり事件は起こるもの。今回のハプニングは集合時に起きました。

 まず10時50分集合予定だった新千歳空港ですが、男性二人で来るはずだったコンビの一人が飛行機に乗り遅れ、その連絡は私のところに来たものの、肝心の飛行機に乗れたはずの方が相方を待って集合時間が20分遅れに。

 その遅れは、余裕をみていた新千歳~小樽駅間の行程の余裕で吸収したのですが、今度は小樽駅へ来てみると、札幌~小樽間でJRが線路トラブルで電車が止まっているとのこと。

 13時には出発予定だった行程ですが、私の携帯にはJRに乗った参加者から「電車が遅れている」という電話がじゃんじゃん入ってきましたが、やがて、全員13時10分には到着できそうだ、という情報が入りました。

 なかには「行程が遅れるようなら置いて行ってください」と言う人もいましたが、「いえ、全員拾って参加できるようにします」と全員参加を優先。

 ここでの出発の15分遅れもまた余市までの間で吸収しました。

 このような遅れが解消できたのは、行程の中にある程度どうでもよいコース設定を含ませていたから。小樽駅からは直接ワイナリーに行かずに、一度小樽運河周辺を巡る行程を入れておいたのですが、これをカットすることで、足りない時間を取り戻しました。

 一見、意味のある行程のように見えますが、全体としての優先度は低いので、いざとなればなくても良いと判断できるようなプランを混ぜてあるのです。

 つまり、リダンダンシー(=冗長性)という余裕を少しずつ持たせておくことで、全体行程を調整することができる。

 全てがうまくいく前提でびちびちの計画にしておくと、何かがつまづいたところでその後ろ行程が全部ずれてしまって計画が破たんしてしまいますが、計画に余裕を持たせておくと計画の破たんが避けられるというわけです。

 最終的には夜の交流会の会場まで5分遅れで到着し、交流会の開始には全く影響を与えず、行程管理はほぼ理想通りに終わり、ほっと一安心

 エクスカーション担当責任者としてのミッションを無事に終了することができました。

 参加してくださった皆さんも、見学内容ともども満足してくださったようで、私の喜びもひとしおです。

 計画には余裕を。良い経験でした。
 

 

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スローライフと報徳と ~ 榛村さんの切り口は今でも新鮮

2017-11-08 22:06:33 | Weblog

 

 掛川の朝は雨でした。

 今回の来掛の目的は、午前中にタイ国から来ているスクウィンさんという博士とスローライフ談義をすることです。

 スクウィン博士は、イギリスやアメリカなどいくつもの大学でビジネスや心理学の博士号を取り、またさらにいくつかの学問領域でもマスターを取得している学者さんです。

 その方が、スローライフというキーワードに興味をもっていろいろな国でのスローライフ活動を調べてみたところ、なんだかんだ言って、掛川のスローライフ運動に行き当たるということで、掛川に興味をもって突然訪問されたのだそう。

 最初の時は3日間の滞在で、その次が8日間だったのですが、この際に外国人の観光客へサポートサービスをする国際交流センターの対応もよかったようで、いたく掛川を気に入りました。

 そこで、「スローライフに詳しい人に会いたい」というリクエストを出し、それが当時一緒にスローライフ運動をした人たちに届き、「とはいえ、スローライフ運動は当時の榛村市長と小松助役から出た話だし…」ということになり、スクウィン先生は榛村さんへのインタビューと、私にも会いたいということになったのだそう。

 スクウィン先生、「小松さんに会うなら札幌まで行ってもよい」とおっしゃったそうですが、私が札幌で二人だけで話をするよりも、私が掛川へ行けるならそこで、当時の仲間たちと一緒に話をする方がわかりやすい、と思ったので、東京出張のついでに掛川まで足を延ばしたのでした。

 さて、スクウィン先生は榛村さんを含めて何人かから聞いた話をもとに、スローライフ運動が成り立った要素を自分なりに整理した図を作ったりして、とにかく動きが速い。

「スローライフ運動は、これからの時代にとても時宜にかなった意味を持つので、これを学ぶ大学を掛川に作って、学生を世界中から集めたい」と壮大な構想を話してくれましたが、まあ大学はさておき、私からはその当時に私が考えていたスローライフ運動の背景をプレゼンテーションしました。

 そして、「スローライフ運動のような意識改革、生活改革、価値転換は、本来行政がお金をかけるテーマではないと感じたので、受け皿としてNPO団体を設立して、市民活動として継続を図った」といった、当時の事情を説明しました。

 スクウィン先生の方は、母国タイが中国資本が過剰に流入することで一部の経済は潤っているものの、それに起因する様々な弊害に心を痛めていて、それらを"Social pollution(社会的汚染)"だ、と批判し、それに対抗できる生活思想がスローライフなのではないか、と期待を寄せているようでした。

 対談の中で私が気付いたことは、私も掛川へ来てすぐの頃は生涯学習という考え方を素晴らしいと思ったり、やがて報徳思想を学んでこれもまた立派なものだ、と感心した、そんな外部の人間が新しいことに触れて目からうろこが落ちるような驚きと高揚感の中にいるのではないか、ということでした。

 それこそ慌てて拙速に考えをまとめてしまうのではなく、もう少しじっくりといろいろな出来事に触れて、多くの人と語る中で、日本の地方都市における都会とは異なる価値観としての生活哲学としてスローライフをとらえてみる方が良いと思った次第。

 でもこういうすごい人たちを引き寄せたのが、かつての掛川市政の遺産なんだ、と思うと、かつて15年以上も前にわけもわからず一生懸命に取り組んだことがちょっと誇らしくもなりました。


       ◆ 


 昼前にスクウィン先生との対談は終わったのですが、そこで「榛村さんに会えますかね」と訊くと、「なんか榛村さんも、小松さんが来ているなら会いたいな、と言っていたようですよ」とのことで、午後に報徳社をお訪ねして榛村さんとお会いしてきました。

「やあ、久しぶり」
「お久しぶりです、お元気ですか」

 会えばやっぱり時間が15年前に戻った感じ。話は生涯学習からスローライフ、報徳へと縦横無尽です。

「そうだ、新しい報徳の本が出た話をしましたか?」
「いいえ」

「じゃあ一冊差し上げますよ。僕も寄稿を頼まれて、はじめの方に報徳とまちづくりに関した文章を載せてもらっているんですよ」
「おお、本当だ、参考になります」

 

 久しぶりに二人で対談した風景を写真に撮ってもらいました。懐かしい風景です。

 
 掛川では現在開催中の「茶エンナーレ」という現代アートプロジェクトが開催中です。これを榛村さんはどう捉えているか訊いてみました。

 すると「現代アートを『なんだかわからない』と言って批判する人もいるけれど、軽々しく批判しない方がよいと思うのです」
「はい」

「戦国時代に当時の現代アートを作ったのは、安土城の天守閣です。あんなものはそれまでなかったわけで、それをやったのは織田信長。信長は当時の現代アートプロデューサーだったわけで、そういうところから新しい時代が作られるということがあるんだから、今日の現代アートも軽々しく考えない方が良いと思いますね」

 私からのいろいろな質問にも、思いもよらない角度から考えを述べられる榛村さん。まだまだご健在ですね。

 今日一日、いろいろな人にお世話になって掛川を案内してもらいました。

 皆さんありがとう。お世話になりました。また行きますよ。

 

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居酒屋のルール ~ 思い出した掛川の風景

2017-11-07 23:44:32 | Weblog

 

 夕方の新幹線で掛川入り。今年春の自転車ツアー以来の掛川訪問です。

 早速駅前の居酒屋で歓迎をしてくれて、掛川市役所の職員の皆さんをはじめ、いろいろな人たちが集まってくれました。

 駅のあたりを歩いていて、思いのほか新しいお店、それも小洒落た飲食店が増えていることに気が付きました。

(夜だったら人通りも多いのかな)と、ちょっと嬉しくなりましたが、馴染みのお店というような感じではないので、ちょっと都会的な感じもします。

 我々の集合場所は、と言えば、居酒屋「S」と決まっています。

 ここはこの地域の人たちの息抜きの場であり、情報交換の場でありかつ互いの無事を喜びあうような、そんな機能が混在した独特の空間。

 ここでは一見(いちげん)さんが店に入って、(あ、席が空いている)と思っても、勝手にそこに座ってはいけません。

 なぜなら、5分後にその席に座る常連さんが来るかもしれないから。

 そんなところに知らない客が素知らぬ顔で座っているというのは、周りの客にとっても居心地が悪かったりするので、お店の方に座っても良いかどうかを聞きましょう。

 そして知り合いにあったら必ず声をかけられるし、声をかけること。

「義さん、お久しぶり、お邪魔してます」
「お、コマっちゃん、また来ただな」ってな感じ。

 こういう日常が穏やかに過ぎてゆくのが地域の居酒屋です。

 
    ◆


 ところが今日は、ちょっと雰囲気の異なる若い一団が一角で楽しそうに飲んでいます。

 しまいには若いイケメンのお兄ちゃんがもろ肌脱いでかっこいい肉体を見せ始めました。

(おー、ここの居酒屋も客相が変わったなあ)と思っていたら、二次会でここの常連が「あれ、さっきの一団ですが、先代のご主人だったら追い出してたんじゃないかなあ」と言います。

 とてもかわいがってくれた先代のご主人は既に亡くなっていて、息子さんが継いでいるのです。

「やっぱりそう?客相が変わったなあ、と思ったけれど」
「いやあ、あれは駄目でしょう。チェーン店の飲み屋と勘違いしていますよ」


 私がいたときは、そういったこの場所でのルールや振る舞い方を教えてくれる周りの人たちがいましたが、そういうことを伝える人もいなくなりましたかね。

 まあそれが都会化する、ということなのかもしれないね。

 しかしかつての仲間たちと愉快に話をしていて気が付いたのは、僕の記憶の中にある掛川は、十五年前の思い出がそのまま冷凍保存されているイメージだということでした。

 かつて若かった人たちも歳を重ね、常連さんも消えてゆく。

 古き良き思い出の中に生きる僕と、日々変わってゆく今を泳ぎ続けている現地の人たち。

 今の掛川を生きている人たちの思いと、僕の記憶にはきっとたくさんのギャップもあるに違いありません。  

「そういえば昔はねえ…」というのは年寄りの繰り言になってしまいそうです。

 過去を踏まえつつも、未来志向の考えを示す方が建設的ですね。
 
 まあでもやっぱり懐かしい友がここにいる。心の故郷があるって良いものです。

 二次会では羽目をはずしました。来てくれた皆さん、ありがとう!


 

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東京はトランプデー

2017-11-06 22:29:55 | Weblog

 

 久しぶりの東京出張。

 トランプ大統領が来日中ということで、都内の警備はさぞ厳しかろうと、新千歳からの東京行きの便はどうかと早めに空港へ行きました。

 しかし空港でのチェックはそれほどでもなく、通常通り。ちょっと肩透かしを感じながらのフライトでした。

 東京は最高気温が23℃と温かく、札幌で着ていったコートは邪魔者。 

 空港での様子は穏やかだったものの、都内では交通規制が厳しく、辻ごとに警察のバスが止まっているし、警官も集団で周囲を見回っていて、いかにもものものしさが伝わってきます。

 移動のために乗ったタクシーの運転手は、「帝国ホテルの前が一車線に規制しているものだから渋滞で渋滞で、今日はもう商売になりませんわ」とあきらめ顔。

 笑ってもいられません。16時05分にアポを取っていた要人が、空港からの移動で渋滞に巻き込まれて、一向に到着しません。

 しかしそのおかげで、一緒に立ち会ってくれることになっていた国会議員の方と、じっくりと30分以上も会話を重ね、思いのほか濃い要望の時間になりました。

 結局約束していた方と会えたのは、もう17時近かったのですが、所期の目的以上の成果が上がりました。

 外を歩くと、日米の国旗が仲良く街頭につけられていました。

 今日の東京はトランプデーでした。

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漁村を救った報徳精神 ~安藤孝俊翁のおはなし

2017-11-05 23:45:45 | Weblog

 

 来週に、またあるところからお声がかかって、お話を聞きたいというので、「二宮尊徳の報徳と北海道の漁村振興」ということで講演を予定しています。

 北海道では、昭和十年代に道庁に赴任した遠山信一郎さんという経済部長がとても報徳思想に造詣が深く、これを推し進められました。

 これに深く感銘して、報徳をちょうど始まっていた協同組合運動の精神的支柱として役立てて、農漁業の発展の基礎を築いたのが、酪農の黒澤酉蔵、農業の小林篤一、水産の安藤孝俊の三人です。

 この三人が活躍した大正から昭和の時代は、まだまだ社会制度や経済など全般に成熟していない部分が多く、商人たちによる搾取が後を絶ちませんでした。

 そのため弱い立場の農漁業者たちは厳しい立場に置かれ、貧困から抜け出せずにいたのです。

 さらには、冷害や災害が多発し、戦争、敗戦、復興などという過酷な時代でもありました。

 そうした中にあって、この三人には、苦難に耐えて協同組合活動を経済発展のよりどころとして、貧困にあえぐ農漁民を奮い立たせ、物心両面で尽力したという共通点があります。

 この三人の中で、一人安藤翁だけが違うのは、道庁の遠山部長からの報徳を学ぼう、という誘いに最初は拒否を示していたことです。

「偉い部長が言うので、出世のためならと報徳を学び、口先だけ報徳を唱えているような輩は、遠山さんが北海道を離れたころにはもう報徳とは言わなくなった」と、上司にへつらう者どもに批判的でした。

 ところが黒澤翁や小林翁が、酪農と農業の部分で成功を収めて行ったのを見て、改めて報徳を学んでみたところ、実に協同組合活動と親和する部分が多いことに気がついて、これを精神的な中心に据えた活動とすることに決めたのです。

 
 今日とは時代背景が大きく異なりますが、制度があってもそれを運用するのが人である限り、大いなる自覚を持って自ら動く人が増えることこそが豊かな社会に繋がることでしょう。

 
 二宮尊徳の最後の日記には、「予が足を開け、予が手を開け、予が書簡を見よ、予が日記を見よ、戦々兢々として深淵を臨むがごとく、薄氷をふむが如し」とあります。

 困ったり苦しくなったら、二宮翁の本を読んで、心の荒蕪を拓きたいものです。

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余市の視察コースを事前調査してきました ~ ニッカ工場とワイナリー

2017-11-04 22:38:56 | Weblog

 来週末に、都市計画学会の全国大会が札幌で開催されるのですが、それに先立って、金曜日にエクスカーション(見学旅行)として、余市方面で、ニッカウィスキー工場やオチガビワイナリーさんへの見学を予定しています。

 今日は最後の詰めとして、事前のチェックのために妻と一緒にこの二カ所を巡ってみました。

 改めてニッカウィスキー工場を見学してみましたが、見れば見るほど今まで気が付かなかったことにも気がついて、勉強になりました。

 樽の作り方など、見学の要素も以前より増えていて、まともにじっくり見ていると時間が足りなくなりそうです。

 本当ならばガイドさんについて回りたいところですが、こちらのガイドシステムは00分か30分開始で、しかも事前予約の人数枠もあり、時間が1時間30分かかるというものなので、来週のエクスカーションの予定では微妙に時間が合わず、個人見学とすることにしました。

 今日はその個人見学を自分でやってみましたが、思いのほか時間がかかってしまい、試飲コーナーまでたどり着くのに、予定の1時間15分を過ぎています。

 試飲コーナーでは二種類のウィスキーとアップルワインの三種類を試飲できますが、試飲だってゆっくり味わうと30分くらいすぐに経ってしまいそう。

 お土産まで買おうと思うとさらに時間の余裕が必要だということが、実際に歩いてみてよく分かりました。

 遠くの山々の頂上付近は雪が降っていて、歩いていても寒いのですが、園路は一層秋が深まっています。

        ◆ 

 一方オチガビワイナリーさんでは、先週がちょうど収穫の最後の作業だったそう。

 収穫を終えたブドウ畑ですが、品種ごとの葉の色の変化もきれいです。ローカルワイナリーの晩秋の風景もまた良いものです。

 天気が良ければ、冬と秋の混じったきれいな風景が見られそうです。

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神様には名前を名乗りましょう

2017-11-03 23:03:18 | Weblog

 

 今日は孫の七五三のお宮参り。

 写真屋さんで羽織袴で写真を撮った後に、今度はお宮参り用のレンタル羽織袴に着替えて北海道神宮へ行ってきました。

 長女もちょうど本厄なので一緒にお祓いを受けてきました。

 祝詞ってちゃんと聞いていると、お祓いに来た一人一人の住所と名前を読み上げて、子供の健やかな成長や、禍事(まがごと)のなきようにといった、願い事も神様に伝えてくれています。

 なんだか神社へ来たのが久しぶりに感じられました。

 どうぞ願いを聞き届けてください。

 

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貸し借りこそ人生

2017-11-02 23:47:51 | Weblog

 

 来週は月曜から中央要望ということで、北海道選出の国会議員や国土交通省を訪ねて、予算要望や事業の進捗などを要望してきます。

 こういう活動って、『行ったから』と言ってすぐにどうにかなるものではありませんが、さりとて、だから行かなくてもなるようになる、というものでもない、という微妙な活動。

 しかしそれが自己満足というわけでもありません。民の声、業界の声を地道に伝え続けるという小さなエネルギーは、一滴の雨水がやがて小さな流れになって大河となるのに似ているような気もします。

 一滴のしずくはそれだけでは大河にはなりませんが、その一滴がなければ大河にもならない、というわけで、どこか選挙での自分の一票にも似ています。

 全ては「動く」という意思から始まるのです。

 
          ◆ 


 選挙が終わって約十日が経過しましたが、地元では割と簡単に気さくに会えた先生たちとも、東京で会おうと思うとその10分が難しい。

 別に天狗になっているわけではありませんが、とにかくやらねばならないことが次から次へと押し寄せてくるので、こちらの都合どおりに物事が進むわけもないわけで。

 しかし、これもまた、なにもしないよりは「いないときに来たよ」が次の活動に繋がります。

 そして「人に会う」ということは、紹介してもらうことが必要になります。

 紹介してもらうという小さな恩はどこかで小さな返礼で報いる。

 「借りは返さないといけなくて煩わしいので、借りは作らない」として、いろいろな人との交流を避ける人もいます。

 しかし多かれ少なかれ、その貸しと借りの絶妙なバランスを取って行くのが社会で暮らすという事。

 これってさらに上級テクニックになると、「借りたら返す」だけではなく、「返してあげるために借りる」という高度なテクニックを使うこともあるのです。

 ただし「借りた恩に対して法外に返し過ぎる」というのも、「小さな貸しに対して法外な返礼を求める」のもスマートではなく、品がありません。そういうバランスがだんだんわかってくるのが経験を積んで成長して大人になる、ということだと思います。

 ところが人間観察をしていると、さらに人間ができてきて、貸しと借りのバランスなどもうどうでもよくなって、とにかくなんでもやってくれるというところまで達してしまう人がいます。

 借りっぱなしでなかなか借りた分を返せない恩義を感じてしまうのですが、そういう人はよく「恩義を感じたら僕にじゃなくて、社会や後輩に返せばいいよ」なんて言ったりします。

 そこまでいけるとカッコいいな、と思いますが、私などはまだまだ修行が足りません。

 よし、職場へのメールは私のパソコンに転送できるようにして、来週は出張三昧です。

  

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10年寝かせた味わい深さ ~ よみがえるスローライフ運動

2017-11-01 23:55:55 | Weblog

 

 いよいよ11月に入り、今年のカレンダーもあと二枚となりました。

 テレビを見れば、年賀はがきの売り出しのニュースもこの時期の風物詩。

 今月は自分の関わる大きなイベントが9つあって、それぞれに資料作成の事前準備が多くて、気の休まらない月になりそうです。

 特に来週は大物のイベントが4つあって、特に厳しい一週間になりそうなのですが、そのなかでちょっとユニークなものが、掛川市から「来てほしい」という依頼を受けている案件。

 御用の向きは、タイの学者先生が日本のスローライフ運動に興味を持って調べていたところ、どこを調べても掛川の活動にたどり着いたのだそう。

 そこで、どうやら掛川の運動がそのルーツらしい、ということになり、掛川で当時スローライフ運動にかかわった人たちから詳しい話を聞きたい、ということになったのだと。

 そこで聞かれた人たちが一様に「当時掛川でスローライフ運動を主導したのは、元市長の榛村さんと、それをサポートした小松助役です」と言ったことから、「では榛村元市長さんと小松元助役に会いたい」ということになり、会う算段になったのです。

 タイの教授先生は、「なんだったら札幌へ飛んで小松さんを訪ねたい」とまで言ってくださったそうですが、こと掛川のスローライフということになれば、やはり現地の掛川で当時一緒に悩み、もがき、苦しみながら方向を見つけ出していった仲間たちと一緒に話してこそ臨場感を伴うものになるでしょう。

 そこで東京出張の用事を終えた後の7~8日で掛川へ移動して、タイの先生とお会いすることとしたものです。

 当時を思い返してみると、生涯学習運動の帰結として、具体のスローな政策から入ろうと考えている榛村元市長さんと、私の方は、それをどう理論づけして説明し、しかも一か月にわたるイベントとして成立させるかに苦労したものでした。

 また、掛川生活の後半は、このスローライフ運動が一過性のイベントで終わらせるべきではない、ということから、活動の基盤をイベントの実行委員会から、NPO法人を設立し、行政の主導からNPO活動での市民運動に展開したことも印象深く思い出されます。

 そういう意味で、とても自由にやらせてくれた掛川市への恩はちゃんと返さないといけないという義理もあって、掛川へと赴くことにしました。

 さて、スローライフ運動は国境を越えた思想哲学になれるでしょうか。
 

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