時代小説作家・葉室麟さんの講演会&トークショーに参加してきました。
講演会と言っても、葉室さんが一人で話すのは苦手ということで、福岡市文学館の学芸員の和泉僚子さんを聞き手としたトークショーが主でした。
まず、中村雅俊に似ていると、母以外に和泉さんに初めて言われたと仰っていました。
中村さんとは同じ年だそうです。
小学校5年生まで、小倉西高校の近くに住んでおられたとかで、よく到津遊園の金網の穴から忍び込んでいたという話もされました。
お父様の転勤で福岡市や久留米市にも住んだそうですが、生まれた場所の記憶は血肉となっておられるそうです。
前もって参加者から質問を募集していたのですが、ずいぶんとたくさんの質問に答えてくださって、何を載せたらいいのか困るほどでした。
どうして作家になろうと思ったのですか?という質問には、書こうとしたのは大学の初めで、卒業時にはノンフィクション志向になっていた。しかし記者時代、フィクションの方が向いているのではないかと思い始めた。そして50歳でフィクションを書き始めた。歴史時代小説とノンフィクションは近いのではないか、ということを仰っていました。
歴史上の人物や出来事は、どのように調べるのですか?という質問には、ネットは玉石混交なので、普通に図書館で調べる。古文書などは読まない。日本人は江戸時代以前の歴史は江戸のものの見方で、江戸の歴史は明治以降の見方で考えているように思えるとも仰っていました。
九州以外の土地や人物で魅かれたのは?という質問には、北条早雲と答えられました。ただ、東日本は書かないと宣言しているので、書かないだろうとも。また、50歳過ぎて活躍した人物がお好きらしいです。
女性の心理がなぜ分かるのですか?という質問には、分からないが、組織から認められにくく生きづらいだろうなと共感するので、そう見えるのかもとのことでした。
筆名の理由は?という質問には、2、3分で考えたもので、女性と思われやすいと答えられたのは覚えているのですが、葉室がきれいだからという理由だったようにうっすら覚えているだけなので、すみません私が忘れました。
他にも作品に関することなど色々答えられたのですが、メモ不足であいまいに覚えているだけなので、書くことができません。
とても楽しかったのは確かです。
あと、サイン会にも参加して「蜩ノ記」の文庫にいただきました。
講演会と言っても、葉室さんが一人で話すのは苦手ということで、福岡市文学館の学芸員の和泉僚子さんを聞き手としたトークショーが主でした。
まず、中村雅俊に似ていると、母以外に和泉さんに初めて言われたと仰っていました。
中村さんとは同じ年だそうです。
小学校5年生まで、小倉西高校の近くに住んでおられたとかで、よく到津遊園の金網の穴から忍び込んでいたという話もされました。
お父様の転勤で福岡市や久留米市にも住んだそうですが、生まれた場所の記憶は血肉となっておられるそうです。
前もって参加者から質問を募集していたのですが、ずいぶんとたくさんの質問に答えてくださって、何を載せたらいいのか困るほどでした。
どうして作家になろうと思ったのですか?という質問には、書こうとしたのは大学の初めで、卒業時にはノンフィクション志向になっていた。しかし記者時代、フィクションの方が向いているのではないかと思い始めた。そして50歳でフィクションを書き始めた。歴史時代小説とノンフィクションは近いのではないか、ということを仰っていました。
歴史上の人物や出来事は、どのように調べるのですか?という質問には、ネットは玉石混交なので、普通に図書館で調べる。古文書などは読まない。日本人は江戸時代以前の歴史は江戸のものの見方で、江戸の歴史は明治以降の見方で考えているように思えるとも仰っていました。
九州以外の土地や人物で魅かれたのは?という質問には、北条早雲と答えられました。ただ、東日本は書かないと宣言しているので、書かないだろうとも。また、50歳過ぎて活躍した人物がお好きらしいです。
女性の心理がなぜ分かるのですか?という質問には、分からないが、組織から認められにくく生きづらいだろうなと共感するので、そう見えるのかもとのことでした。
筆名の理由は?という質問には、2、3分で考えたもので、女性と思われやすいと答えられたのは覚えているのですが、葉室がきれいだからという理由だったようにうっすら覚えているだけなので、すみません私が忘れました。
他にも作品に関することなど色々答えられたのですが、メモ不足であいまいに覚えているだけなので、書くことができません。
とても楽しかったのは確かです。
あと、サイン会にも参加して「蜩ノ記」の文庫にいただきました。
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