興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

ほんとうは怖い吊り革睡眠

2006-10-27 | チラッと世相観察
 酔って帰る電車の中で、わたしは吊り革につかまったまま眠ってしまうことがある。
 日ごろの疲れが一度に出てくるからであろう。

 何年か前、こんなことがあった。吊り革を両手で握りしめ、そこにおでこをもたせウトウトしていると、
「よしかからないで下さい」
 という声とともに右腕を強くこづかれた。見ると、隣の背の高い若い女性がわたしを睨みつけている。つり革にぶら下がったまま、わたしはこのおねえさんの方に寄りかかっていたらしい。
「あっ、ごめんなさいっ」
 即座にあやまり、身を立て直し、おねえさんを見ると、わたしに向けたその目には、あからさまな嫌悪の表情が浮かんでいた。そしておねえさんは無言のままプイと顔をそむけたのである。

 次第に覚醒の度を増してきたわたしはそれを見て、すまなかったという気持ちがいっぺんに失せ、代わりに怒りがムクムクともりあがってきた。
(なんだ、あやまっているのにその態度は。汚いものでも見るように……。オレはべつにアンタに寄りかかりたくて寄りかかったんじゃないっ)

 腹立ちを抑えきれなくなったわたしは、おねえさんの方をむくと、
「すみません、ひとこと言っときますが、わたしはあなたに、よしかかろうとしてよしかかったんじゃありませんから」
 と、ていねいに、できるだけ感情を表さないように、抑えた声で言い返した。
「……………」
 おねえさんは、チラッとこちらを見たが、酔っぱらいおじさんには取り合わなかった。
 しばし気まずい沈黙がつづき、わたしはそれに耐え切れなくなって、次の駅で別な車両に乗りかえた。

 後日、そのことを親しい友人に話すと、「余白さん、よかったねえ」 と言う。
「えっ?」
「だって、それは一つ間違えば、痴漢にもされかねなかった状況だよ」
 友人の話によると、その女性が、「この人いやらしいんです」とかなんとか、大きな声でも出したら、まわりに痴漢と間違えられ、次の駅で事務室につれていかれ、言い訳すればするほど無実は信じてもらえず……、ということになったかもしれないというのである。

 痴漢は言うまでもなく許しがたいことだが、いわゆる痴漢冤罪も決してあってはならないことだ。
 わたしのケースは、おねえさんがたとえ大きな声を出したとしても、痴漢冤罪に即むすびつくというわけではなかったとは思うが、友人の言うように、結果としてどうなったかはわからない。
 いずれにしても、腹立ちをわたしがそのまま声にしてしまったのはまずかった。

 このことから二つの教訓を導き出すことができる。一つは、飲んだときは吊り革につかまったまま眠らないこと、二つ目は、酔ったときは腹立ちまぎれにものを言わないこと、である。
 しかし、実際その場になれば、実行できるかどうか、正直なところ自信はない。

 確かなことは、おねえさんの目が語っていたように、残念ながら酔ったわたしは単なるだらしない(汚いとは決して言わないぞ)おじさんである、ということであろう。その自覚が無用なトラブルを避けてくれるかもしれない。

2004.7.4
(2006.10.27写真追加)