興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

妙高山と良寛を訪ねる旅

2012-08-29 | 散歩、時々旅

長野から妙高高原に入り、新潟方面に行ってきました。

上の写真は、妙高高原池ノ平温泉郷近くの、いもり池から見た妙高山です。

コニーデ型の複式火山で、中央火口丘(標高2454メートル)の左右に見えるのは外輪山です。
全体になだらかな裾野を広げていることから、‘越後富士’ の別名を持っています。

妙高山は古くから信仰の山でした。その名は仏教でいう須弥山(しゅみせん) から来ているといいます。
須弥山とは “世界の中心にそびえ立つ山” のことで、サンスクリット語の発音を漢字にしたもの。 意味を漢字で表すと、「高く妙(たえ)なる山=妙高山」 となるのだそうです。





        

いもり池では、いもりを見ることはできませんでしたが、白い睡蓮の花がたくさん咲いていました。

 

 

 


        

こちらは、良寛の生誕地、新潟県の出雲崎町にある良寛堂です。

日本海の上に浮かんだように見える、いわば海の浮御堂です。
この日は西に雲が多く、見ることができませんでしたが、大気の澄んだ日には背景に佐渡ヶ島が見えます。

近くにある良寛記念館にも寄ってきました。
ちょうど企画展 「良寛の歌心・詩心」 をやっていて、良寛のたくさんの墨筆や、良寛を描いた画家の絵などが展示されていました。

わたしは安田靫彦の 「良寛と貞心尼 初対面の図」 の掛軸に、いたく心惹かれました。
良寛と貞心尼が、いろりと行灯をはさみ、向かい合ってすわっている絵です。

淡彩のシンプルな絵を、貞心尼のまとった黒い衣が引き締め、その黒さが貞心尼の横顔の白さを強調しています。
向かい合った良寛は、きっと貞心尼をかわいいと思って見ているに違いない、と思わせてくれる絵でした。

 

 




        

新潟県燕市にある五合庵。

国上山(くがみやま、標高313メートル) の中腹にある国上寺(こくじょうじ) の脇にあります。

良寛はこの小庵で晩年の二十年ほどを一人で過ごし、多くの漢詩や歌を生み出したといいます。


 花無心招蝶
 蝶無心尋花

これは、小賢しい策を弄せず、帝の則(自然の道)に従いなさい、という良寛の詩の一部です。


<ご参考まで>
  このサイトで 「良寛と貞心尼 初対面の図」 を見ることができます。
http://www.ryokan-kinenkan.jp/collection/picture.html