わが家の庭に、食用菊が咲きました。(写真)
「もってのほか」と呼ばれる食用菊かと思ったのですが、これを植えた家内に聞くと、
「もってのほかじゃないんじゃない? もってのほかは紫色だし」
と言います。
もってのほかとは品種が違うのかもしれません。でも、食用菊ではあるとのこと。
エディブル・フラワー(食べられる花)です。
この菊の花びらを酢の物にすると、さっぱりしてとても美味しい。
もってのほかなど、食用菊は山形県でよく作られています。
両親が山形県出身だったので、わたしは、食用菊を小さいころから食べていました。たぶん両親の実家から送られてきたのでしょう。
昔むかしのことです。
そういえばそのころ食べた菊は、黄色ではなかったような気もします。
ところで、菊が食用として今も山形でよく作られているのは、上杉鷹山の ‘倹約政策’ との関係があるのでしょうか。
江戸時代中期の米沢藩主、上杉鷹山は、藩財政の窮乏を打開するため、藩内に大倹約令を出し、藩費を徹底して抑えたほか、さまざまな農業改革と産業振興(養蚕など)を行いました。
その政策の一つが非常時に食べられる植物の栽培を奨励、普及することでした。生垣(いけがき)用の低木植物「ウコギ」(五加木)の栽培がその例です。
ウコギは春に芽生えた若葉を食べることができ、それを乾燥すれば保存もできたそうです。
もちろんそんなウコギだけで空腹を満たすことはできませんが、穀物と炊き合わせると嵩(かさ)を増やすことができたのです。
わたしは米沢の隣町、高畠にある母の実家で、10年ほど前、ウコギの葉のお浸しを食べたことがあります。
そこは今も、ウコギの生垣を大切にしているのです。
その味はというと、うろ覚えながら、美味しかったという記憶はありません。
それに比べれば、食用菊は結構美味しく食べられます。鷹山の食用植物栽培戦略の中にも、きっと食用菊があったことでしょう。
上杉鷹山は名君として、時代を超え、国を超えて知られています。
藩が窮乏の淵に沈んだとき、藩主である鷹山みずから一汁一菜の食事をし、普段着は木綿で通すなど、節約・倹約を率先して実行したそうです。
鷹山は自分のことより領民のこと、藩の将来のことを思って藩政を行ったのです。
今、日本に、そんな鷹山のような政治家がいるのでしょうか。